10月16日

 7時半に目を覚ます。ジョギングに出るつもりでいたけれど、なんだか億劫になったのでやめにする。今日は取材2日目なので、体力を温存しておく。今日は自分で選んだ音楽を再生する気分ではなかったので、久しぶりにradikoJ-WAVEにチャンネルを合わす。現地に暮らす日本人と繋ぎ、世界の状況を伝えるコーナーをやっているところだ。ニューヨークと繋いだところで、日本人ジャズピアニストが襲われたニュースについて触れて、「アジア人を狙ったもので、日本人を狙ったものではないと思うんですけど」とコメントが挟まれてぎょっとする。

 何気なくインスタグラムを開き、過去の自分の投稿を見返す。昨日取材中に知り合った人がいて、その人がぼくのアカウントをフォローしてくれたので、自分が何を投稿していたのかと見返す。すると、8月25日に渋谷でライブを観に行く前に「ライブに行くのは半年ぶりだ」と書いているのに、9月13日に大阪城野外音楽堂でライブを観る前には「ライブを観に行くのは7ヶ月ぶりだ」と書いている。ライブを観に行くときに、それぞれ違う過去を思い浮かべていたから、こんな間抜けな投稿をしてしまったのだろう。しかし、もしご本人が観たら「こないだのライブわい」と思っただろうなと、消え入りたくなる。

 12時過ぎ、下北沢に向かう。昨日より遅い時間なので、千代田線は空いていた。車内では安岡章太郎を読んだ。

 

 井伏邸をたずねる人は大抵、このようにして数刻の雑談ののちに、阿佐ヶ谷、荻窪近辺の、つまり井伏氏の縄張りの店へ、散歩に連れ出されるもののようだ。それも故郷の話から、いきなりマタタビに転じても何の不合理も感じさせないような、じつに自然な態度で誘い出される。紺足袋に下ろしたての下駄をつっかけて、小刻みに歩く井伏さんのあとを、私は一種の夢見心地でついて行った。

安岡章太郎井伏鱒二」『セメント時代の思想』)

 

 そうして散歩に出たときの井伏鱒二の話は、「前後左右に曲がりくねり、拡がったかと思うと、また急に狭くなる」。それを聞きながら歩いているうちに、安岡章太郎は、「立ち並ぶ人家の暗い軒とネズミ色の夜空を仰ぎながら、茫漠として、何処を歩いているのか、何を話されているのか、しばしば判別に戸惑わざるを得なかった」。散歩ののちに、二人は酒場に入る。井伏さんが店員に冗談を言っている姿を眺めているうちに、「この掘立小屋めいたトタン囲いのような店が、それなりに然るべき一軒のバアらしいものになって感じられてくる」。ただし、どんなに「一軒のバアらしいもの」に感じられたとしても、実際には「掘立小屋めいたトタン囲いのような店」である。安岡は、「ほんの散歩の途中の腰掛けのつもりが、つい長引いただけのように」感じ、「中央線上りの最終電車に間に合うよう、時計を眺めて立ち上がった」。「すると井伏さんの顔が一瞬、不意に引き緊まり、きわめてソッケない口調で、」

 

「あ、そう。君は家へ帰りますか。じゃ、僕はここでしっけい」

 と、酒をみたしたガラスのコップに眼を落としたまま言われた。そのひと言で私はようやく、先輩作家を一人こんな屋台に残したまま立ち去ることのいかに無礼であるかに気が附いたが、ハッとしたときはもう遅かった。いったん浮かせた腰は再びもとの座に落ちつかせるわけに行かず、酒のこぼれそうなコップに眼を落とした井伏さんが、いったい何を考えておられるのか見当もつかぬまま、ただ自分がこの人に完全に拒否されているということを悟らされただけで、私は一目散に改札口に向かって駈け出した。

 

 この文章を読んでいると、過去に自分が「そろそろ帰ります」と言って帰った夜のことが一斉に思い出される。12時過ぎに下北沢にたどり着き、今日も取材に取りかかる。20時過ぎに帰宅すると、郵便物が届いている。それはTさんの「遺作」と帯に書かれた本だ。いそいそと開封すると、特に何も書き添えられていなかったことに少し落胆してしまう。ただリストに加えて献本されたのだと思うと、なんだかなあと思ってしまうけれど、その一方で、そこに編集部から何か書き添えられたとしても、それはそれで蛇足だと感じてしまうだろう。

 この本は『小説新潮』に連載されていたもので、連載が始まったことは知っていたのだけれども、ごく狭い土地に関する記憶について書かれたものだから、自分にはまだ読みきれないのではないかと思って、初出ではほとんどチェックしていなかった。その第二章のタイトルは「スーパー『オオゼキ』がリニューアルオープンした」だ。今日、下北沢で取材している途中に、取材相手のBさんと一緒に「オオゼキ」に出かけたばかりなので、あまりのタイミングのよさにハッとする。そして、すぐに本を通読しているあいだに思い浮かんだことがあるのだけれど、それは日記にではなく、どこかでちゃんと書いておきたい。