8月11日

 6時過ぎに目を覚ます。キッチンでコーヒーを淹れていると、向こうのテーブルに広がる資料の山とパソコンが目に入り、「今日で水納島ことを原稿に書く日々ともお別れやのう」とつぶやくと、「♪この原稿からの〜卒業〜」と知人が歌う。パンを焼き、茹で玉子2個平げ、原稿を書き始める。あともうほんの一息だ。最後の部分は構成が特に大事だから、慎重に書く。つまり、何度も寝転がってケータイを触り、『会心の一ゲー』という番組の試作ゲームで遊んだりして気分転換をして、また少しだけ書く――と繰り返す。ここ数日、何度もツイッターで「群像 9月号」と検索して、なにか自分の原稿について言及している人がいないかと、ほとんど無意識のうちに探してしまう。

 「『小田急刺傷事件』容疑者が勤務していたパン工場は“地獄のバイト先”で有名だった」というデイリー新潮の記事が流れてくる。もしも自分がなにかしらの工場に勤めていたとしたら、怒りがわくだろうし、「大学を出て出版社に勤めてるやつはいいご身分だな」と思うだろう。ここに出てくる「30代記者」と同じように、学生時代に「貧乏学生が“最終手段”として働きに行く職場」としてパン工場の話題があがっているのを耳にしたことは何度となくある。でも、大人になった今になって振り返れば、突発的に日雇いのアルバイトに行く学生というのは、「貧乏学生」ではないだろう(もしも「貧乏学生」であるなら、単発ではなくもっと違うアルバイトをするだろう)。自分も含めて、パン工場を「最終手段」と話していた大学生なんて、ぬくぬくした環境で過ごしていたのだと思う。大学を出て出版社に就職し、自分の感覚を見つめ直す機会もないまま大人になると、こんな記事が書けるのだろう。記事を読んでも、工場での単純作業に対する蔑視を感じる。

 15時半、原稿を書き終わらないままアパートを出る。もうお盆休みに入っているのか、千代田線は空いている。国会議事堂前で地下鉄を降り、国会議事堂と議員会館のあいだを歩く。街は静かだ。国会図書館も心なしか空いている。引用したい記事の初出にあたり、複写。18時には国会図書館を出て、千代田線で引き返す。帰りの電車は、大手町で少し混み始める。その電車はJR常磐線直通の柏行きだったので、これ以上混むようなら次の北綾瀬行きに乗り換えるつもりでいたけれど、荷物が当たってしまうほどの混雑にはならずに済んだ。八百屋で食材を買っておき、20時過ぎに帰宅した知人にゴーヤチャンプルを作ってもらって晩酌。結局、今日は原稿を完成させられなかった。