8月4日

 7時過ぎに目を覚ます。布団のそばに置いておいた『東京骨灰紀行』を読み始める。しばらくすると、つけっぱなしのテレビから『モーニングショー』が始まる。沖縄でコロナの感染が拡大していることが報じられるなかで、コメンテーターが「沖縄は観光業で成り立っている」「8月に観光をストップさせるのかとなれば、そうもいかないだろう」という旨のコメントを口にする。続けて玉川透が「これだけ逼迫してきたら、沖縄県は医療体制を拡充するべきだ」と語る。この番組は沖縄でも放送されているはずだ。こんなふうに語られて、どんな気持ちになるだろう。「沖縄は観光業で成り立っている」という物言いも、(68日連続で新規感染者ゼロを保ってきたのに、「県をまたぐ移動が“解禁”」とメディアで報じられた半月後から感染者が出始めた沖縄に対して)「県は医療体制を拡充するべきだ」という物言いも、沖縄に暮らす人にはどう聴こえるだろう――そんなことを思い浮かべていると、コメンテーターの青木理が割って入り、「沖縄も予算が限られているから、これは国の予算で対応するべきだ」とコメントしていた。

 午前中は企画「R」に必要な資料を読む。じっくり読みたいところだけど、時間が限られているので、原稿に必要な箇所を探るように読んでゆく。お昼は納豆オクラ豆腐そば。食後に郵便受けをのぞきに行くと、通販で注文した資料がどさどさ届いている。郵便物の中にレターパックがある。本が入っているとは思えない薄さだ。差出人を見てぎくりとする。それは5500円の資料を注文した古書店だ。ぼくからするとなかなか値が張る資料だけれども、横浜と神戸で移住に関する資料館を見学するうちに「もっと移民宿であるとか、移民する人たちがどんなふうに過ごしていたのかがわかる資料に触れたい」という気持ちになり、「日本の古本屋」で検索してヒットした『神戸移住斡旋所案内』という資料を、旅先で気が大きくなっていたこともあり注文したのだ。神戸に点在した移住を斡旋する施設のガイドブックみたいなものを想像していたのだが、この薄さはどういうことだろう。そわそわしながら開封すると、薄い冊子が出てくる。それは、「神戸に点在した移住を斡旋する施設」の案内ではなく、まさに先日見学した「移民収容所」(のちの「移住斡旋所」)の施設案内だ。これはあの資料室で見れたかもしれないなと落胆しつつ、それでもいちおう目を通していると、それでも少し読みどころがある。この案内がつくられたのは昭和28年、海外移住が再開されてまもない頃だ。

 午後は福田和也『地ひらく』を読み始める。単行本版は実家の段ボールの中にあるけれど、両親に探してもらうのは大変だから、文庫版を買って読んだ。字がぎっしり詰まっていて、なかなかページが進まないけれど、とても面白い。この本をあらためて読もうと思ったのは、どうして満州国という「夢」を描くに至ったのかが知りたかったからで、この本を読んでいるとその輪郭に触れられるような気がする。あちこち付箋を貼りながら読む。たとえば、「革命の中国」という章では、大正13年に最後の来日を果たした孫文が神戸の県立第一高等女学校(現・県立神戸高校)で行った通称「大アジア主義講演」への言及がある。孫文は、西洋文明は科学の文明であり、科学を武力に転じる「覇道」の文明であると説く。対する東洋には仁義・道徳の文化にもとづく「王道」の文明があり、この王道をもとにした「大アジア主義」によって諸民族の連帯が必要だ――と。そして、孫文の側近だった人物の甥にあたる男性による「あなたたちの国は、どうして覇道を求めたのですか」という問いかけに、著者はこう記す。

 

 この言葉は、未だに私たちにとって厳しい響きをもっている。

 その厳しさとは、日本人が、昭和の歴史の中で犯してきた多くの誤りや罪の重さや、あるいはそれらの過去を私たちが直視するとともに清算できていないことからのみ、生じているわけではない。

