3月25日

 7時過ぎに目を覚ます。9時にアパートを出て、荻窪に向かう。千代田線はそこそこ混んでいたけれど、中央線の下りはガラガラだ。再び修正希望が届いていたので、それを反映したテキストを最終稿として取材させてもらった方に送信する。荻窪駅に電車が到着すると、ホームのベンチに座って作業を続ける。それから、昨日のバージョンから加筆した箇所をわかりやすく表示したワードファイルを、担当記者に送信しておく。もしかしたら昨晩送ったデータはもうチェックして、ゲラの修正に取り掛かっているかもしれないので、昨晩のデータからの違いだけをわかりやすく表示しておく。パソコンを閉じて改札に向かうと、もうほとんど全員揃っていた。

 北口に出て、まずはF.Tさんと最初に出会った飲み会の会場だった「鳥もと」に行く。話しているうちに、A.Iさんもその飲み会にいたのだと知る。Fさんが近くのセブンイレブンでウィスキーと炭酸水、氷、プラカップを買ってきて、皆にハイボールを作る。乾杯して、歩き出す。炭酸水だと思って買ったのはサイダーで、不思議な味がする。前回は10人以上だったけれど、今日は都合がつかなかった人がいて、8人なので比較的歩きやすい気がする。途中で立ち止まって説明するときも、声が届きやすい(これまでのルートのときは、ぼくが説明し始めたときに、わりと近くに立っている人も近寄って耳をそばだてているのを見て、「あれ、自分の声ってこの距離の相手にも届いてなかったのか」と愕然とした)。青梅街道を歩き、環八を越えて少し進んだところで左に折れ、善福寺川を越えて進んでゆく。

 1時間ほどで西荻窪に出て、遅れていたO.Fさんと合流する。ここでトイレ休憩を挟んで、ウィルキンソンの炭酸を買って、今度こそハイボールを作って飲みながら歩く。A.Iさんが、昨日おばあちゃんに都電のことを聞いてみたのだと話してくれる。かつて都電が走っていたところの近くに戦没者の慰霊碑があり、都電に乗っていると車掌さんがその慰霊碑のことをアナウンスして、「黙礼」と言っていた――おばあちゃんがそんなことを話していた、とAさんが教えてくれる。かつて都電が走っていたことも、そのころは戦争もまだ近い記憶であったであろうことは、知識としては当然知っている。でも、自分の友人の祖母の言葉として、そういった歴史を聞くと、ぐにゃりと風景が歪んだように感じる。

 井の頭公園にたどり着いたところで、柳橋江戸川橋で通りかかった神田川の源流はここです、と説明しておく。井の頭公園でお昼を食べてから、玉川上水まで歩き、三鷹駅に引き返す。そこから新宿に出て、小田急百貨店の屋上に上がって東口の駅前広場を見下ろし、思い出横丁から大ガードに抜け、小田急百貨店の屋上を見上げる。小雨が降り始めてきたので地下道に入り、副都心線に乗ってみなとみらいに出る。雨で気温が下がったせいか、昼間からハイボールを飲みながら歩いたせいか、体調が下り坂だ。海外移住資料館を見学したのち、ホテルニューグラントまで歩いて解散となる。何人かは中華街で食事をして帰るようだったけれど、体調に不安があるのでまっすぐ引き返す。

 メールを開くと、最終版のゲラが届いていたのだが、修正が反映されていない箇所がいくつもあった。今日の午前に送付した修正箇所は反映されているけれど、昨晩のものは反映されていないようだった。最終稿のテキストと付き合わせてゲラを読み返し、修正が漏れている箇所を指摘してメールで伝えておく。帰宅後すぐに湯に浸かり、とり野菜みそ鍋を食べて体を温める。19時45分に再度ゲラが届き、もう一度読み返し、一点だけ修正漏れを電話で伝えて、校了としてもらう。これまでの連載の中でいちばんバタバタしたけれど、無事校了を迎えられてホッとする。