3月8日

 6時過ぎに目を覚ます。10時過ぎにホテルを出て、界隈をぐるりと歩く。荒崎海岸に献花できるように、ミモザか、そうでなくとも花を買いたかったのだけれども、花屋さんはまだ開いていなかった。10時55分にタクシーを拾って、「スカイレンタカー」(那覇店)に行き、車を借りる。ナビが機能しない(目的地が入力できない)が、目的地までは一本道なので気にせず、車を走らせる。30分ほどでひめゆり平和祈念資料館に到着。お腹が減っていたので、先に資料館と道路を挟んだ向かい側にある、「ひめゆりそば」と看板を出している食堂に向かう。店内のメニューには「ひめゆりそば」というのはなく、沖縄そば(中)を注文。カレーライスや焼きそばが720円と観光地価格であるにもかかわらず、店内には作業服姿の人たち(それもいろんなタイプの作業服)が次々とやってきて、お昼ごはんを食べている。

 ひめゆり平和祈念資料館前にある献花うりばは相変わらずクローズされている。資料館に入り、展示を観る。何度となく観てきたこの展示は、今月末からリニューアルされる。一体どう変わるのだろう。「おばあちゃんは何年生まれ?」年表を眺めていた若い女性が、一緒に展示を見ている女性に尋ねる。「昭和19年やから、ちょうど空襲の年に生まれとんねん」と、質問された女性は「十十空襲」のところを指しながら答えている。展示を見終えたところで、隣の土産物店を覗く。プロ野球のキャンプが開催されているからか、阪神タイガースのグッズが並んでいるのが目に留まる。どんなものが売られていたっていいとは思いつつも、沖縄限定バージョンだというボンカレーの隣に、「航空自衛隊那覇基地カレー」が並んでいるのはさすがに無神経すぎるのではないか。

 ブルーシールのアイスクリームを買う。さとうきび味を初めて注文してみたら、案外うまかった。車を走らせ、荒崎海岸を目指す。その前にと、魂魄の塔に立ち寄る。この一帯は平和創造の森公園になっているのだが、そのすぐ近くにまで採石場が迫っている。一昨日まで行われていたハンガーストライキは、辺野古の新基地建設に、多くの人が命を落とした――そして現在も遺骨が眠っている――本島南部の土砂を使用することを中止するようにとおこなわれていたものだ。この魂魄の塔にほど近い場所に新しく鉱山が開業する計画が立ち上がり、波紋を呼んでいた。その建設予定地に向かってみると、「熊野鉱山」という小さな看板と、ショベルカーが1台停まっているだけで、のどかな風景が広がっている。なんというか、「鉱山」と呼ぶにはあまりにも狭く見えて、ここを鉱山にすることで採取できる土砂なんてほとんどないのではないかと感じる。どうしてわざわざここに鉱山を作ろうとしたのだろう。写真を何枚か撮って、車に引き返す。あたりには車が何十台も路駐されている。魂魄の塔や、そのほかの慰霊の塔、あるいは鉱山予定地を見学しにやってきたのはぼくだけで、他の車はほぼサーファーたちの車だ。中には今まさにウェットスーツに着替えている人や、ボードを磨いて(?)いる人の姿もある。これはこれでよいのだろうか? 慰霊の塔を取り囲むように、サーファーたちの車がずらりと路駐しているのは、何ら問題ないのだろうか?

