7月2日

 4時過ぎに目を覚ます。まだ眠いが、ここで眠ってしまうと寝坊してしまうので、ケータイをぽちぽちいじって過ごす。シャワーを浴びて、6時にアパートを出る。日暮里から6時24分発のスカイライナーに乗る。2号車にはぼくも含めて3組だけ。車内からジェットスターのサイトにアクセスし、座席を確認してみると、隣の席が選択できなくなっている。不安になりつつ成田空港にたどり着き、チェックインカウンターへ。確認してみると、ネットから選択できなくなっているだけで、現在のところ空いているらしかった。このまま埋まらないことを祈りつつ、荷物を預け、「ローソン」(成田国際空港第3旅客ターミナルビル店)でミックスサンドとアイスコーヒーを買い、保安検査場へと急ぐ。入り口で国土交通省厚生労働省が作成した案内が配られていた。「国土交通省からの要請」として、「ターミナルビルや航空機内では、旅客同士での会話はお控えいただくとともに、マスクの着用をお願い致します」とある。

 成田空港第3ターミナルの保安検査場はシステムが新しくなっていて、まだ戸惑ってしまう。今までは並んだ順に荷物をトレイに乗せて、検査場を通過していたけれど、今は荷物を準備できた人から検査場に向かう仕組みだ。この仕組みだと、支度に時間がかかる人がいても渋滞せずに済むけれど、なんだか急き立てられているようで落ち着かない。時間がかかっている人を追い抜かないといけないのも抵抗がある。検査場を通過し、出発ロビーに向かうと、人が溢れていて「おお……」と立ち止まってしまう。6月15日に羽田から那覇に向かったときに比べると、格段に旅行客が増えている――というよりもほとんど全員観光で沖縄に向かうのだろう。搭乗口の近くはあきらかに密なので、登場が始まるまで遠巻きに待つ。これはもう、東京から出発する便で沖縄に向かうにはぎりぎりのタイミングだったなと思う。ジェットスター303便に乗り、25Fに座る。隣には誰も座らないまま飛行機の扉が閉まり、ほっと胸を撫で下ろす。

 機内はずっとにぎやかだった。保安検査場の入り口で配られた紙を誰も読まなかったのだろうか。それとも皆、読んだ上で、アナキストとして「政府の要請なんかで口を塞がれてたまるか」と会話しているのだろうか。こどもの声が響く。さすがにまだ家族旅行は早いのでは――と、頭のどこかで考えていることに気づき、自分でぞっとする。9年前は世の中の自粛ムードに対して(個人的に)反発していたというのに(たとえば、「こんな大変な時期にお酒を飲むなんて不謹慎だ」という気配に対して、「じゃあいつになったら不謹慎じゃなくなるんだよ、お前らの中では時間が過ぎればもう気にかけなくていいことになっていくのかよ」と、誰に言われたわけでもないのに感じていて、頻繁に飲みに出かけていた)。家族旅行をしている人たちに対して「まだ早いのでは」なんていう筋合いは誰にもないのだと頭ではわかっているし、「じゃあ、家族連れは今年はどこにも出かけず、家に籠っていろと言うのか?」と、自分で自分に思う。しかし、この時期に旅行に出かけたとして、心から楽しめるのだろうかという疑問は残る。

 定刻より10分遅れて、那覇空港に到着し、バスでターミナルまで移動する。これだけ乗客がいるのだから、ゆいレールには乗らないほうがいいか――でもタクシー代にお金を使うよりも飲み食いにお金をかけたい――と悩みながら、「もし車内で密になるようだったら引き返そう」と、ゆいレールのりばに向かう。そこにはほとんど観光客の姿はなかった。県庁前駅でゆいレールを降りて、ホテル国際プラザに荷物を預け、界隈を散策する。「市場の古本屋ウララ」をのぞくと、「早かったですね」とUさんが言う。前にきたときには「次は8月とかになるかも」と伝えていたのに、10日と経たないうちにまた那覇にいる。飛行機はどうでしたかと言われ、かなり混んでましたと伝えると、Uさんがしばらく言葉を探すように考え込んだ。このあたりは前と全然変わらないので。Uさんにそう言われてみると、たしかに市場の界隈にはほとんど観光客の姿は見当たらなかった(国際通りも同様で、7月になってもまだ休業を継続しているお店も少なくなかった)。さっき乗ったゆいレールががらがらだったことを思い出す。ほとんどの旅行客は空港でレンタカーを借りてリゾート感のある場所に向かったのだろう。90年代までは、那覇には観光スポットが少なく、観光客は那覇を素通りしていた――そんな話を、昔話として聞いたことを思い出す。

