5月13日

 7時過ぎに起きる。8時半からジョギングに出る。一昨日届いた、新しいジョギングシューズ。前は黄緑の蛍光色のシューズを使っていたけれど、少なくとも5年は使っていて、踵がすり減っていたので買い換えることにした。履くだけでハッとするような色をと、今回は白地に蛍光ピンクのラインが入ったものを選んだ。同じナイキのシューズだから、同じサイズを注文すれば失敗することもないだろうと通販したのだが、履いてみるとちょうどよいサイズ。さっそく走り出してみると、これが噂の技術の進歩なのか、足を力強く蹴り出せる。蹴り出してしまう、といったほうが正しそうだ。「早く走ろう」と思っているわけではないのに、スピードが出てしまって、少し戸惑う。

 今日も動坂上から本郷通りを目指す。出勤中の人がたくさんいる。あれ、もう皆出勤してるのだなと思う。平日から大人が街をぷらぷらしていてもそれが普通であるように見えていたのに、そんな期間は通り過ぎてしまったのだろうか。公園でこどもたちが、砂場のそばに砂団子をたくさん並べている。近寄って出来を確かめたかったが我慢する。早く走れてしまうせいで、4キロちょっと走り終えるころにはぐったり疲れてしまった。アパートに帰ると、知人はもう目を覚ましていて、ダイニングテーブルにいた。急いでコーヒーを淹れて、知人を見送ったのち、シャワーを浴びてたまごかけごはんを平らげる。

 昼はサッポロ一番味噌ラーメンを作る。塩とコロッケの組み合わせを試してみたい気もするけれど、あと2食は味噌が残っている。豚ひき肉とキャベツ、それにもやしを炒めて、うつわには収まりそうもないのでラーメンを茹でた鍋の上にのっけて、具沢山にして食べる。午後はいくつかメールを書く。4通ほど送ったところで、ずいぶん仕事をしたような気持ちになってソファに寝転がる。メールを送ったうちのひとり、那覇のUさんが「今日(5/13)の朝日新聞朝刊にインタビューが掲載されました」とツイートされている。それはぜひ読みたい。コンビニに行かないとなと、ソファに寝転がりながら考える。でも、Uさんのインタビューなら、ムトーさんやセトさんにも見せたいところだ。記事を写真に撮って送ることもできるけれど、自分の書いた原稿や自分がインタビューされた記事ならともかく――と、このときは思っていたけれど、自分の書いた原稿やインタビューされた記事のほうが「写メに撮って送る」ということをできないだろう、インタビュー記事であれば「ほら、こんなふうにインタビューしてもらったんです!」と触れまわることが気恥ずかしくなるだろうし、自分の書いた原稿なら「ほんとうにその言葉を読みたいと思ってくれる人は、どうにか手に入れて読んでくれるだろうし、そういう人のためにしか書いていない」と思っているのだろう――自分が書いた記事でも、自分が取材された記事でもないものを「写メに撮って送る」ということには抵抗がある。しばらく寝転がっているうちに、そうだ、新聞を買いに出たついでに、そのまま「古書往来座」まで散歩に出ればよいのだと思い立つ。

 部屋着のまま、使い捨てマスクをぴっちりつけて、アパートを出る。最近は通販で買ったユニクロで売っている五分袖シャツばかり着ている。さらさらした着心地だし、少しだぼっとしているので涼しく、気に入っている。3色まとめて買ったのだが、今日はそのうちの1枚、白のシャツだ。白のだぼっとしたTシャツに、ハーフパンツで、なんだかバスケ部みたいだ。4月21日ぶりに電車に乗る。千代田線で西日暮里に出て、のりかえ口にある売店が臨時休業しているのを写真に収め(4月24日から休業中だと張り紙があった)、ホームに出る。千代田線の中で読んでいた『神戸・続神戸』を、エスカレーターに乗りながら読んでいると、ひかりが射してくる。陽射しが夏だ。こんなに良い天気なのにねえと思いながら、駅のホームからの風景を撮ろうとカメラを構えていると、京浜東北線の快速がすごいスピードで通過していく。

 山手線はわりと空いていた。西日暮里から田端までの最初の区間で、電車がひどく揺れる。しばらく電車に乗ってないからひどく揺れるような気がするだけなのか、実際に揺れが強いのか、よくわからなくなってくる。池袋で電車を降りて、メトロポリタン口に出る。路地を抜け、「古書往来座」にたどり着く。大きく貼り紙がしてあるのを見て、臨時休業中の姿を目にするのは今日が初めてだったなと気づく。セトさんの日記を読んでいるので、その風景を知っているように錯覚してしまっていた。中を覗くとセトさんの姿があった。ちょうどこれからホームセンターに買い物に出るところだったという。ぎりぎり間に合ってよかった。Uさんのインタビュー記事を読んでもらって、一緒に店を出る。そうだ、これは店にいるうちに聞けばよかったのかもしれないんですけど、雑司ヶ谷霊園の成り立ちがわかるような本ってあったりするんですかと尋ねると、「ちょっと引き返していい?」とセトさんは店に戻り、冊子をプレゼントしてくれる。

