1月17日

 5時前に目が覚めてしまう。エアコンをつけっぱなしで寝ているせいか喉がカラカラで、体も少しだるい。つけっぱなしだったテレビをぼんやり眺めていると、5時15分、画面の中で地震が発生する。しばらく26年前の映像が流れたあと、現在の様子が映し出される。真っ暗な中に灯籠が並んでいる様子を眺めて二度寝して、8時過ぎに起きる。あんまり腹が減ったので、サッポロ一番塩らーめんにキムチと刻みねぎをのっけて平らげる。今日は書評が掲載されている日だけれど、今になって自分の原稿を思い返してみると、締めくくりを「物語だ」にしてしまったことを反省する。ゲラで最後の段落を短く削ったのだから、「ノンフィクションだ」にしても収まっただろう。「物語だ」と「ノンフィクションだ」では響きが違うというのに。

 コーヒーを淹れる。一度にたくさん淹れるので、夕方になってもぬるくならないように、ポットにある程度お湯を入れて温めておき、そのあいだに豆を蒸らす。30秒ほど経ったところでポットの中の湯を捨てて、それからドリップを始めるのだが、今日はぼんやりしていてお湯を捨てないままドリップを始めてしまって、途中でそのことに気づく。なんだか今日はもう何もうまく行かないような気がして、午前中はぼんやり過ごしてしまう。

 昼、知人に鯖缶とトマト缶のパスタを作ってもらう。ビールも飲んだ。午後、原稿を書く。今日も捗らず、唸る。このルートで書いたのでは読む人を置き去りにしてしまうのではと悩む。寝転がって考えていると、知人がふと貯金の話をした。パソコンを買い替えようか悩んでいて、分割払いで買うか、「定期」を切り崩して買うか――と。貯金なんてしていたのかとびっくりして、単身者は老後にどれぐらい蓄えが必要なのかと検索してみる。開いたページには「1500万から2000万」とあり、ひゃー……と言葉を失う。単身世帯の貯蓄高の中央値は480万とも書かれていて、すごいなあ、皆貯金なんてしているんだなあと思う。小さい頃にアリとキリギリスの童話を読んだとき、「キリギリスはなんて勝手なやつなんだ」と思っていたはずなのに、完全なるキリギリスだ。

 貯金をすると仮定すれば、どこを削ればよいのだろう。本を買うのと、チケット代は削るわけにはいかない。たまに酒場に出かけたり、遠出したりするのも絶対に必要なお金だ。となると、自宅で飲む酒か。今はビールを箱買いして、1日に2本飲んでいるけれど、日常的にそんな贅沢をしているからお金が貯まらないのだろう。外で飲むときはせいぜい最初の1杯しかビールを飲まないのだから、ビールをセーブして、キンミヤのソーダ割なり芋焼酎のお湯割なりハイボールなりを飲めばよいのだろう。ちょうどビールが切れたところだったので、カクヤスのサイトからビールとウィスキーを注文しておく。

 ちょっと違うことを考えて過ごしていたせいか、16時頃になってようやく原稿が進み出す。そこから先はするする書けた。19時半、鳥やさいみそ鍋で晩酌。知人が「伊勢五」で美味しそうな日本酒(貴の「ハーモニー冬」という純米酒)を買ってきていたので、御相伴に預かる。録画しておいたドラマ『書けないッ!?~脚本家 吉丸圭佑の筋書きのない生活~』、登場人物の名前がテロップのように表示されるとき、「崖っぷちプロデューサー」みたいにそのキャラクターの説明も書き添えられていてゲンナリする。そんなふうにキャラ分けされたものは見たくないなと思いつつも、生田斗真が主演だからと最後まで観る。

 続けて『その女、ジルバ』も観る。「超高齢熟女バー」が舞台となっていて、そこで働く「熟女」は戦後の混乱を生き延びてきた人であるという設定もあり、面白くなりそうなドラマなのに、どうにもモッタリしている。今は19時になると晩酌を始めて、こんなふうにテレビばかり観ているけれど、これはまったく仕事に繋がっているわけでもなく、そしてすべてを「面白い!」と感じているわけではないのに、どうして時間を割いているのだろうかと冷静になってしまう。最後にWOWOWで放送された『鉄砲玉の美学』を観た。これも中島貞夫監督作だけれども、背景に映る街並みは食い入るように観たものの、物語はあまり印象に残らなかった。