5月7日

 8時過ぎに目を覚ます。コーヒーを淹れ、たまごかけごはんを平らげる。納豆も混ぜた。今日で連休が明けるようなので、もういちど持続化給付金のことを考える。白色申告の場合、昨年の売り上げを12で割って、それと今年の特定の月の売り上げとの差額を計算し、それに12をかけた数字が支給額になるという。その計算式のことばかり考えていて、そもそも「昨年の同じ月と比較して、売り上げが半減した月」しか選べないということを忘れていた。1月から3月は半減しておらず、半減以下になっているのは4月だけだ。ただ、4月だと満額の支給にはならないので、5月が終わるのを待ち、5月の売り上げで申請することにする。

 12時からジョギングに出る。昨日の晩はプロ野球チップスを二袋も開けてしまったこともあり、ちょっと遠くまで走ることにする。上野桜木から山手線の線路を跨ぎ、鶯谷に抜けてゆく。季節外れの「啓蟄」という言葉が浮かんでくる。閑散としていた街に、人が溢れ始めている。こうしてジョギングに出ているぼくもそのひとりではあるけれど、5月6日と5月7日のあいだに境界線が――緊急事態宣言によって引かれていた境界線が――生じたように感じる。不思議だ。新規感染者数が減少傾向にあるとはいえ、有効な治療法が確立されたわけでもなく、確率が下がっただけだ。なんだかもう安全圏に入りつつあるというムードが街中に漂っている。今月に入ったあたりから「実効再生産数」と「新しい生活様式」という言葉をやたらと耳にするようになって、もう次のフェーズに入ったかのようになっているけれど、いや、事態は何も改善されていないのではと思う。

 浅草にたどり着き、ホッピー通りを走る。5、6軒だけ営業している。今日から営業を再開したのだろうか、それとも短縮営業を続けてきたのだろうか。向かい合って飲んでいるお客さんの手元を見ると、ジョッキではなくプラカップだ。仲見世は1割くらいだけシャッターを上げている。新しくなった雷門の下をくぐり、上野に向かう。跨線橋へと駆け上がり、ケータイを片手に上野新坂を探す。先日読んだ樋口一葉「十三夜」に、「実家は上野の新坂下、駿河台への路なれば茂れる森の下暗侘しけれど、今宵は月もさやかなり、広小路へ出づれば昼も同様」という一節がある。上野の新坂とはどこだろうと気にかかっていた。この小説が収録された岩波文庫の『東京百年物語』には、「上野新坂下は維新後に切り開かれた新開地」とある。「新坂の案内板が忍岡中学校の南側に置かれている」と書かれているサイトを見かけ、寛永寺の脇を抜けて走ってゆくと、鶯谷駅の南口の近くに出る。ここが「上野新坂」だったのか。たしかに、ここまで走ってきたルートは、夜になれば今でも暗く侘しくなるだろう。樋口一葉もこの風景を目にしたことがあって、つまりここに立っていたのだなと思うと、不思議な心地がする。

 アパートまで引き返し、シャワーを浴びて洗濯機をまわし、焼きそばを作って平らげる。今日はちょうど10キロ走った。一休みしているうちにもう15時だ。駄目だ、あっという間に一日が終わってしまうと焦り、写真の整理に取りかかる。16時にケータイが鳴る。登録していない固定電話からの着信で、普段なら出ないのだが、このご時世だから何があるかわからないと、出る。本郷税務署からで、オンラインで納税証明書の申請を承りましたが、今日取りにこられますか、と。今すぐ行きますと返事をして、マスクをつけ、自転車こいで本郷税務署に向かう。玄関口にあった消毒スプレーで除菌して、「家から出てきただけだから、除菌する必要もなかったな」と思いながら手を擦り、階段を上がる。上がったところでタッチパネルを操作し、番号札を発行して、ケータイを触りながらイヤホンで耳を塞ぐ。その瞬間に、しまった、と思う。玄関口で消毒するより、たくさんの人が触っているであろうタッチパネルに触れたあとで除菌するべきだった。別に何が起きているわけでもないのに、時間が経てば経つほど、手元から、そして手で触れたイヤホンから、何かがじんわり広がっているように感じてしまう。何に怯えているのだろうと俯瞰しながらも、念のため、念のためだからと言い訳のように脳内でつぶやきながら、タッチパネルのそばに置かれていた消毒液を取り、ケータイやイヤホン、それに耳にも塗る。ケータイと一緒に持っていた番号札に印刷された文字は、消毒液で半分ぐらい消えてしまった。

