7月28日

 6時過ぎに目を覚ます。ストレッチをして、コーヒーを淹れて、たまごかけごはんを平らげる。朝刊に目を通すと、「編集手帳」には、オリンピックを支える裏方の存在に言及し、「戦い終えた競技者が誠意を語る姿は見慣れた風景ではある。けれど、こんなんな毎日のもと、祭典を遂行するのがどれほど大変か。絞り出された言葉の端々に特別な想いが滲んでいる」と綴られている。どうしても「祭典」を「聖戦」に読み替えてしまう。「感謝」みたいな空気で世の中が塗りつぶされていくのがおそろしい。1面から2面にページを繰ると、さすがに大きくコロナの話題が扱われている。

 起きてきた知人から、風邪っぽいにおいがする。雰囲気という意味ではなく、実際ににおいがする(正確には風邪のにおいではなく、風邪に反応した身体が発する何かの匂いなのだろうけれど)。それを伝えると、しばらく怪訝そうな顔をしていた知人だったけれど、風邪薬を探し出して飲んでいた。9時から原稿を書く。洗濯機をまわし、干した瞬間に雨が降る。空は晴れているのに、とぶつくさ言いながらすぐに取り込んで、30分ほど経って干し直す。うっかりバスタオルを落としてしまって、ああ、せっかく洗ったのに、と嫌になる。そんなところに部屋の中からチャイムの音が聴こえてきたけれど、知らん知らん、こんなときに来客があっても誰が出るかと無視してしまう。12時過ぎ、近所の八百屋まで買い物に出るときに郵便受けをのぞくと、クロネコヤマトの不在票が入っていた。

 昼、納豆オクラ豆腐入りそば(冷)を平げ、引き続き原稿を書く。たぶんこの人はあんまり名前を出されたくないだろうなあ、あの会話はすごくよかったけど、そのままだと本人のオーケーが出ないだろうなあ。ああでもない、こうでもないと考えながら、パズルを組んでいく。洗濯物を取り込んで、14時50分にタクシーを拾って神保町へ。車内でも原稿を書く。「東京堂書店」と「三省堂書店」をハシゴして、番外編的な書評に向けて本を探すも、これという本に行き当たらず。半蔵門線清澄白河。演劇を観にちょこちょこ「SNAC」に足を運んでいたころが懐かしい。そこでドライブインに関するトークをやったこともある。もう10年近く前のことだ。ただトークを聞くだけというのもつまらないだろうからと、スーパーでレトルトのおでんを買い込んで、それを物販で売ってもらったのだった(すぐ隣におでん種屋さんがあるのだけれど、イベントで調理した食品を出すための基準についてぼくは無知なので、会場に負担をかけないようにとレトルトを選んだのだった)。編集者のTさんと待ち合わせ、来週末に取材させてもらうお店でご挨拶。

 ご挨拶を終えたあと、ちょっと喫茶店でお茶でもとTさんに言われて、そわそわする。マスクを外して会話している人がいるお店には滞在したくないと思ってしまうので、「すみません、ここはちょっと」と言ってしまうかもしれないなと思いながら歩いていくと、軒先にテーブルを出しているカフェが見つかり、ほっとする。アイスラテを飲みながら、先週末の取材のことをあれこれ話す。この連載は、Googleマップで「古書店」と検索して、ああ、こんなところに古本屋さんがあるのかと探しながら、どこに取材しようかなあと考える時間が多かった(結果的に、そうやってネット検索でたどり着いたお店に取材することはなかったけれど)。でも、やっぱり、どんなにネットで検索したところで、情報しか出てこなくて、その人の感じはわからなくて、やっぱり足を運ぶしかないんだと、当たり前の結論にたどり着く。

 気づけば夕暮れ時で、駅前でTさんと別れ、帰途につく。ケータイで確認すると、新規感染者数は3000人を超えている。この時間帯の千代田線は、いつもなら他人の荷物に触れてしまうぐらい混雑しているはずなのに、そこまで混んではいなかった。たまたまだろうか。たまたまではないのだとすると、人出が減っているということで、どうしてこんなに増え続けているのだろうと思ってしまう。18時半に帰宅し、シャワーを浴びながらハンドソープで頭と顔と首を洗う。『G』誌の再校が届いていたので、すぐに赤を入れ、メールで戻す。あとはビールを飲みつつ原稿を書いた。19時半に帰宅した知人は、今日もゴーヤチャンプルを作ってくれる。厚切りゴーヤが好みだという知人だが、しばらく前に1センチを超える厚さに切っていて、さすがにこれは厚過ぎるのではと指摘してからはどんどん薄くなり、今日はスライスぐらいになっていたので、「ここまで薄くしなくても」と伝えておく。

 料理をツマミながら、原稿を書く。テレビでは体操男子決勝が映し出されている。つりわ競技を観ながら、「関節がぐりぐりなりそう」と肩をすくめながらも、知人は熱心に観ている。トイレに立ったり、お酒のおかわりを作りに立ったりするたび、「得点見といて」と言われるけれど、毎回見逃してしまう。一時は5位くらいまで下がっていたはずなのに、いつのまにか同じ苗字の選手が金メダルを獲得していた。体操競技というのは不思議だ。ぐるぐる回転しながら飛んだり、つりわでピタッと停止したり――誰がどういう流れで美の基準を作り出したんだろう。選手たちはどんなきっかけで体操競技に進んで、こんなふう時間を捧げるだろう。思ったままのことをつぶやくと、「向こうからしたら、そっちのほうが不思議に思うやろ」と知人が言う。「そんなふうに何度も何度も同じ島に出かけて、どうにか話を聞いて、資料を読み漁って、なんでそんなことするんだろうって大半の人は思うやろ」。