 今日は雑司ヶ谷霊園を歩いてから帰るつもりだと伝えると、そうか、永井荷風、とセトさんが言う。しばらく前に、「古書往来座」で荷風がらみの本を何冊か買い求めていた。それもあるんですけど、最近『こころ』を読み返していて、と告げる。『こころ』を読み返したときに印象的だったのは「電車」(路面電車)の描かれ方で、それがとても新しいものとして描かれていて、『こころ』の舞台となった頃はちょうど路面電車の線路がぐんぐん拡大し始める時期だと、ぼくはそんなことを話した。するとセトさんが、芥川の随筆にも雑司ヶ谷霊園漱石の墓を訪れる話があることを教えてくれる。その随筆にも路面電車が登場して、たしか護国寺で電車を降りるんだけど、お墓が見つけられなくて、「あれ、このあたりだったはずなんだけど」って迷っちゃうんだよね、と教えてくれる。それは「年末の一日」って随筆で、この本に収録されている、と空で言うので驚く。

 今、こうして日記を書きながらそのことを思い出し、「年末の一日」で検索してみると、青空文庫に収録されていたので目を通した。そこに登場する「動坂」や「富士前」といった言葉は、この日の朝にジョギングしたルートと重なっている。とても不思議な感じがする。物書きとして、かつて文豪が暮らした近くに住んでいることに浮かれたり、そこに暮らすことで自分も名を成したいと思ったりということではもちろんなく(上京したばかりの頃であればそんな気持ちにもなっただろう)、自分がこうして毎日を送っている風景に、芥川龍之介がいたのだというのが不思議に感じる。その頃とは風景はまったくと言っていいほど変わっただろう。でも、ジョギングしながら感じる街の勾配はあの頃と同じに違いなく、それがとても不思議な感じがする。そして、「年末の一日」を読んで、その随筆が書かれた時点では護国寺が終点だったと知る。

 駐車場から、少しだけセトさんの運転するクルマに乗せてもらう。少し走ったところでムトーさんが立っていて、そこでぼくは降ろしてもらって、入れ替わるようにムトーさんが助手席に乗る。「ああ〜、はっちと散歩したいなあ」と、ホームセンターに行かなければならないことがもどかしいようにセトさんが言う。誰かと散歩するということから遠ざかっている。雑司ヶ谷霊園をぶらりと歩き、護国寺のほうへ坂をくだってゆく。道端の案内板に、かつてはこの坂の下一体を「雑司ヶ谷」と読んでいたのだと書かれている。雑司ヶ谷霊園護国寺、その先にも墓地があり、墓が続く。何度も自転車で走ったことがある道だが、徒歩のスピードだと景色が違って見える。墓が多いから、葬儀屋や石屋、花屋がある。石屋の中で、店主がクロスワードに夢中になっている。

 しばらく不忍通りを進んだあとで、小石川のほうに進んでゆく。交番の名前に「小石川御殿町」とあり、御殿町というには「下町」っぽさのある町並みだなと思っていると、しばらく進んだ先に案内板があり、かつて「白山御殿町」という町名があったのだと知る。のちに将軍となる綱吉がこの地に別邸を与えられ、そこを白山神社あるいは小石川御殿と称したのだという。歩いている感じだと、少し谷になった場所に感じるので、そこに御殿があったというのが不思議だ。御殿はのちに幕府の御薬園となり、小石川薬園と呼ばれ、のちに小石川植物園になったのだと知る。『こころ』を読んでいると、雑司ヶ谷霊園まで歩くとき、手前に「苗畠」があったと書かれていて、セトさんが「薬草っていうか、薬になるものを育ててた場所があったみたい」と教えてくれたことを思い出す。小石川から雑司ヶ谷にかけての一帯は、そんなのどかな風景だったのだろう。

 ぼくが歩いているのは「千川通り」と呼ばれているらしかった。地形の雰囲気から「もしかして」と思っていたけれど、ネットで検索してみると、そこはまさに川が流れていた場所だ。さらに進むと、「旧 戸崎町」に関する案内板に出くわした。そのあたりは小石川(千川)の流れ込む沼地であり、白山御殿の造営後も船が通り、荷物の積卸を行っていたころから「舳先町」よ呼ばれ、「戸崎町」に改められたのだとある。説明書からイメージが膨らんでゆく。それと同時に、『こころ』で「私」がぬかるみの中を歩く場面のことも思い出される。アスファルトの下にある世界を思い浮かべながら、企画「R」のことを考えた。

 知人からLINEが届く。「焼肉はしもと出んのん」とある。しばらく前にキッチンで焼き肉をしたのだが、また焼き肉が食べたくなっているらしかった。昼のうちに近所の八百屋に出かけ、買い物を済ませていたけれど、そこで買ったのは冷凍餃子だったり日持ちするものが多いので、予定を変更してキッチン焼き肉をすることに決める。白山上にあるスーパーで焼き肉セットと、ちょっと高級な肉と、それにキムチともやしのナムルを買っておく。「焼肉はしもと」と書いた紙を玄関に貼っておくと、知人が勢いよく玄関を開ける。「じゃあ今夜は焼肉にしようか」とは伝えていなかったので、「焼肉はしもと、出たやん!」と嬉しそうだ。キッチンに立ちながら焼き肉をする。パソコンを置き、千鳥の『相席食堂』を流し、ふたりで身をよじりながら笑って、満腹になるまで肉を焼いた。

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