 なんとか納税証明書を受け取って、引き返す。手を洗って、マスクをハイターで除菌してからベランダに干す。ツイッターを眺めていると、文芸誌が発売になっていることを知る。そうか、今日は7日だ。マスクを洗ってしまったところだけど、もう1枚のマスク――断じて送られてきたものではない、うちにも届いていたけれど放ったらかしている、届くまでは「資料として取っておこうか」とも思っていたけれど、届いてみるとそんな気にもならなかった――をつけ、「往来堂書店」まで自転車をこぐ。『群像』だけ買うつもりだったけれど、横に並んでいる『文學界』も、『新潮』にも、世界がこんなふうになったあとに書かれた言葉が掲載されているようで、これは読んでおきたいと3誌買い求める。文芸誌をこんなに買ったのはいつぶりだろう。4誌並んだ文芸誌のうち、デザインがリニューアルされた『すばる』だけ、手が伸びなかった。手にとって目次を確認しようという気持ちが起こらなかった。

 アパートに帰って、すぐに文芸誌を読み耽りたいところだけれども、雑誌は消毒するわけにもいかないので、明日まで放置しておくことにする。読んでいる途中で、つい鼻をほじったりしてしまうのではないかと不安だから、本は買ってきても(送られてきても)しばらく放ったらかしている。ただ、めあての随筆だけはと『群像』を手に取り、読んで、手を洗う。ずっと手を洗ってしまっているなと、読んだばかりの文章を反芻しながらぼんやり思う。そこに登場する食堂で、チキンライスの話をしたことを懐かしく思い出す。そして、メニューの短冊に「焼きめし」とあるのを見て、西日本出身だから、やっぱり「チャーハン」より「焼きめし」のほうが馴染みがあるとつぶやいたところ、その場にいたEさんは「たしかに」と言ったものの、Hさんは何も言わずに肉吸いをすすっていた瞬間のことも甦ってくる。

 今日はろくに仕事をしていないので、晩ごはんの支度を知人にお願いする。19時半に帰ってきた知人が、ぼくが作るつもりだったキーマカレーを作ってくれる様子を横目に、写真の整理をする。夕方に読んだ随筆の、最後の二文が頭の中を巡る。ぼくは元いた世界に戻りたいと思っているだろうかと考えだすと、そうでもないような気がしてくる。取材することもできなくなって、飲み歩くこともできなくなったというのに、どうしてそんなふうに思っているのだろう。自分は薄情な人間なのだろうかと不安になり、知人に「元いた世界に戻りたいと思う?」と尋ねる。「いや、戻りたくねえけど」と知人は言う。淘汰されるもんは淘汰されればいい、たとえば私とかね――と。こんな状況でも卑屈なことをいうさまに、清々しさすらおぼえる。カレーを作りながら、知人はビールを飲んでいた。冷蔵庫からチーズを取り出し、ひとかじりして、ビールを一気に流し込む。やっぱり、こっちのほうがうまいわ。そう言いながら、もうひとかじり。十勝のほうが安いんやけど、雪印のがうまいんよ。独り言のようにつぶやきながらグラスを傾ける知人の姿を眺めていたので、写真の整理はほとんどはかどらなかった。

 以下、今日仕分けた写真たち。2006年春から2008年秋。

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たしか四国を青春18きっぷで巡りながらZAZENを追いかけた春。
この頃は「ただ風景を残すのではなくて、自分がそこに出かけたんだという証を残したい」と、
こんなふうにカメラを置いてセルフタイマーで写真を撮っていたことを思い出した。
そうした写真たちの大半は、今回の整理で削除してしまった。
写ってなくても、君がこうして出かけてたことはわかるから大丈夫やで、と。

 

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四国を巡るなかで、地図に書かれていた「宮武外骨正家」まで歩いた。

 

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実家の近くにある弁当屋の跡地。

 

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日曜日になると、ときどき父親に連れられて喫茶店に出かけ、このモーニングを食べていた。
うちにはない『Dr.スランプ』が読めるのが楽しみだった。今は閉店してしまった。

 

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小さい頃に何度か出かけたことのある音戸。
ループ状になった赤い橋をぐるぐる走った記憶が強く残っている。

 

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上野か御徒町か。

 

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池袋のバッカス。ここのメニューに「はちみつゆずサワー」みたいなのがあって、
「はちみつっていいですね」「ひっくり返すと蜜蜂、英語だとハニービーか」
「それだと『いざとなったら針で刺すぞ』みたいな意味が出てしまう」
「略すと『HB』だ」「それならいろんな意味に読めていいかも」と、ミニコミのタイトルを決めた場所。

 