 界隈をひとしきり歩き、「上原パーラー」でネパールカレーを買う。「こっちに住んでるんですか、泊まってるんですか?」とお兄さんに尋ねられ、今は国際通りに泊まってますと答える。パラソル通りでカレーを平らげたのち、明日取材させてもらう約束をしてあるお店にお邪魔して、器を買う(少し前にどんぶりを1個割ってしまっていた)。名刺を渡し、明日はよろしくお願いしますと挨拶。汗が噴き出てくるので、「喫茶スワン」でアイスコーヒーを注文し、涼む。ケータイを確認し、東京都の今日の新規感染者は100人を超えると知る。あー。これはまた、しばらく移動しづらい日々がやってくるだろう。しかし、感染者が増えつつあったのに、政治が何の対策も施さなかったのだから当たり前の話だ。

 「これ、前に見せたよね?」と、「喫茶スワン」のママが冊子を見せてくれる。それは大学のゼミが制作した冊子だ。それは観光学部のゼミで、フィールドワークとして沖縄を訪れたときの論文やエッセイが収録されており、「喫茶スワン」もそこに登場する。その論文の中で『市場界隈』も引用されており、ぼくにもその冊子を見せてくれたのだ。その冊子が一昨日からネットで波紋を呼んでいた。その中には小さな食堂を取材したエッセイがあることは知っていた。それを買いた学生は食堂に3日間通ったらしく、学生は「食べたり飲んだりして楽しく過ごし」、常連客がこの学生の「食べ物・飲み物のお金を払ってもらいとてもよくしてくれた」という。そしてエッセイの中で学生は、「いつでも立ち寄ってゆっくりとした時間を過ごすこのとのできる『休憩所』や『交流の場』、人によっては『居場所』として機能している」と「分析」する。前に読ませてもらったとき、ざっと目を通しながら、いかにも表層のイメージをなぞった文章だなとだけ思って、あまり気に留めることもなかった。

 数日前、「喫茶スワン」を訪れたお客さんがその食堂の名前を口にしたので、ママはこの冊子のことを思い出し、そのお客さんに見せたのだという。そのお客さんというのは、エッセイに書かれた食堂の常連さんであるらしく、やっとどこの学生だかわかった、と憤っていたのだそうだ。その学生は、大学のゼミのフィールドワークをしておきながらも、お店側にはその主旨を伝えず、数日間黙って居座り続けたのだという。そのお客さんによれば、学生が何も注文せずにずっと居座るので、せめて何か取りなさいと代わりに注文し、食事を食べさせたのだという。その通りだとすれば、ひどい話だと思う。ひどいというのは、その学生がというよりも、ゼミの教官が、だ。フィールドワークに出る前に、せめて最低限の指導をしないのだろうか。しかし、大学という場所で何かを学べた実感がぼくにはないので、そんなものなのだろうなとも思ってしまう(「だから指導教官には責任がない」という話ではもちろんなく)。

 ぼくが気にかかったのは、この食堂を知ったきっかけとして『食べログ』が挙げられていることだ。「そこでは『沖縄返還以前から』『大きい天ぷら』『入りづらいが温かい雰囲気』などの情報が書かれてい」て、「もともと個人経営の食堂に興味があった私は、1人でお店に行くことは東京でも滅多にないのに行ってみたいという好奇心にかられて、たずねることを決めた」という。ここに問題の核心があるように感じる。「個人経営の食堂」に興味があるのに、「1人でお店に行くことは」「滅多にない」のだ。こんなことを率直に書いてしまうことは、皮肉ではなく、少し尊敬する(ただ無意識なだけなのだろうけれど)。これは、今の大学生ぐらいの世代の率直なリアリティなのだろう。おばあさんが一人で切り盛りしている食堂に、一度も訪れずに育った人からすれば、それはほとんどテーマパークに見えるのだろう(だからそれを調べるのも、フィールドワークでありながら食べログを用いたのだろう)。そんな人たちに、どこから何を教えられるだろう。

