12月11日

 すっかり日記が途絶えてしまった。沖縄滞在中のことを書こうとすると、書き始めるのに労力が必要になるので、このままだと日記が途絶えたままになってしまう。11月後半と12月上旬のことは後日書くことにして、最近のことから書く。

 

 7時過ぎに目を覚ます。コーヒーを淹れて、昨日作っておいた断片的なメモから、質問リストを作る。今日の取材は、あまりかっちり固め過ぎないほうがいいだろうなと、キーワードになりそうなフレーズを抜書きしておきながら、ざっくりしたリストだけ作っておく。10時45分にアパートを出て、千代田線と山手線を乗り継ぎ新宿に出る。「LUMINE 0」にたどり着くと、『窓より外には移動式遊園地』はもうすでに開場している。アパートから抱えてきた段ボール、制作のHさんに手渡す。この公演の中に、ぼくが「路上」という企画のために参照した本たちを展示してもらっているのだけれど、最終日にはこられそうにないので、うちに送ってもらうための段ボールを持ってきておいたのだ。

 バックヤードに鞄とコートを置かせてもらって、シャッター音が鳴らないカメラを手に、演目が始まるのを待つ。この公演は回によって上演される演目が異なるのだが、今日の11時開場の回は「ぬいぐるみたちがなんだか変だよと囁いている引っ越しの夜」、「治療、部屋の名はコスモス」、そして「冬の扉」と、穂村さんと未映子さんの言葉を浴び続けるハードコアなセットリスト。一昨日にも2公演観ているけれど、そのときに「この光景を写真に収めておきたい」と思ったので、今日も入らせてもらったのだ。もちろんリハーサルのときに舞台写真は撮影されているのだろうけれど、こんなふうに劇場に観客が集まっているなかで上演されている姿を残しておきたいと思ったのだ。

 演目が終わったあと、13時20分に劇場を後にして、目黒に急ぐ。お昼を食べそびれていたので、目黒駅の西口にある「田舎」という立ち食い蕎麦屋に駆け込んだ。お店に扉はなく、カウンターをくぐるとすぐカウンターがある。そこは3人も入れば一杯になりそうだが、ちょうどお客さんが途切れたタイミングだったらしく、すぐに入ることができた(ぼくが入ったあとにすぐに埋まった)。メニューを見ると、「サービス品」としてアジ天そばの名前がある。はたしてアジ天がそばに合うだろうかと思いながらも、アジ天そばというのは食べたことがないので、それを注文する。つゆが淡めに仕上がっているせいか、思った以上に合う。尻尾までかじり、汁を飲み干し、店をあとにする。

 目黒駅前にあるビルへと急ぎ、14時から『G』の取材現場に向かう。編集者のYさんは、前は別の出版社で働いてらしたけれど、今の編集部に移られてから一緒に仕事をするのは初めてだ。仕事をする以上に、打ち上げの席なんかでちょこちょこお会いしていたけれど、そんなふうに顔を合わせる機会もなくなっていたので、「元気にされてましたか」「ええ、どうにか」と言葉をかわしながら、会議室まで歩く。14時、M.Nさんに取材する。今から5年前、Mさんが初めて出演することになった舞台の現場をぼくは取材していた。その舞台が終わったあとも、偶然劇場で顔を合わせることはあったけれど、取材で会うのは5年ぶりだ。聞き手がぼくだということは当然ながら知らなかったようで、気づいた瞬間にMさんが「あ!」と声を挙げる。その「あ!」という言葉に応えられるように、頭を回転させながら言葉を拾ってゆく。ぼくはわりと、多少脱線することはあっても基本的には質問リストに沿ってインタビューを進めることが多いけれど、今日はほとんど質問リストは見ないまま話を終えた。

 撮影にも立ち会ったのち、山手線で恵比寿に出て、代官山まで歩く。代官山蔦屋で青葉市子さんの展示が開催されているというので、観ておく。店内にも、それからテラス席にも、ちいさなこどもを連れた大人たちをたくさん見かけた。親に買ってもらったのだろう、テーブルには色とりどりのペンがどっさりと並べられていて、こどもたちは絵を描いている。そんな風景を目にしたときに抱く印象が、たとえば10年前に比べるとずいぶん違ったものになったように感じる。こどもに対するまなざしというより、親に対するまなざし。これは今日に限らず、9月末に「路上」で二子玉川を通りかかったときにも感じたことで、昔はもっと、どこかネガティブというのか、いじわるな感情を抱いていたような気がする。「こどもを連れて代官山/二子玉川で過ごしている私」という自意識のようなものを勝手に受信してしまって、ヒネた気持ちになっていたのだ。でも、今ではそんな感情がまったく浮かんでこないことに気づく。ベビーカーを押しながら、あるいは小さなこどもを連れて歩くのであれば、それらの街のほうが(たとえば新宿や渋谷に比べると)圧倒的に過ごしやすいだろうなと、率直に思えるようになったのだろう。