8月29日

 今日はライブの現場があるということで、知人は7時過ぎには出かけてゆく。ぼくは二度寝して、炊飯し、9時半にたまごかけごはんを平らげる。ハードディスクレコーダーを整理し、何枚かブルーレイに焼いたのち、11時頃から昨日の録画を観始める。「この作業はものすごく時間がかかりそうだな」とすぐに気づく。出演者の発言を逐一起こしながら再生しながら、これは原稿として面白い内容にならないのではと思ってしまう。すでにSNSでは辞任に対してさまざまな言葉が溢れ、分析も出始めているなかで、「テレビ番組で誰が何を言ったのか?」ということが“今すぐに”意味を持つのは難しい気がしてくる。

 今日の録画で、一番早い時間に始まった番組は『週刊ニュースリーダー』だ。まずは総理の健康状態についてスタジオでトークが交わされる。アナウンサーの小木逸平が「会見はマイクを通じて聞こえてますので、われわれも普通に聴こえてますけど、会見状にいた記者によると、非常に声が小さかったと、いうようなこともありました」とコメントする。コメントを求められた弁護士の菊池幸夫が「前回、比較的長い政権であった小泉政権のあと、日本はもう、毎年のように総理がですね、6、7年に渡って変わるっていう時代がありましたのでね、その再来にならなければいいなって思ってます」と語る。たしかに、混迷を極めた時代によって「なにより安定を」という気分が生まれ、それが長期政権につながったのだろうけれど、小泉政権が、安倍政権の是非よりも、長期にわたる安定政権をのぞむムードがあるのだなと思う。

 スタジオには元テレビ朝日の官邸キャップで政治ジャーナリストだという細川隆三という人物がいた。総理の健康問題についてトークが交わされていたタイミングで、「(病気が再発したとされる8月上旬ごろ、)総理の“ぶら下がり”って言ってね、マスコミがマイクを出して総理が答える、あの総理の声を聴いて、非常にね、力がなかったんですよね。お腹から声が出てないなっていう印象がありました」と語っていて、そんな憶測が交わされることに、うっかり総理大臣に同情してしまいそうになっていた。病気になった人間は、総理大臣の職に就いていられないのだろうか?――そんな素朴な疑問を発すれば、「総理がどれだけ激務か知らないからそんなことを言うんだ」と返されて終わるのだろうし、実際体調が悪いままでは続けるのがとても困難であるのだろう。でも、多少健康状態に不安がある人でも、それをうまくコントロールしながら仕事ができる時代に向かうべきだろう。そこで「あ、総理の声が弱々しいな、そろそろ交代か」とまなざしを向けられるということが、好ましいことだとはとても思えない。だから、このコメントにはとてもひっかかるものがあった。しかし、この政治ジャーナリストは、「ポスト安倍」に関して話しているときには、おお、と思える言葉を語っていた。

「ぼくは安倍総理に物足りなさを感じていたのは、このコロナの対応で、国民を安心させるメッセージを出してこなかったっていうところが、ぼくはちょっと、安倍総理のコロナ対応というのは、記者会見やったって、プロンプターでしゃべってましたから、伝わらないですよね。昨日はプロンプターなかったんです(…)これはもう、どなたがなっても大変だと思うんですけど、ぼくは次の総理には、国民に対するメッセージを、安心させるメッセージを発信してほしいと思います」

 それを受け、コメンテーターとして出演していた石原良純もこう語る。「そうすると、今度僕らは――政治家は鏡ですよね、国民の鏡であるわけで、その中で僕ららは何を望むのかっていうことをね、整理していかないといけないときに――どっちなんだろう。安定なのか、でも今の安定って、なんていうか、漠然とした不安の中の継続ですよね。それなのか、一歩進めるかって思ったときに、じゃあ誰に託すって言ったら――」そこまで語ったところで、司会の城島茂が話を菊池幸夫に振り、話は中断された。

 

 「ポスト安倍」について“予想”が交わされているとき、スタジオにはボードが用意されていて、「本命」「対抗」「大穴」にブロックを分け、政治アナリストの伊藤淳夫と政治ジャーナリストの細川隆三の“予想”に基づき、アナウンサーの小木逸平が政治家の顔写真をボードに貼り付けてゆく。最初に名前が挙がったのは菅と岸田と石破で、この3人の顔写真が貼り出されたあと、追加で誰かが貼られることはしばらくなかった。ずいぶん経ったあとで、「サプライズがあるとすれば河野太郎」という言葉に、小木逸平が写真を手にとり、嬉しそうにボードに貼りつける。「小木さん、よかったですね」と城島茂が声をかける。「全然使えなかったのが、ようやく使えるようになりました」と小木が答える。候補者として名前が挙がりそうな政治家の写真をたくさん用意していたのに、3人以外は写真の使いどころがなかったのが、ようやく使えるようになって喜んでいるらしかった。

 

 どの番組を眺めても、こんなふうに“予想”が繰り広げられている。この人たちは、そしてこれを観ている視聴者はどの立場から眺めているのだろうかと不思議に思う。ひとりの庶民として、「まあ別に、誰が総理大臣になったって変わりはないんだし、俺が選べるわけでもないんだから、勝手にやってくれ、まあこっちはレースを観戦するような気持ちで楽しませてもらう」というつもりなのだろうか。それとも、自分たちのことを「選ぶ側に近しい存在」のように認識して、ポスト安倍の“予想”をしているのだろうか。ぼくは前者のように割り切ることもできないし、後者のように自分をインサイダーかのように錯覚することもできず、呆然としてしまう。

 正午過ぎ、作業を中断してセブンイレブンへ。ビャンビャン麺に目を惹かれたものの、具材にキャベツがのっかっているのを見て躊躇う。セブンイレブンの麺類に入っているキャベツの味が苦手だ。結局、隣に並んでいたホッケン・ミー(シンガポール風焼きそば)を選んだ。ウマイ。午後もひたすらコメントを拾う作業を続ける。しばらく悩んだけれど、15時過ぎ、Mさんに「昨日電話した件はご放念いただけませんか」とLINEで送信する。申し訳ない限り。夕方は来月に公開される企画「R」に向け、資料を読んだ。

 19時、丸美屋の素で麻婆豆腐を作り、缶ビールを開ける。今日も知人が不在なので、どこかに飲みに出かけようかと思ったけれど、新宿は昨日出かけたばかりだ。他にも行きたい場所はいくつかあるけれど、この状況下で神経質にならずに過ごせるだろうかと考えてしまう。それに、今日のうちに資料を少し読み進めておきたいところでもある。資料の何冊かは文庫本だけれども、酒場で本を読むのは気が引けるところもある(気兼ねなく本を読みながら飲める場所もいくつかあるけれど)。

 結局、21時頃まで自宅でチューハイを飲んで、手ぶらでアパートを出る。根津神社の境内には誰の姿もなく、「怖いな」と口に出すことで気持ちを落ち着かせながら歩き、根津のバー「H」へ。もしかしたら22時閉店かもと、この時間にやってきたのだが、もう少し遅い時間まで営業しているようだ。ハイボールを2杯だけ。アパートに戻り、本を読みながら知人の帰りを待つ。この状況になってからというもの、ほとんど毎晩のように知人と一緒に飲みながらテレビを観て過ごしてきた。「観たい番組は、知人と見るときまで取っておかないと」という気持ちになるので、録画を再生する気にもならず、かといって何も気にせず飲み歩ける状況にはなく、知人がいないとこんなにも手持ち無沙汰になるのかと、この二日間焦っている。25時頃にタクシーで帰ってきた知人にビールを差し出し、乾杯してすぐに眠りにつく。