1月20日

 7時に目を覚ます。ケータイのアプリから銀行口座を確認すると、原稿料が振り込まれている。こんな残高を目にするのは持続化給付金のとき依頼、人生2度目だ。水を飲みにキッチンに行くと、ずいぶん焦げくささが消えていて、空気清浄機って思ったより優秀なのだなと感じる。この空気清浄機を買ったのは2011年3月11日の昼過ぎだ。知人は花粉症がひどく、空気清浄機を買ってあげると少しは改善されるのではないかと、原付で新宿まで出かけ、この空気清浄機を買った(それをハンドルに引っ掛けて帰るのは大変だった)。その空気清浄機のフィルターは10年を目安に交換することが推奨されていて、フィルターに設置年月日を記入する欄があり、そこに11年3月11日と書いたのは地震が起きる少し前のこと。あれからもう10年も経とうとしている。

 8時半にジョギングに出る。良い天気――と、そんなことを思うのもお金が振り込まれて浮かれているからだろう。不忍池にたどり着くと、公園内に自家用車が停まっているのが見えた。なんだなんだと近づいてみると、蓮を刈る作業が始まっていた。午前中は原稿を書きながら、買うつもりのカメラの最安値を価格コムで見続ける。3つくらいの店が最安値を争い、10円刻みで値段を下げている。14時、納豆豆腐そば(温)。オクラが売っていなかったのでオクラ抜きで作ったのだが、納豆豆腐そばって、これは一体何を食べているのだろう。

 まだまだ推敲する必要はあるけれど、15時過ぎにとりあえず原稿を書き終える。ホッとした。いそいそと身支度をして、千代田線で湯島に出て、秋葉原まで歩く。現金を持ち歩くのは不安だから、秋葉原駅近くの三井住友銀行でお金をおろすことにする。最初に指定した金額は「一度に引き出せる限度額を超えています」と却下され、金額を入力し直す。何度かに分けてお金をおろせばいいやと思っていたら、「1日にキャッシュカードで引き出せる限度額を超えています」と表示され、呆然とする。それだと今日買えないじゃないか。今日買うのだと思ったら今日買いたいし、どうせ買うなら原稿料が入ったその日に買ってしまいたい。

 カメラを買う街として秋葉原を選んだのは、価格コムで最安値争いをしている店舗のうち、店頭購入が可能な店が秋葉原にあったからだ。でも、いきなりその店で買うつもりはなかった。やっぱり、一度も触らずに買うわけにはいかない。手に持って、あまりにも重く感じるようであれば購入するか迷うだろうし、何よりシャッターを切る感覚がしっくりくるかどうか。それに、家電量販店にずらりと商品が並んでいる風景は好きだから、できれば家電量販店で買いたいなという気持ちもある。それに、家電量販店ならクレジットカードと現金とで買い物できるはずだ。というわけで、まずはビックカメラに足を運び、カメラうりばを目指す。ぼくが欲しいカメラは、ショウケースには実機がなく、パネルだけが置かれていた。店員さんを呼ぼうにも、全然見当たらず、レジにもひとりの店員さんしかいなくて少し行列ができていた。しばらく待って、ようやく店員さんがつかまり、「これって在庫はありますか?」と尋ねる。店員さんは値札の近くにあるバーコードをスキャンし、在庫を調べる。ここの店舗には在庫がなく、都内であれば新宿と池袋には在庫があるみたいです、と教えてくれた。値段を考えればそんなに頻繁に売れる商品ではないだろうから、全部の店舗に在庫があるわけではないと思っていたけれど、秋葉原にも有楽町にも在庫がないのかと驚く。

 これまで自分はヨドバシカメラよりもビックカメラで買い物した数のほうが多く、それで最初にビックカメラに立ち寄ったのだけれども、秋葉原ならやっぱりヨドバシカメラだろう。ヨドバシに向かうと、こちらには在庫があった。在庫があるどころか、ショウケースにしまわれていなくて、誰でも手に取って試し撮りができるようになっている。ファインダーを覗いてみる。明るい店内とはいえ、オートフォーカスの速度が段違いだ。それに、思ったほど重さを感じなかった。近くにいた店員さんを呼び、ちょっとお尋ねしたいんですけど、これを買う場合、現金とクレジットを併用することってできますかと確認する。不織布マスクとフェイスシールドを併用した店員さんは、もちろん、ご利用いただけますと言うと、すっと離れていく。別にあれこれ機能を説明して欲しいとは思っていないし、すっと離れたのも感染症対策で気を使ってくれているのかもしれないけど、ここで「買います!」と言い出す気にあまりなれなくて、店をあとにする。

