10月24日

 10時半にホテルをチェックアウトし、タクシーで空港に向かい、宮古島に渡る。昨日に引き続き、『cw』誌の取材だ。機内誌の取材で、空港で支社長が待ってくれていて、運転手となって案内してくれる。昼は食堂に入り、皆が宮古そばや野菜そばを注文するなか、ぼくは焼き飯を頼んだ。宮古そばは、昔は具材を麺の下に隠していたけれど、今は上にのっけるようになったのだと編集者のTさんが教えてくれる。どうして昔は下に隠していたのだろう。14時、取材が始まる。

 1時間ほどで取材が終わると、下地島空港に行ってみることになった。まずは伊良部大橋を渡り、伊良部島から下地島に向かう。この二つの島には、昔はほとんどリゾート施設なんてなかったのに、空港が民営化されたことで開発が進みつつあるのだという。海沿いにはコテージのような宿があちこちに建設されている。下地島空港はかつてパイロットが訓練するための空港だったけれど、シミュレーターの技術が向上したことで実際の空港で訓練する必要が薄れ、民営化されたそうだ。そして去年3月に新しいターミナルが建てられたのだが、いかにも南国の空港らしく設計されている。こんなふうにデザインされた空港があるのだなと少し驚く。ターミナルを出てすぐの場所にある駐車場は、レンタカー専用の駐車場だ。空港から出てすぐにレンタカーを借りられるように、動線までしっかり設計されている。

 宮古島まで引き返したあと、平良漁港に立ち寄ってもらう。『市場界隈』で「喫茶スワン」を取材したとき、初めて結婚相手の実家を訪ねた日のことを聞かせてくれた。結婚相手の実家は伊良部島にあり、当時は今のように橋は架けられていなくて、港から船で渡るしかなかった。その船というのはフェリーなどではなく、小さな船だ。しかも、ちょうど引き潮だったせいで水位が下がっており、船に飛び乗るしかなかったのだという。そこで勇気を出して飛び乗ったときに足をぶつけた思い出がある――そう話していた漁港は、おそらくここだろう。いつか宮古島を訪れる日がきたら、その港を訪れようと決めていた。別に足を運んだところで何があるわけでもないのだけれど、しばらくのあいだ港から伊良部島を眺めた。

 18時半に空港に向かって、出発前に皆で晩ごはんを食べる予定だったけれど、空港の食堂はもうラストオーダーが終わっていた。急いでお寿司屋さんに向かい、上握りとオリオンビールをいただく。宮古島では入学祝いの習慣があるのだという。家族内でお祝いするだけでなく、親戚や同僚、友人も招いて盛大にお祝いをするのだ、と。宮古島は宴席が多く、スピーチすることも日常茶飯事だから、話し上手な人が多いのだとも教わる。「ただ、今年は飲み会がまったくなくなって、夜はずっと家で過ごしてます」と支社長の方が言う。飛行機の音で機体の違いがわかるそうで、その音を聴きながら、ああ、今日も那覇行きが無事に飛んだな、東京の最終便も無事に飛んだなと思って過ごしているのだ、と。この状況になるまでは夜は付き合いが多く、家でその音を聴くことはなかったから新鮮だと話していた。

 19時20分に空港にたどり着き、お礼を言って出発ロビーに向かう。保安検査場を通過し、売店で買った生ビールを飲みながら待っていると、アナウンスが流れる。飛行機の翼にトラブルが見つかり、検査をしているため、出発が遅れる、場合によっては欠航となるとアナウンスされる。明日は朝から取材の予定が入っている。すぐにF.Yさんに電話を入れて、事情を説明すると、「大丈夫ですよ」と言ってもらえてホッとする。編集のTさんが「翼のトラブルだと、欠航の可能性が高いと思うので、とりあえず宿は手配しましたので」と耳打ちしてくれる。多くの乗客がそわそわするなか、ぼくは妙に泰然とした気持ちでビールを飲んでいた。20分ほどで何度目かのアナウンスが流れ、欠航が決まる。

 すぐにゲートをくぐり、到着ロビーに案内され、預けていた荷物が出てくるのを待つ。その作業は予定されていなかったものだから、出てくるのに結構な時間がかかったけれど、乗客の中に苛立ちを見せる人はほとんどいなかった。さっきまで一緒だった支社長の言葉を思い出す。ぼくの普段の仕事は、笑顔で座ってることです、と言っていた。飛行機が通常通りに動いているときには、出番は少ないのだろう。でも、こんなふうに緊急事態が発生したときに陣頭指揮を取るのが大きな仕事なのだ。

 ぼくが荷物を待っているあいだに、編集のTさんが便の振替手続きを済ませてくれていたので、すぐにタクシーのりばに向かう。タクシーは出払っており、5組くらいが並んでいる。ぼくたちの後ろに並んでいる女性が、ケータイで片っ端からタクシー会社に連絡して、尽く断られている。タクシー会社だってすでに事態を把握していて、急いで空車のタクシーを向かわせているところだろうから、それは断られるだろう。何を我先に乗ろうとしているのかと思っていると、あとからその女性の家族がやってきて、その理由がわかった。彼女は2家族で旅行にきていて、小さなこどもたちがグズりだすまえにどうにかホテルに向かおうとしていたのだった。

 ホテルに荷物を置いて、Tさんと近くの居酒屋に入り、乾杯する。宮古島泡盛を飲めないまま帰るのは残念だなと思っていたので、ちょっと嬉しくもある。店内はゆったりと席が配置されている上に、ビニールカーテンで座席が区切られている。飲みながら、この二日間の取材で聞かせてもらった話を振り返る。まったく会ったことがない相手のところに訪ねていって、お店の来歴だけでなく、家族のありかたについてまで語ってもらう。それはすごいことで、もしも自分がそんなふうに「家族のことを聞かせてほしい」と言われたときに、答えられるかどうか――と、Tさんが話す。

 話の流れで、取材のスタイルの話になった。そこでTさんは、「取材させてもらう方たちは取材慣れしているわけでもなく、すごく緊張しているはずだから、冗談も言えば下手なうちなーぐちも使ってみて、少しでもほぐれてくれたらいいなと思っている」と言っていた。だから自分は取材中にも口を挟んでいるけど、橋本さんはすごくまっすぐ質問されるから、もし私が口を挟まないほうがよければ口を挟まないようにしますけど、少しでも話しやすくなってもらえたらと思っている、と。自分の聞き方は、会話上手なインタビューとは言えないけれど、まっすぐ、とは思っていなかった。そういえば穂村さんにも昔、「橋本さんは(何気なく会話しているときにも)真剣を抜いてくる」と言われたことがあったなと思い出す。それも直接言われたわけではなく、人づてに聞いたのだった。

 1時間半ほど飲んだところでTさんと別れ、もう一軒ぐらい飲みに行こうかと街を彷徨う。でも、営業しているのはどこの街にでもありそうに見える店が多く、もうすでに営業を終えた店のほうが多かった。酔っ払いが行き交う通りを何往復かしたのち、コンビニで「宮の華」という泡盛のミニボトルを買って帰り、ホテルでテレビを眺めながら飲んだ。日付が変わるころにメールが届き、まだ日程の決まっていなかったロング・インタビューの仕事が30日になりそうだと書かれている。もう少し先に取材することになると思っていた。ふっと酔いがさめたような感覚になりながら、しばらく泡盛を飲み続ける。