 そのような罪悪と同時に、こうした中国の問いかけに対して、正面から明確に応じることの出来ない蟠りというか、屈託のようなものを私たちが今日なお抱いているからである。

 蟠りとは、けして単純な自己正当化や、難しい事情があったというような「三分の理」に通じるものではない。

 むしろ、日本人自身にもわからない、把えられない心のくびれなのである。私がこの稿を書いているのも、その蟠りを、自分なりに把えるための試みといってもいいかもしれない。

 

 それにしても、この連載が始まったときに福田さんはまだ35歳だったのかと驚かされる。午後はずっと『地ひらく』を読んでいた。15時過ぎに実家から宅急便が届く。チャイムが鳴ったとき、「玄関に置いておいてください」と伝えて、10分くらい経って取りに行くと、段ボールはかなり熱くなっている。包みを開けるとむわっとした空気が出てくる。畑で採れた枝豆が送られてきたのだが、その一部は傷んでしまっている。10分放置したあいだに傷んだわけでもないだろう。この季節に普通の宅急便で送ると、どうしてもこうなってしまうだろう。次からはクール便で送ってほしいと実家に連絡するべきなのだろうけれど、憂鬱になる。枝豆を育てるのに何日くらいかかるかわからないが、苦労して育てた野菜が発送方法によって駄目になったと知ると、きっと落胆するだろう。かといって伝えなければまた繰り返されてしまう。

 大阪府知事が「うそみたいな本当の話をさせていただきたい。ポビドンヨードを使ったうがい薬、目の前に複数種類ありますが、このうがい薬を使って、うがいをすることでコロナの陽性者が減っていく」と記者会見した様子が、Twitterに流れてくる。府知事の前にあるテーブルに、イソジンをはじめとするうがい薬が並んだ写真も見かけた。こんな情報が堂々と発信され、イソジンを買いに走る人が急増するのだと思うと、底が抜けたような気持ちになる。とっくの昔に底は抜けているのだけれど、まだ抜ける底があるのかという感じ。それとは別に、先日読んだH.Kさん「日記」に、イソジンの話が出てきたことを思い出す。イソジン的なやつでうがいをして、ぺっと吐き出す。イソジン的なうがい薬は色がついているから、丁寧に吐き出したつもりでも、思った以上に洗面所に飛び散るのが一目瞭然だ。丁寧に吐き出したつもりでもこんなに飛び散っているということは、普段の歯磨きやうがいのときはどれだけ飛び散っているのか――と、「日記」に綴られていた。

 その記述に、「ああ、それ!」となる。ぼくもしばらく前にイソジンを買ってうがいしたとき、なるべくそっと吐き出したつもりだったのに、うちの狭い洗面台に茶色いしぶきが飛び散り、慌ててキッチンペーパーで拭き取ったことを思い出す。それ以来、イソジンでうがいをするときは風呂場に行き、吐き出したあとにシャワーであたりを流すようになった。ただし、そんなふうにイソジンでうがいをしたのもせいぜい10回以下で、結局イソジンを使うのが億劫になり、残ったイソジンが洗面台の近くに放置されている。そもそも、どうしてイソジンを買ったのか、今では思い出せなくなっている。この状況になるより前に買ったはずだけど、何のためにイソジンを買ったのだろう。記憶が曖昧だ。

 知人は20時近くになって帰ってきた。長芋のソテーとこんにゃくの麺つゆ煮を作り、乾杯。今日は特に面白い番組も溜まっていた録画もなく、ビールを飲みながらぼくは引き続き『地ひらく』を読み進める。ツマミがなくなったところで、野菜と一緒に実家から送られてきた「かきカレー」を温め、知人とシェアして平らげる。「こういう(お土産として売られている)のって侮ってたけど、うまい」と知人が言う。牡蠣は3個入っていたので、最後の1個は知人に譲る。22時になって『報道ステーション』が始まると、今日は全国で猛暑となったと報じている。日射しの照りつけるなか、「この暑さでもマスク姿が目立ちます」と記者が語る。たしかに真夏にマスク姿が溢れているのはこれまで目にしたことのなかった風景ではある。椅子に並んでアイスクリームを頬張りながら、インタビューに答える高齢の女性の姿が映し出される。この暑さでマスクをしていると熱中症になってしまう、密にならないように気をつければマスクをしなくても大丈夫なのではと女性は語るが、そう答える彼女のすぐ隣にはまた別の高齢の女性が座っている。