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こうして印刷したものをクリップで挟んだりして、あれこれ考えていたころ。
しかし、どうして「デザインをやってくれる人を探す」という発想にならなかったのだろう。

 


 

 

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改装中のBIGBOX。

 

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われらがMARUHACHI。

 

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往来座の向かいにファミリーマートがあった時代のこと、すっかり記憶から遠のいていた。

 

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紙パックの甘いジュースをよく飲んでいた。特にピルクルが好きだった。

 

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新宿西口のコクーンタワーがまだ建設中。

 

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BIGBOX、リニューアル直後にはビリヤード場があった。

 

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海外に出かけるわけでもないのに、
「ドメスティックな世代?」という特集に添える写真を撮るためだけに成田空港へ。

 

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Y田さんに「大潟村の近くにあるコンビニ見聞記を」と依頼して、クリスマスに秋田に出かけたとき。
村の人たちがコンビニでケーキやチキンを買う様子を眺めて何か書いてもらいたかったんだと思うけど、
結局「この風景を見ても、書けることがない」と断られたのだった。
Y田さんと別れて、日本海沿いを移動して新潟まで移動しているときの一枚。

 

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食品偽装問題が相次いだ年に、Aさんを誘って「話題になった商品を食べ歩くツアーを」と出かけたとき。
今振り返ってみると、なんでそんなにまで移動するバイタリティーがあったのかと謎だ。

 

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駅前にあるチェーン店の風景を取りたくて、いろんな駅前を巡っていたときの一枚。
調べてみると石神井公園駅前だが、グーグルマップをみると、今ではずいぶん様変わりしている。

 

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同じく駅前シリーズ、下総中山。こちらはあまり変わっていなかった。

 

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エンタクシー編集部で電話番と雑用係をしていたときに、
引用箇所の確認のため広尾を訪れ、坪内さんの原稿に登場する「ナショナル」を見かけ、立ち寄る。

 

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 ZAZENのレコーディングに帯同し、デイブ・フリッドマンのタルボックス・スタジオへ。

 

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スタジオの中から。おお、フェデックスと思って撮ったのだと思う。
高校の修学旅行で上海を訪れたことはあるけれど、それ以来海外に出かけたことはなく、
初めてのアメリカ滞在で何もかも新鮮に感じていたのだろう。

 

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北京オリンピックに向けた聖火リレーが長野で行われたとき、旗を掲げようとバスでやってきた人たち。

 

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旗を振る人たちの嬉々とした表情が印象に残っている。
しかし、誰に頼まれたわけでもないのに、どうして長野まで出かけたんだろう。

 

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六本木から飯倉片町に抜ける道。
Google マップによると、店の並びは変わっていないけれど、後ろの風景は様変わりしていた。

 

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有楽町。

 

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東京駅八重洲口のバスターミナルがこんなだったこと、写真をみるまで忘れていた。

 

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当時持っていたカメラだと夜景が撮れず、どうせブレるならと、しばらくこんな写真を撮っている。
しかし、「なんかそれっぽいだけで、こんな写真を撮っていても駄目だ」と自分で気づいたのだろう、
数ヶ月でこういう写真は撮らなくなっている。

 

 

 

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Aさんと日本ダービーを観に出かけた日。
あの日は結局、馬券は当たったんでしたっけ?

 

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新宿駅西口のラーメン屋台。

 

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副都心線が開通した日、渋谷から始発電車に乗った。

 

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副都心線の開通を祝ってか、雑司ヶ谷に万燈が出ていた。
「ツカモトヤ」は建て替わって、今ではすっかり新しいビルになっている。

 

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高田馬場にあった「寿限無」。
よくこの路地を歩いたけれど、ここも風景が変わってしまった。

 

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高田馬場「ニュー浅草」、リニューアル前。フロアごとの混み具合が確認できる。

 

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高田馬場駅前。この風景はあまり変わっていないけど、左端のビルは解体された。

 

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ライジングサンを観に北海道を訪れたあと、函館に立ち寄ったとき。
昔はずいぶんダサかったなと懐かしくなり、知人に見せると、「気持ち悪い」と言われた。

 

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前に住んでいたアパート。そういえば自宅にはいつもハーパーのボトルがあった。
たぶん「ふらて」で坪内さんにハーパーのボトルを入れてもらったことがあり、
ハーパーに対する漠然としたあこがれが生まれたのだろう。

 

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千日前にあった「信濃そば」、これは『まぼろしの大阪』を読んで出かけてみた。

 

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夏のビアガーデン、Aさんの結婚式、
坪内さんを誘って無戒秀徳アコースティック&エレクトリックのライブを観た、九段会館