 コンビニに入り、素知らぬふりをしてATMでお金を下ろそうとしてみたけれど、やはり「一日の引き出し限度額を超えています」と表示されてしまう。銀行のATM以外なら意外といけるのではと思ったけれど、考えが甘かった。素直に考えると、今日買うのはあきらめて、明日お金を追加で下ろして買うほかないのだろう。路上に立ち尽くして、しばらく考える。歩道には数メートルおきにコスプレをした女性が立っていて、客引きをしている。電話ボックスの近くに佇んでいる女性は、電話ボックスに映る自分の姿を眺めながら、しきりに髪型を直している。その姿を撮りたいと思ったわけではまったくないけれど、やっぱり今日カメラを買いたかったなあと思う。それに、このまま50万を持ち歩くのは不安だ。お金を下ろしてからずっと、封筒を入れたトートバッグを抱えるように持っている。あんなふうに試し撮りできるようにしてくれているのだから、やはりヨドバシカメラで買おうと、店に引き返す。

 カメラうりばに行くと、さっきとは別の店員さんが立っていた。そして、わりと話に乗ってくれる雰囲気だ。ちなみになんですけど、これ、この値段より安くなるってことはないですかね、と尋ねてみる。店員さんはさっぱりした調子で、逆にいくらぐらいならっていう予算はありますか、と言う。別にそこまでの金額にしてくれってわけじゃないんですけど、価格コムで調べるとだいぶ安い値段が出てくるので、、と言うと、あれ、今そんなに安くなってました?と店員さんはケータイを取り出す。そこから価格コムで該当機種のページにたどり着くまでのスピードがあまりに早く、感心してしまう。ほんとだ、この値段になってるんですね。ああでも、この値段なら――と、店員さんは電卓を取り出す。ポイントぶんを値引きとしてとらえてもらえるんなら、ではあるんですけど、今のこの値段にポイント10パーセントがついたとすると、実質この金額になります。で、たぶんこの金額までは値下げしても上司の許可は取れると思うので、そうするとこの最安値の店よりはお安くできます。店員さんがあまりにもてきぱき対応してくれるので、か、買いますと答える。

 そのカメラはSDカードを使用できないようなので、新しい記録メディアと、その記録メディアをパソコンに接続するためのカードリーダー、それにカメラを収納できる保護袋も一緒に買う(これはポイントで全額支払う)。レジを打っているのは外国の方だ。お札を数えて、10万円ずつレジに吸い込ませていく。買った。買ってしまった。大きな袋を提げて店をあとにする。自然と早足になる。約束の時間が迫っていたので、駅前のロータリーでタクシーを拾って神保町に向かう。17時4分にK書店にたどり着き、ご挨拶。編集部を通じて取材依頼をお送りしていたのだけれども、一度ご本人にあってからと返事をいただき、時間を取ってもらった。『市場界隈』と、それに直近2回の連載を読んでくださったらしく、「基本的にはもう、橋本さんであれば、なんでもお答えしようと思っています」と言われる。3日間も取材して記録していただいて、それが本として残るのであれば、包み隠さず取材してもらうつもりです、だから自由に、橋本さんのやりたいように取材してください、沖縄の本を読んでいると、この方は単にお店を取材しているのではなくて、その向こうにある人間の営みを描いているのだということは伝わってきましたから、うちの店が橋本さんの心を通じてどんなふうに言葉になるのか、楽しみにしています。店主のKさんにそう言われて、嬉しいと同時に、身が引き締まる。

 40分ほどでお店をあとにする。すずらん通りに出て、酒場「A」を覗いてみると、お店は比較的賑わっていた。ひとりで飲んでいるお客さんは少なそうなので、そのまま通り過ぎてしまう。早くカメラを手に取りたくてうずうずしているので、喫茶「伯剌西爾」に入り、カウンター席を選んでマンデリンを注文する。お客さんはぽつぽつといった感じだ。コーヒーを飲みながら、箱を開封し、カメラを取り出す。こうして本体だけで持ってみると、思ったより軽く感じる。ストラップを取り付け、メモリーカードと電池を入れて、自宅から持ってきたレンズを装着してみる。さっそく何か撮ってみたいところだけど、最初の1枚に何を撮ろうかと考えると何も撮れず、コーヒーを飲み干して店をあとにする。

東京堂書店」と「三省堂書店」をのぞく。「東京堂書店」では見つけられなかったけれど、「三星堂書店」には『Neverland Diner』が平積みされている。あったあったと手に取り、戌井昭人『さのよいよい』と岸本佐知子『死ぬまでに行きたい海』と一緒に購入する。新御茶ノ水駅まで歩き、「成城石井」で晩御飯とワインを買って帰途につく。この時間帯でもさほど電車が混んでいなくて、案外リモートワークに切り替えている人は多いのかもしれないなと思う。帰宅すると、知人がカメラを見て困った顔を浮かべる。フラッグシップ機を買うと伝えていたけれど、実物を目の当たりにして、「そんなでかいカメラ要らんやろ」と知人が言う。すぐにシャワーを浴びて、買ってきた惣菜を温めて、カメラのシャッターを切る。

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