11月10日

 7時過ぎに目を覚ます。10月28日に取材したムック『BK』のインタビュー記事、もう一度最初から読み返してヤスリをかけ、9時にメールで送信。続けて、昨日のうちにあらかた書き終えていた『Cw』誌の原稿を推考する。文字数が限られているなかで、一番切り出すべきはどこなのかと考え直し、完成させた原稿をメールで送信。すぐに返信があり、複雑な話を「よく要点ついてまとめてくださいました」と書かれていたので嬉しくなる。コーヒーを淹れて、『BK』に掲載される別のインタビュー記事の構成にとりかかる。こちらは文字数がぐっと限られているので、残すべき言葉を拾っていくと自然にまとまり、2時間ほどで完成する。お昼に納豆オクラ豆腐そばを平らげたのち、別のインタビューのテープ起こしを進めてゆく。

 16時にアパートを出て、「往来堂書店」に立ち寄る。『ブックオフ大学ぶらぶら学部』と『都会なんて夢ばかり』を買ったのち、千代田線で大手町に向かい、委員会に出る。いつもより15分近く遅れて、16時50分に会議室に到着してみると、もう半分くらいの委員の方が本を眺めている。出遅れてしまった。ぼくは何冊も選んでその中から検討するというより、ほとんど一本釣りなので、出遅れてしまうとマズイ。案の定「これ」と思える本が見当たらなかった。今回並べられている本のリストを手に取って、書名を追っていくと、今週並んでいるはずだと思っていた本の名前が見当たらなかった。すすすと会議室を抜けて、「紀伊國屋書店」(大手町ビル店)でその本を買い求め、委員会に戻る。なぜか今このタイミングでテーブルごとにアクリルのパーテーションが設置されていて、仕切られた空間で今半のすき焼き弁当をもそもそ食べる。

 20時半に委員会が終わり、ハイヤーで送っていただく。根津で降ろしてもらって、バー「H」に入ると、端っこに4人組の客がいて身構えてしまう。今日の委員会で、自分が寄稿した書評が掲載された新聞をもらっていたのだが、同じ見開きの「記者が選ぶ」という欄に、坪内さんの『玉電松原物語』の評が掲載されていたことを反芻する。その書き出しに、「坪内さんとは若い頃ゆっくり話したが、その後、あまり会話することなく、今年の1月、彼は心不全で急逝した」と書かれていた。「その後、あまり会話することなく」、か。『SPA!』の対談の中で、坪内さんが何度となく批判するのを耳にしていたし、それは本人がいないところで批判するだけでなく、本人と対面したときにも激しく批判していたはずだ。年末に掲載される書評のことをぼんやり考えつつ、マスクを上げ下げしながらハイボールを2杯飲んで帰途につく。

 今日も知人は仕事で遅くなっているようだ。ねぎらうためにツマミを買っておいてあげようと思ったものの、スーパーはすでに閉まっていたので、コンビニで明太子を買っておく。普段は大してねぎらいもしないのに、自分も忙しい状況になった途端に「大変やのう」と思うというのは、都合のいい思考だなと思う。今日、「紀伊國屋書店」で買った本を読みながらも、そんなことを考えていた。人は自分の経験の中からしか想像力を働かせられないのだろうか。「もしもそんな境遇に置かれているのがあなたの家族だったらどう思うのか?」という言葉に対して、わたしは家族に対してなんの感情も持ち合わせていないと言われたら、どうするだろう。ぼく自身はというと、家族とはほとんど疎遠に生きているというのに、あちこち飛び回って家族の話を聞いて回っている。