9月13日

 8時頃に目を覚ます。自宅で飲んでいる時に比べて、昨晩はたくさん飲んだはずだけれども、やはり外だと気を張っているのか、酒が残っている感じは薄かった。しばらくホテルで『AMKR手帖』の原稿を書いたのち、11時にホテルをチェックアウトし、元町高架通商店街を端から歩く。7月31日の深夜に歩いた時にくらべて、昼なのにシャッターが下りている風景のほうが寂しさをおぼえる。「モトコー6」まで歩いたところで高架を離れ、大通りに向けて進んでゆく。途中で住宅展示場があり、イベントが開催されていた。そうだ今日は日曜日だったんだと思い出す。神戸駅を通過し、稲荷市場を目指す。わかりきっていたことだけれども、空き地だった場所ではもう工事が始まっていた。

 ホルモン焼きのお店と、お好み焼き屋さんと、店内の様子を伺いながら通り過ぎる。ホルモン焼きのお店には誰もおらず、お好み焼き屋さんのカウンターはほぼ満席だ。ホルモン焼きを何本か食べて行こうかなと、通りを通過した先に佇みながら考えていると、あとから5人組のお客さんがやってきて、ホルモン焼き屋さんに入ってゆく。今日は入店を諦め、神戸駅まで引き返す。お腹が減っている。このまま大阪に移動しようかと思ったけれど、大阪のどこでお昼を食べればいいのか、お昼を食べたあとにどこで過ごせばいいのか思い浮かばず、元町駅で電車を降りて「MT食堂」に入り、瓶ビールと腸詰を注文。店の前をフェイスガードをつけた人が通り過ぎると、店員さんたちがそのことを囁き合っている。そんなに珍しいのだろうか。瓶ビールと肉飯を追加で頼んで、腹を満たしたところで店を出る。

 メリケンパークを目指して歩いていると、「スターバックスコーヒー」(神戸元町駅前店)のテラス席が目に留まり、アイスコーヒーを飲みながらそこで原稿を書く。隣に高校生の5人組がやってきて、大声で話し始める。途中で音楽を流し始めたので、さすがにそれはないだろうと、じっと視線を送る。それにしても、高校生たちの、あえて気怠そうに話すその語り口が、ヤンチャな役を演じるときの菅田将暉にとても似ている。今の高校生たちにとって、彼はロールモデルなのかもしれない。1時間ほど原稿を書いたのち、「ジュンク堂書店」(三宮店)に立ち寄り、『神戸闇市からの復興 占領下にせめぎあう都市空間』と『神戸とコーヒー 港からはじまる物語』、それにかまいたち特集の『クイック・ジャパン』を買う。

 三ノ宮駅から新快速に乗る。端っこの車両は空いている。さっそく『クイック・ジャパン』を読み始めると、巻頭に収録されたそれぞれのインタビューが、あまりにも短くでぎょっとする。『クイック・ジャパン』のインタビューといえば、それなりのボリュームのロングインタビューだという印象があるだけに、驚く。どうしてこんなに短いのだろう。「特集するならロングインタビューを」という感覚自体が今のモードに合わないということなのだろうか。あるいは、今の時代の読者に読んでもらうには、短くなければ通読してもらえないという判断が働いているんだろうか。いずれにしても、今後の方向性を考えなければと思わされる。大阪駅で新快速を降りて、「蔦屋書店」を眺めながら、書評するべき本はないかと考える。大学生くらいの男女が棚を眺めて歩きながら、「こういう、哲学っぽい感じの本が棚に並んでたらかっこいいよね」なんて話している。いつから書店はこんなふうに、誰かと会話しながら過ごす場所になったのだろう。そんなふうに散歩コースになることで、せめて人が行き交うようにという試みはわからないではないけれど、それによって何が引き継がれてゆくというのだろう。棚を見ている人たちが棚の前に立っているのであれば「その棚は後で見るか」と思えるけれど、雑談している人たちによって棚が見れないというのはストレスが溜まる。

 大阪駅のコインロッカーにほとんどの荷物を預けて、大阪環状線に乗り、京橋で電車を降りた。右も左もわからないまま、近くの改札を出てみると、空襲の慰霊碑が建っていた。寝屋川を渡り、大阪城公園に向かう。途中のコンビニで缶ビールを2本、月桂冠の「THE SHOT」を2本、それに鮭おにぎりを買う。おにぎりを頬張り、缶ビールを飲みながら進んでゆく。あれ、お酒は持ち込めるんだろうかと今更ながらに調べてみると、「瓶と缶の持ち込みは不可」とある。缶ビールは飲み干したものの、日本酒はどうしようかと思いながら、サコッシュに忍ばせ、大阪城音楽堂に向かう。この状況下で、入場には大阪コロナ追跡システムのQRコードを読み取って登録し、それを係員に提示し、手指の消毒をし、熱を測られ、スマートフォンからチケットを提示し、ようやく会場に入ることできる。これだけの手順を踏まえるのに精一杯で――というか、「持ち込み不可」は有名無実化しているのか、普通に缶や瓶を手に入場している人の姿もある。

 最後列に回り込んで、客席と、ステージとを見渡す。こんなふうにライブ会場に足を運べるだなんて、ほんと、夢のようだ。ギリギリの時間に用を足しておき、開演を待つ。勝手に「大阪公演は弾き語り、東京公演はバンドセット」と思い込んでいたけれど、ステージ上にはバンドセットが組まれている。17時過ぎ、会場に流れていたSEが止まる。観客たちがすっと背筋をのばす。誰もがこの瞬間を待ち望んでいたのだろう。ぼくが最後にライブを観たのは、2月23日、札幌でカネコアヤノをバンドセットで観たときだ。あれはツアーの途中で、2月27日には金沢で弾き語り、3月14日には那覇でバンドセットのライブが開催されるはずだった。それから7ヶ月ぶりに、ライブを観る。

 ぼくの頭の中では、ツアーが中断され、一時停止されたかのように感じていた。でも、最初の1曲目から、「再開」ではないのだと感じる。あのとき一時停止されていたものが、再生ボタンを押されて「再開」されたのではなくて、この7ヶ月のあいだにメンバーの皆が過ごしてきた時間、その蓄積が音と、ステージとに花開いているように感じられて、たまらない気持ちになる。演奏はひたすらに格好良く、そしてメンバーが楽しそうで、それでいてカネコアヤノの歌は刺すような鋭さがある。今日もほとんどMCはなく、ほんとうに言葉が突き刺さってくるようだ。彼女にとって、ほんとうに大切な言葉だけを発語していられる場所が、このステージなのだろう。チケットが当選して、この日のライブを観ることができて、本当によかった。