2月1日

 8時過ぎに目を覚ます。最近は毎晩のように飲んでいるから、体がくたびれている。朝は「ベーカリーミウラ」で買っておいた食パンを焼き、コーヒーを淹れる。J-WAVEのラジオを聴き流しながら、freeeで1月の経費を整理しておく。去年まではただ領収書だけを保存しておき、年の瀬に「売り上げを経費でうまいこと相殺できていますように」と、確定申告の段階になって祈るような気持ちで経費を計算していた。それではあまりにも非効率なので、もっと「ああ、今年はもうちょっと経費を使っておいたほうがいいな」と考えながら過ごせるようにと、freeeで経費を登録しておくことにした。数日前からサイトに登録し直して、あれこれ登録作業をしているのだけれども、クレジットカードの明細がうまく取り込めず、悩む。2枚あるクレジットカードのうち、1枚は明細が取り込めているのに、メインで使っているほうが取り込めない。困る。今年の確定申告に向けて、adobeやら何やら、各種サブスクリプションサービスの料金も調べて、領収書を印刷しておく。

 昼、焼きそば(豚バラ肉、ニラ、もやし、キャベツ)。午後は読書。16時にジョギングに出て、不忍池をぐるり。シャワーを浴びて、引き続き『大阪』を読んだ。「多様性」、あるいは「自由」と、その裏側にあるもの。誰かに会うことがなく、お金がなくても過ごせる場所としての環状線。かつて街にあった豊かさ。他人にあこがれること。会話を続けるための言語。誰かがどこかの街に綴った文章に触れると、つまりその目に触れると、自分の目のことに立ち返る。自分に引きつけて読む、ということではなく、そのまなざしの違いに気づくと、これまでなんの気なしに眺めていたことや、反対に自分が過剰に気にかかってしまうことが浮き彫りになる。

 腹が減ったなあと思いながら、知人の帰りを待ち、読書を続ける。「マクドナルドにでも行ってきなさいとよく言われた」という一文に出会って、今日は休肝日にするつもりだし、そうだ、今日はマクドナルドにしようと思い立つ。数日前に知人から「晩御飯、マックはどう?」と提案されて、ぼくが普段歩いている「近所」にはマクドナルドはどこにもなく、どうしてマックなんて言い出したんだろうかと思っていたけれど、知人の職場――徒歩だと20分弱で電車かバスを使えばその半分――のすぐ近くにマクドナルドがあり、彼女はそれを毎日目にしていたのだなと今になって気づく。

 知人にLINEを送り、マクドナルドをテイクアウトしてきて欲しいと頼む。なんとなしに小さい頃の記憶がよみがえり、兄が隣町の塾に通っていた土曜日の夜、兄を迎えにいく車に同乗して、途中でマクドナルドに寄ってマックシェイクを買ってもらうのが楽しみだった。あの頃は、セットで買うなら、オレンジジュースかスプライトだったなと思い返し、チキンタツタの瀬戸内レモンタルタルのセットを、ドリンクはスプライトにした。ポテト、昔はLサイズでも食べ足りないくらいだったのに、Mサイズの半分ぐらいで満腹になる。21時に『大阪』を読み終えて、22時には布団を敷き、『存在の耐えられない軽さ』を少し読んで眠りにつく。

 夜が明けて、日記を書いている今、『大阪』で思い出される箇所をいくつか抜書きしてみる。そこに綴られている感覚にまったく同意するとか、そういうことではないけれど(そんなことは起こり得ないだろう)、言葉をなぞるようにタイプしてみたいと思った。

 

 わたしの記憶は、真冬だ。

 冷たい風もあのときはたいして感じなかった。歩道橋の上を、一人で歩いていた。端でシートを広げてなにかを売っている人がいた。歩道橋から見下ろせる、大阪駅から阪急百貨店へと渡横断歩道では、何十秒かごとに人が波のように押し寄せて、さっと引いて、また押し寄せた。人がたくさんいて、わたしはその中の誰のことも知らなかった。これだけ大勢いる人が、一人に一つずつ人生がある人たちが、誰も自分とは関係がなかった。わたしがここにいることを、わたし以外の一人も知らなかった。うれしかった。

 夜も明かるい街を一人で歩いていると、わたしはあのときに戻る。生きていける、わたしはここで生きていける、と胸の内で繰り返していた冬の街に。

 街が助けてくれたから、わたしは街を書いている。

柴崎友香環状線はオレンジ、バスは緑、それから自転車」

 

 

 私たちは、他人になりたいのだと思う。しかしもしそれが実現してしまったら、それは他人ではなくただの自分だ。他人のままで他人になることはできない。なってしまった瞬間にそれは自分になってしまう。

 だから私たちは、この憧れの強い気持ちを、実現することができない。私たちは絶対に――それこそこれは「文法的」な事実なので、「絶対」という言葉を使ってもよいと思うが――その気持ちをわがものにすることができないのである。私たちはそういう生き物なのだ。どうしてかはわからない。ただそうなのである。

 したがって、私たちの散歩には、終わりはない。私たちは永遠に満たされない憧れを抱きながら、西九条や江坂や堺東や放出や布施を歩き続けるのである。

(岸政彦「散歩は終わらない」)

 

 

 

その風景は、一九九〇年前後だが、木造の長屋や小さな商店の造形からもっと昔に見える。「バブルの喧騒から取り残された」とか「人情が残る」とか、そんなふうに安易に紹介されてしまうかもしれない。

 違う。そんなわかったようなフレーズでは絶対にとらえられないもの、伝わらないことがここにはある。一人一人の生きている時間が、暮らしてきた場所が、確かにある。

 それを、わたしは書きたい。

柴崎友香「あとがき」)