 この学生は、食堂に居座る時間の中で、「前に授業で沖縄の父系のつながりである門中について学んだことを思いだし」、地元のお客さんに対して「沖縄には門中っていうのがあるんですよね?」と質問している。あるいはまた別のタイミングでは、「せっかくの機会なので沖縄について知ろうと思い」、「何日か前に知ったヘチマをよく食べるという情報をもとに」、「沖縄ではヘチマを食べるんですよね?東京ではほとんど食べないですよ」とお客さんに語りかけている。ほんとうに、とても率直に綴られたエッセイだ。門中のことなんて、いきなり切り出す話ではないだろう。あるいは、ヘチマの話にしても、どうしてわざわざ「東京ではほとんど食べないですよ」なんて付け加えたのだろう。その語りかけ方は、「東京の人間が食べないようなものをあなたたちは食べている」と言っているようなものだ。

 どうして「東京ではほとんど食べないですよ」なんて言わないほうがよいのか、どうすればこの学生に伝えられるだろう。

 その学生が研究者を志しているのであれば、研究に求められる倫理としてそれを伝えられるだろう。しかし、大学生の多くは別に研究を志しているわけでもなく、普通に就職してゆく。そこでは「東京ではほとんど食べないですよ」という物言いはさほど問題にされることもなく、温存されてゆくだろう。

 ドライブインの取材をしていたときに、ネットを検索していると、ドライブインを訪ね歩く動画を見かけた。カメラを構えながらお店に入り、テーブルにカメラを起き、店員とのやりとりを映し、店内の様子や料理のレポートをしていた。おそらく突然押しかけて、断りもなく撮影していたのだろう。そうやって無断でアップされた過去があるのか、「取材」という言葉を出した途端に嫌悪感をあらわにされたことも何度かある。動画を無断で撮影するのは、今の時代はまだ「それはひどいのでは」と感じる人のほうが多数派だと思うけれど(それだってそのうち変わってしまうだろう)、では食べログに、インスタグラムに、店員の写真を撮ってアップすることだとどうなるだろう。初めて行ったお店で無断で撮影する人は少ないかもしれないけれど、何度か行ったことのあるなじみの店であれば、相手に「この写真をアップしてもよいですか?」と逐一確認する人は少ないだろう。その感覚というのも、ぼくはこの学生とどこか通底しているように感じる。

 それとはまったく別の問題として、やはり「書く」ということはまったくもって余計なことだ。それをわかった上でも、どうしても書き残しておきたいと思ってしまう。

 また日記が長くなってきた。

 「喫茶スワン」では書評の原稿を書いていた(飛行機の中でもずっと考えていた)。ああでもない、こうでもないと考えながら一度書き上げたものの、なんだかうまいこと行っていない気がする。知人に送ってみるも、やはり「なんかよくわからん」と返ってきた。仕方がないことではあるけれど、気合いが入り過ぎている。14時半、「ローソン」(国際通り松尾店)で2リットルの水を買ってホテルにチェックイン。部屋ではずっと『D・V』の取材のテープ起こしをしていた。18時過ぎにそれが完成し、次は先週の竹富島のテープ起こしに取り掛かる。19時頃になるとお腹が減ってきたので、シャワーを浴びて外に出る。まずは「パーラー小やじ」で生ビール。ジョッキがキンキンに冷えていて、唸りながら飲んだ。

 20時、「東大」に電話をかけてみる。営業再開から日にちが経ち、お店のインスタグラムも始まったことで、6時半からの営業になったという情報が周知されてきたのでは――だとすれば早い時間からお客さんで一杯になるのでは――と気になって電話をかけてみたのだが、カウンターに空席があるというので、「15分後に伺います」と伝えて栄町に歩き出す。お店に入ると、カウンターにはもうボトルが置かれていた。まずはゴーヤの黒糖酢漬けと、ミミガーとマメの刺身を注文。「営業を再開してから、シャッターを開けても誰もお客さんがいない日が続いてたけど、今日は初めて2組並んでるお客さんがいた」と、店主のMさんは嬉しそうだ。21時半に長蛇の列ができていた頃が遠い昔のように感じられる。