1月22日

 7時に目を覚ます。朝はいつもケータイをぽちぽち触って無為に過ごしてしまうので、今日は枕元に置いておいた『人志とたけし』を少し読んだ。少しストレッチをして、ジョギングに出る。土曜と日曜は雨になるとテレビが言うので、今日は少しだけ長めに走る。不忍池をぐるりと走り、蛇道を抜け、6キロほど。シャワーを浴びて洗濯機をまわし、コーヒーを淹れてごはんを炊く。そうこうするうちにお昼になり、マップカメラに注文した中古レンズと、ヨドバシカメラに注文した保護フィルターがそれぞれ届く。中古レンズのほうは、もともと持っていたレンズと同じタイプ。使い方が雑なせいでズタボロになっていたのと、もしかしたらカビが生えているかもと不安になり、中古で書い直した(今度のカメラは丁寧に保管しようと、ヨドバシのポイントで小さな防湿庫も買ったものの、カビの生えたレンズと一緒に保管するとカビが移ってしまう)。さっそくカメラにレンズをつけてみると、ズームリングが格段に回しやすくてびっくりする。もともと持っていたほうのレンズは、ちょっと力を入れないと回転しなくなっていた。

 昼、中村屋レトルトカレー(スパイシーチキン)。ジャガイモも1個追加でトッピングして平らげる。午後、企画「R」に向けて資料を読む。途中でSNSを開くと、「英紙が東京五輪中止報道、橋本聖子氏『報道を承知しておりません』」という見出しの記事が目に留まる。「承知しておりません」とは一体どういうことなのだろう。最近は政治家のこういう態度が目に余る。思い出されるのは、『夢は刈られて 大潟村・モデル農村の40年』というドキュメンタリーだ。これからは日本でも農業の大規模化をと、大潟村はモデル農村となるべく開発され、そこに夢を見た人たちが入植する。だが、政府は減反政策に舵を切り、「コメを作るな」と農家の人たちは言われてしまう。その方針に反発しながら農家として暮らしてきた男性が、遊説で大潟村にやってきた当時の外務大臣岡田克也に手紙を渡そうとする場面が、ドキュメンタリーに収められていた。それを受け取ってしまうと、陳情を受けた――そこに「問題」があるということを承知した――ということになってしまうので、男性は警備員に阻まれて手紙を渡せず、岡田克也は目も合わせず立ち去っていく。その、立ち去っていく岡田克也は、画面越しにも伝わってくるほど狼狽えていた。そういった声を無視しなければならないことに。民主主義の世の中では、国民の声を聞くのが政治家ではあるのだけれど、すべての声を漏らさず聞き取ることは不可能なのだろう。そうであるならばせめて、ひとりの声を無視しなければならないことに、苦々しい気持ちを抱えていて欲しいと思う。最近はそんな苦々しさを抱えていると思えるような政治家はいなくなってしまったのだろうか。「報道を承知しておりません」という言葉を、橋本聖子はどんな表情で言ったのだろう。ちょうど14時になるところだったので、テレビをつけてみたものの、どこにもその映像は流れなかった。日本テレビでは「このあと橋下徹氏生出演」と番組冒頭で喧伝していて、チャンネルをまわすと、その橋下徹がフジテレビに出演している。

 インターホンが鳴り、書評検討本が届く。新たに送ってもらった本と、すでに自分で買っていた書評検討本とを並べて、どの本を選ぼうかと考える。本を並べてみると、1冊選び忘れていたことに気づく。普段立ち寄る書店では見かけず、新聞社から送られてくるリストにも含まれていなかったものの、SNSで存在を知った本。日曜日までは企画「R」のことに専念しなければならないので、Amazonで注文しようかと思ったら在庫切れになっている。別の出品者から購入できるようになっていたけれど、それだと到着までに時間がかかってしまいそうだ。週末は雨降りで出かけるのが億劫になりそうだからと、今日のうちに買い物に出る。千代田線で新御茶ノ水に出て、神保町に下る。まずは「東京堂書店」をのぞき、じっくり新刊台を見る。探している本は見当たらず、すぐに買わなければという本もなかったので、そのまま店を出る。「三省堂書店」に移動して、2階の文学、エッセイ、ノンフィクションの棚を順に見てゆく。発売からもうすぐ2年が経つというのに、『ドライブイン探訪』と『市場界隈』を並べて平積みにしてくださっていて、頭が上がらないなと思う。ぼくが書評した『ニューヨーク・タイムズが報じた100人の死亡記事』も面陳されている。ただ、探している本は見当たらず、最終手段として検索機で調べてみると、「音楽」の棚に配置されているという。音楽、、と思いつつも4階に上がり、哲学、歴史、スポーツの新刊台もチラ見していると、ネットで見かけて気になっていた『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』も見かけた。4階に移動してよかったと手に取り、探していた本と一緒に買う。

 せっかく神保町まできたのだからと、酒場「A」に立ち寄る。まだ16時45分だけれども、ちらほらお客さんの姿はある。「今年もよろしくお願いいたします」と、お店のお姉さんが言う。「もう1年経つんですねえ」とも。ビールを飲むたびにマスクを上げ下げする。テレビでは相撲中継が映し出されている。ぼくはテレビから離れた席に座ったが、テレビの近くには常連のお客さんたちが座って相撲を観ている。誰もマスクはしておらず、取り組みのたびに大きな声で言葉を交わしている。あの人たちはきっと、ここで毎日顔を合わせていて、家族のようなものなのだろう。これに関しては、ぼくが乱入者であるのだからとやかく思う余地もなく、ビールを1杯、なすみそ炒め、そしてビアサワーを1杯飲んだところで、さっと店を後にする。