2月11日

 4時過ぎに目を覚ます。ケータイをぽちぽち触り、天気予報を確認する。昨日の段階では夕方に激しい雨になる予報が出ていて、風速20メートル近い風が吹くと予想されていた。最新の天気予報では、雨と風のピークは夜に変わっている。5時過ぎに身体を起こし、WEB「H」の原稿を書く。シャワーを浴びて、もしも飛行機が欠航になった場合に備えてリュックに着替えを詰めて、ホテルを出る。美栄橋駅からゆいレールに乗り、まだ薄暗い街並みをぼんやり眺める。車庫にずらりと並んでいる大型バス。ゆいレールのほうに向いて停められている航空自衛隊の戦闘機。車両基地に並んだゆいレール。何十回と載っているはずなのに、あんまり意識していなかった風景がある。今まで一体何を見ていたのだろう。

 朝の那覇空港は、昨日より一段と静かだ。機械を操作してチェックインを済ませ、座席を最後列に変更する。13列目までしかなく、これまで乗った飛行機の中で一番小さい気がする。よりによって雨の日にと思いながら保安検査場を通過する。仕事が少なくて運動不足を感じているのか、保安検査場にいるスタッフのひとりがずっと足踏みしているのが見えた。乗客は20人足らず。飛行機は思ったほど飛行機は揺れなかった。そして、同じJTAの飛行機でも、昨日は「まずは前から4列目までのお客様まで」と、時間差で乗客を下ろしていたけれど、今日は小型機とあって特に指示はなかった。同じ便に乗っていた写真家のTさんと一緒に、東京からやってくる編集者のTさんを待つ。空港にはぽつりぽつりと、これから飛行機に乗る人たちがやってくる。那覇の空港ではマスクを外している人をほとんど見かけなかったが、ここではわりと見かける。

 10時過ぎに到着したTさんと一緒に、レンタカーで出発する。約束の時間までまだしばらくあるので、どこか喫茶店でもと車を走らせていたが、個人でやっている店はほとんど空いておらず、「ジョイフル」に入店。少し前に感染が一気に拡大した時期があったせいか、客席はすべてパーテーションなどで頭の高さまで仕切られている。アルコール消毒液の横には、消毒液が不足しているのでワンプッシュでお願いしますと貼り紙がある。ドリンクバーだけ頼んで、コーヒーを取りにいく。お席を離れる際にもマスクの着用をと、ここにも貼り紙があるけれど、守っているのは若者だけだ。

 12時少し前にお店に向かい、取材。編集者のTさんが、「念のために」とフェイスシールドを用意しておいてくれたので、装着する。視界がぼやける。手元のメモがよく見えない。そして、視界がぼんやりしていると、意識もぼんやりしてしまう。これはよくないなと思いながらも、どこかぼんやりした部分が残ってしまって反省する。13時半にはお店をあとにして、下地島空港に向かう。那覇空港宮古空港に比べると、旅行でやってきたという雰囲気の人がやや目立つ。強風で着陸できなかった場合は、ここに引き返すか、あるいは鹿児島空港に向かうとアナウンスがある。「どうせだったら鹿児島空港がいいな」と編集者のTさんが言うのを聞いて、あの、火山灰で少しざらついた路地を歩き、芋焼酎を飲んだ記憶が甦る。保安検査場には飲み物を検査するマシンがなく、さんぴん茶のペットボトルに「ひと口飲んでみてもらっていいですか」と指示され、ひと口飲んだ。飲みたくもないタイミングで飲まされることに抵抗感の芽のようなものが疼く。下地空港は飛行機の近くまで歩いていくことになるようで、雨と風が強いため、カッパが配られる。

 飛行機は3人がけのシートを独り占めできるくらいの混雑で、そこそこ揺れた。そして、無事に那覇空港に着陸する。これまで何も考えずに飛行機に乗り続けてきたけれど、風の強さと向きに応じて、繊細な作業がなされているのだろう。同じ航路でも見える風景が違うことに、何の疑問も抱いてこなかったけれど、それも風向きに応じて選択されたものなのだろう。飛行機を降りて、空港の駐車場に停まっていた写真家のTさんの車に乗せてもらって、久米にある某店に向かい、16時50分から取材を始める。この取材はうまくいかなかった。家族3代で営んでいるお店の、孫世代を中心に話を聞くことになっていたのだけれども、祖母と孫が並んだ状態で取材になる。祖母であるSさんは沖縄を代表する存在でもあり、どうしてもSさん中心のお話になってしまって、孫であるMさんのお話をあまり引き出せなかった。ぼくの実力不足もあるけれど、振り返って考えてみると、あの状態で取材が始まった以上、どうにもならなかっただろう。取材後は3人で「燕郷房」という中華料理店に入る。ハッピーアワーで19時までは紹興酒が1杯100円だった。今は19時ラストオーダーになっているので、ハッピーアワーというよりずっと100円だ。マスクを上げ下げしながら紹興酒を何杯も飲んで、20時に店を出たあと、宿まで送ってもらってすぐに眠りにつく。