5月20日

 8時に目を覚ます。急いで洗い物に取りかかる。昨日は鍋やら網やらおろし金やら、使った道具や皿が多いので、時間がかかってしまう。コーヒーを淹れるのは諦めて、急いでシャワーを浴び、9時13分発の南北線に乗り込んだ。通路にある「東京メトロからのお知らせ」という掲示板には、いつもお出かけ情報がたくさん貼り出してあるのに、今は真っ白だ。この時間帯だとさすがに席はみっしり埋まっていて、立っている乗客もちらほらいて、神経を尖らせてしまう。扉のそばに立つなら、もっと扉に寄った場所に立ってくれたら距離を保てるのに――と、こういうことは今の状況下でもなくたって思っていることだよなと確認する。「今の状況のせいで感じてしまっていることと、元からそうだったこと、分けておかなければ」と意識が働くようになった。

 9時46分に新宿三丁目にたどり着く。10時から雑居ビルの貸し会議室にて、ミーティングに同席する。そこに集まった人たちは、ほぼ2ヶ月ぶりの再会だ。「どうしてた?」「ずっとステイホームしてたよ」。「ずっとカフェイン取らないようにしてたから、こないだ久しぶりにコーヒー飲んだら眠れなくなった」「わかる。カフェインに依存してたんだなって思うよね」。なんだか夏休み明けの学校みたいだ。ミーティングというより、全員が揃ったところで、Fさんから皆に話をする。ぼくのリュックの中にはカメラが入っていて、「この状況を写真に残しておくべきでは」という気持ちも働いたのだけど、撮影の可否を(Fさんに限らず、その場に居合わせた皆に)訊ねていなかったことや、いくつか理由もあり、ただ話を聞いていた。

 12時には話し終えて、雑居ビルの外に出る。N.Aさんが「『路上』、読んだよ」と話しかけてくれる。「なんか、全然うまく言えないんだけど、すごいなって思った。何だろう、橋本さん、どんな気持ちで生きてるんだろうって思ったよ」。こうして言葉にすると、馬鹿にされているようにも読めてしまうけれど、その言葉は嬉しかった。ぼくはエッセイストやコラムニストではないので、自分が感じていることや思っていることを書くことは少ないほうだ(ただし、自分でそう思っているだけで、勘違いかもしれない)。Nさんはきっと、ぼくが書いたドキュメントをいくつも読んでくれているはずだけれど(彼女が出演する作品にまつわるドキュメントも書いてきた)、そこにはぼく個人が思っていることはさほど書いてこなかった。だからきっと、「どんな気持ちで生きてるんだろう?」という感想が浮かんできたのだろう。

 新宿を訪れるのはいつぶりだろう。せっかくだからと、新宿三丁目をひとりでぶらつく。いつだか打ち合わせをした沖縄料理店はシャッターが下りていて、5月一杯は休業すると書かれている。そのシャッターの前にテーブルと椅子を出し、ホットプレートで広島風お好み焼きを売っている男性がいた。広々としたワインバーは、ガラス戸を取っ払って昼から営業しており、3組だけ客の姿があった。向かい合ってワイングラスを傾けている。「この非常時にけしからん」だなんて思わないけれど、不安はないのだろうかと思ってしまう。よく飲みに行く新宿3丁目「F」、臨時休業中だとわかっているけれど、店の前まで行き、「お客様各位/自粛要請を受け./4/4〜5/31迄/臨時休業/致します」と太いマジックで書かれた貼り紙が出ているのを見届ける。

