7月27日

 5時過ぎに目を覚ます。夢見が悪かった。今日は原稿を書かなければならないので、20分かけてストレッチをしておく。読売新聞の一面トップは「水谷・伊藤組『金』」。一面に掲載されている「編集手帳」に、「テレビのチャンネルを変えると、勝っていようと負けていようと、「ゴン攻め」中の人たちばかり出てきて、少々嫌なことぐらい頑張って乗り切ろうという思いにさせてくれる」とある。そんなこと、考えたこともなかった。テレビの中で頑張っている人と自分は無関係だし、大変だなあと思うばかりだ。経済面には「世界的なカネ余り」を背景に、新たに上場する企業が増えているという記事。同じ世界の出来事とは思えなくて、目を丸くしながらページを繰る。「新型コロナ 全国感染4692人」と、社会面にだけこじんまりと掲載されている。

 茹で玉子を3個平らげて、コーヒーを淹れて、9時から原稿を書き始める。最初に公開されるのはウェブだけれども、書籍の刊行日も近づいているので(そして本文の文字組みは決まっているので)、縦書きで、書籍と同じ文字組に設定して書く。12時にお昼、オクラと納豆と豆腐入りのそば(冷)。最近は蕎麦湯も少し飲んでいる。そういえば酒が切れていたなと、ネットでブラックニッカと残波の白をカクヤスで注文(知人がメルカリでゴーヤを買っていたので、それに合わせて泡盛を選んだ)。

 午後も引き続き原稿を書く。テレビではサーフィン競技の様子が映し出されている。こんな台風が近づいている状態でも開催するのだなあ。午後は少しペースが落ちたものの、夕方には1日目を書き終わる。2日目の原稿を書き始めていると、昨日送った書評のゲラが届く。すぐに赤を入れて返送する。そんなタイミングで、まさにその本を書評した記事が出ているのを見つける。自分が書評するつもりの本の書評が出ていたら、引きずられないようにと読まないようにしているけれど、今回はもうゲラも戻したことだし、目を通す。

 東京の新規感染者数は2848人というニュースが流れて、そりゃそうだよなあという気持ちになる。7月に入ってからの街の雰囲気を見ていると、それでもまだ抑えられているほうだと感じてしまう。今から2週間前の状態がこの数字に影響しているのだとすると――と、カレンダーを見る。東京の梅雨明けは7月16日だけど、7月11日あたりからは夏のような天気になっている。このあたりから人出が増えたのではないか。東京の新規感染者数にはあまり思うことはないけれど、昼過ぎに流れた「沖縄コロナ350人超」という速報には、申し訳なくなる。7月に入ってから、あきらかに沖縄を訪れる観光客が増えていた。それも、「沖縄だから大丈夫だろう」と、マスクもせずに過ごしている観光客の割合が増えていた。沖縄の新規感染者増は東京と連動しているのは間違いないと思う。

 知人にゴーヤチャンプルーを作ってもらって、20時に晩酌。体操の女子団体を眺める。「だいぶ慎重に演技しよるね」と知人が言う。確かに慎重に演技をしている人もいるけれど、結構攻めた演技をする人にも「慎重に演技しよるね」と言っている。一体どういうことかと思ったら、解説者が「D難度です」「E難度です」というのを聞いて、一番難しいのはA難度(もしくはS難度)で、DやEは無難だと勘違いしていたようだ。すべての競技が終わってほどなくして、日本代表の選手たちが競技台のそばに並んで、ケータイで写真を撮ろうとしている。そこに中継のテレビカメラが近づくと、端っこにいた選手が「邪魔」と手で払う。それを見て、心が狭いことを考えてしまう。競技が終わってしばらく時間が経って、写真を撮ろうとしているところに取材陣が割り込んできたならともかく、競技を終えたばかりの競技場なら、それはテレビカメラが入ってくるのではないか――と。

 もちろん、もう一方では、「選手にとっては一生の思い出になる場なんだから、そこを邪魔してやるなよ」という考えも浮かんでくる。でも、こうして世界的に中継され発信されることで成立しているオリンピックという場において、テレビカメラを「邪魔」とあしらうことって成立するのだろうかと思ってしまう。つけっぱなしにしているテレビから、「(選手同士が)思いを繋ぐ」みたいなフレーズがやたらと聴こえてくることにも違和感をおぼえる。思いを繋ぐことなんて、可能だと言えるのか。チャンネルを変えると、女子ソフトボールが金メダルを獲得したらしく、実況と解説が試合を振り返っている。が、試合を終えた選手たちが実況席に手を振ると、解説者は放送そっちのけで、「おーい、よくやったー!」と選手たちに叫び始める。一晩経ってみると、それが美談として記事になっている。それを白々しい気持ちで読んでいる。