 荒崎海岸に向かう途中にも、大きな鉱山がある。2013年からずっと、この鉱山の前を通り過ぎて、荒崎海岸を目指してきた。昔はハイエース1台通るのがやっとの細さの箇所もあり、道もでこぼこだったけれど、年を重ねるごとに道幅は広がり、地面も慣らされてきた(いまだに舗装はされていないけれど)。それはつまり、どんどん鉱山の採掘が進んでいるということでもある。今日はダンプが何台も走っていて、そんな風景は初めて目にしたような気もする。遺骨が混じっているかもしれない土砂を、よりによって基地建設に使うのは異常なこと――と、それは大前提とした上で、どうすればいいんだろうかと考え込んでしまう。美ら海水族館に向けて走っていると、名護を過ぎたあたりから鉱山がいくつも見えて、ダンプカーがたくさん行き交っている。あそこにだって戦争で命を落としていた誰かの骨が混じっているかもしれない。あるいは、戦争とは別のときに命を落とした人の骨だって混じっているだろう。そういった場所から採掘されたものを、基地に使うのは論外だとして、そこから精製されたセメントやコンクリートで住宅を建てるのは問題ないのだろうか。石油も遠い昔の生物から精製されたもので、それを使うのは問題ないのだろうか。平和利用であればよいと考えるのだとして、その線引きは何によってジャッジしうるのだろう。繰り返しておくと、南部から基地を採取することにはもちろん反対だし、新しく基地を作るなんてお金の浪費でしかない(基地を作らなければならない状況を生み出す政治家なんて無能だと思う)けれど、でも、突き詰めて考えると、どうしていいのかわからなくなる。辺野古の美しい海は、守られるべきだったと思う。その一方で、護岸工事が施されている海岸や、人工的に作られたビーチを目の当たりにするたびに、ここが自然のままで残されなくてよかった理由はあるのだろうかと考えてしまう。

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 しばらく海を眺めて、那覇に引き返す。レンタカーを返却し、タクシーを拾って「ジュンク堂書店」(那覇店)へ。ずっと1回に平積みしてくれていた『市場界隈』、さすがに1階からは姿を消している。何冊か沖縄本を買って、界隈を歩き、ホテルに戻る。17時過ぎまでテープ起こしをしたのち、再び外に出る。2年前の今日はイタリアにいて、女子楽屋にミモザの花束をプレゼントした。1年前の今日は神戸にいて、友人にミモザをプレゼントした。いきなり花をプレゼントするのもどうかと思ったけれど、那覇にいるのだから、数少ない友人にプレゼントしようと思って、花屋を目指す。すると、仮設市場を通り過ぎたあたりで、ちょうどお花屋さんが台車を押して歩いているのが見えた。台には真新しいミモザが何本も載っている。花を買う前にと、友人のUさんのお店を覗きに行ってみると、今日はもう早仕舞いしていた。ミモザは買わなかった。

 19時、居酒屋「N」へ。緊急事態宣言中は休業していたので、久しぶりだ。お父さんがぼくを別の客に紹介すると、その客に「何がきっかけで沖縄にきたの?」と聞かれ、特にきっかけっていうのもないし、別に知り合いがいたわけでもないと伝えると、「ぷらっときて、ぷらっと帰って。いいねえ、旅って」と言われる。この時点でカチンときていたのだけれども、お世話になっているお店なので黙ってビールを飲んだ。『市場界隈』の表紙になっているのは、このお店のお父さんの妻でもある女性だ。そのことをお父さんが客に伝えると、「へえ、それなら買わないな」と客が言う。結構頑張って取材してるよ、今も毎月こんな大きな記事を新聞に書いてる、とお父さんが言えば、「いや、こんなとこに飲みにきてるようなやつは駄目だよ」と笑うので、よっぽどビールをかけてやろうかと思ったが我慢する。ビールを3杯飲んだところで会計を済ませ、松山まで歩く。今回の滞在初日に出かけたお店――追加で取材をするつもりが、何も聞けないままただ深酒して帰ってきたお店――に、もう一度行ってみることにする。ただ、早い時間に入ってしまうと二の舞なので、コンビニで缶ビールを買って、お店からほど近い場所にある公園で飲んだ。その公園にまで、そのお店から歌声が聴こえてくる。しばらく粘っていると、ひとり、またひとりとお客さんが見送られて帰ってゆく。それでもまだ歌声は聴こえている。歌声が途切れたところで公園を出て、お店に向かうと、もうお店は閉店してしまっていた。しまった、粘り過ぎた。24時までの営業となっているものの、コロナの影響もあり、お客さんがいなくなれば早仕舞いしているのだろう。話を聞かせてもらいたかった方は、もう車に乗り込んでいるところだったので、追加で話を聞かせてもらいたかった旨を伝えると、電話番号を教えてくれる。明日電話する約束をして、ゆいレールに乗り、安里に出る。が、「うりずん」ももう店を閉じたところで、私服姿のSさんやHさんと出くわす。また来月飲みにきますと挨拶をして、缶ビールを買い、ホテルまで歩いた。