 「ラーメン中本」は営業していた。マスク姿である上に、前と違って坊主になっているのに、ぼくが店に入るなりマスターが顔をほころばせる。客商売をやっている人はどうやって顔を見分けているのだろう。しタンメンと、それにビールを注文した。店内はサラリーマンで賑わっていたが、カウンターはひと席空けて、テーブル席は互い違いになるようにお客さんを座らせている。思い返してみると、最後に新宿を訪れたのは2ヶ月近く前、原稿のチェックをしてもらうために「ラーメン中本」に飲みにきたときだ。タンメンを啜り、会計を済ませて店を出ようとすると、「先生!」とマスターに呼び止められる。この店で「先生」と呼ばれていたのは坪内さんだから、そんなふうに呼ばれると申し訳なくなってしまう。「今はまだ昼しかやってないけど、そのうちまた夜も営業できるようになると思うから、また飲みにきてください」とマスターに見送られ、店を出る。

 本当はこのまま帰途につくつもりでいたけれど、こうして遠出したからには、今日のうちに行っておかなければという気持ちが湧いてくる。『ユリイカ』の坪内さん特集の中で、ぼくは3つのお店に出かけ、話を聞かせてもらった。そのうち、「浅野屋」には先月立ち寄り、「ラーメン中本」にも顔を出すことができた。残るは1軒、「味とめ」である。昨日、「味とめ」のおかみさんから留守番電話が入っており、『ユリイカ』を読んで店にきてくれたお客さんがいたことと、またぜひいらしてくださいという言葉が残されていたのだ。副都心線で渋谷に出て、東急田園都市線三軒茶屋にたどり着く。街は賑わっていて、3月11日と何も変わっていないように見えてくる。「味とめ」の暖簾をくぐり、カウンターに座る。定食を平らげているお客さんもいれば、昼酒を楽しんでいる常連ふうのお客さんもいる。そこで「いや、その節はどうも」なんておかみさんに話しかけるのもはしたないので、日本酒を注文し、カウンターでちびちび飲んだ。

 ツマミにおしんこ盛り合わせを頼んだところで、店員のお姉さんが「あ」と気づく。すみません、髪型が全然違うから気付きませんでした、と。こちらこそご無沙汰してしまってすみませんと頭を下げ、日本酒をもう一杯飲んだ。おかみさんは他のお客さんに「こないだね、坪内先生のことを特集した『ユリチカ』って雑誌が出てね、私がしゃべったことも書かれちゃったんだけどね、だけどそれが雑誌の中でいちばんよく書けてた」と言っているのが聞こえてくる。お会計をしてもらったあと、帰り際におかみさんにもご挨拶する。「あ、橋本さんじゃないの、なんだよ来たなら来たって言ってよ」とおかみさん。またきますと告げ、地下鉄を乗り継いで千駄木まで引き返す。「やなか珈琲」でコーヒー豆を注文し、焙煎が終わるまでと、「往来堂書店」を覗く。ほろ酔いであることも手伝って、何も気にせず何冊か手に取り、レジに向かう。そのうちの1冊は「いつか読もう」と思っていた角田光代訳の『源氏物語』で、今日の昼、Aさんがこの本を手にしていたことを思い出し、買ったのである。会計は1万円をゆうに超えていた。その数字を見て、あれ、今月家賃払えるんだっけと我に返る。確定申告の還付金が入るだろうと思っていて、今月は昨年に比べるとがくんと収入が落ち込んでいるとはいえ、どうにかなるだろうと思っていた。でも、今のところ還付金が振り込まれる気配はなかった。

 しばらく酔いを覚まして、5月15日におこなった取材のテープ起こしに取りかかる。あと少しで終わりだというところで知人が帰ってきたので、塩豚と青梗菜の炒め物を作ってもらう。テープの中でセトさんが話している言葉がとても面白く、コンロで鍋を振る知人の耳元にノートパソコンを近づけ、1分くらい音源を聴かせる。夜、いくつか録画を観たあとで、サイレンススズカの映像をYouTubeで検索し、新馬戦から観る。知人がどうしてこれを見せるのかと抗議する。最後に宝塚記念の映像を再生すると、快調に走っていたサイレンススズカが大欅の向こうを過ぎたあたりでがくんとつまづくような動きを見せ、失速してゆく。「沈黙の日曜日」というこの実況が、当時から鮮烈に残っている。知人はぼろぼろ涙を流していた。