8月12日

 6時過ぎに目を覚ます。食パンの最後の1枚を焼き、茹で玉子と一緒に平らげる。コーヒーを淹れて、原稿を書く。11時半に、ようやく9割5分まで書き上げることができた。昼は納豆オクラ豆腐入りそば(冷)。テレビで「明日から1週間は日本列島に雨雲がかかり続ける」と言っていたので、「やなか珈琲」に電話して豆を注文しておいて、月曜日までの献立表を作る。昨日のうちに取り寄せを頼んでおいた『北の国から』の脚本が近くの図書館に届いたと連絡があったところで、買い物に出る。スーパーで食材を買い込んで、スーパーの隣にあるワイン屋(隣のスーパーと同じ経営)に立ち寄る。店頭のワインがリースリングワイン特集に変わっていて、リースリングが何であるのかはさっぱりわからないが今の季節にぴったりだと勧められるまま2本買っておく。

 帰宅後、『北の国から』を開き、第3話のシーンを脚本で読む。電車を待つ食堂のシーン、脚本としては清吉と雪子の掛け合いとなっているのか(雪子はずっと、『雪子「――――」』と書かれているだけだけれども)。脚本としては、あの台詞を純に直接的に語りかけているのではない、ということになる。あの台詞の、第一義的な聞き手が純か雪子かで――まあもちろん、結局のところ純もその場にいるのだから純も耳にしているにしたって、あの台詞を純に向かって語りかけられた台詞とはしたくなかったということなのではないかと、2021年の感覚からすると感じる。

 4月に島に滞在していたときに、そこで清吉が語る台詞を思い出していた。清吉の語る言葉の強さは、ぼくが島にいるときに耳にした言葉の“やわらかさ”と、どこか対照的であるように感じた。清吉の言葉の強さというのは、開拓世代としての自負のあらわれでもあるのだろう。それに対して、ぼくが島で会った人たちは、開拓した世代の孫や曾孫にあたる世代だ。島で育った人たちはほとんど皆、一度は島を離れているということも、言葉の“やわらかさ”につながっているのだろう。そのことを原稿に書きたくて、参照軸として『北の国から』の脚本を引こうと思って本を借りてきたのだけれども、その台詞を引いてしまうことは、島を離れた人たちに対する“呪いの言葉”になりかねない。それに、清吉の台詞というのも、相手に直接語られた言葉ではなく、過去にそう思ったことがある――つまり思っていたけど飲み込んだ言葉として語られている。そんな言葉を引用してしまうと、現在島に暮らしている人たちも、そうした言葉を抱えているのだと暗示してしまうことになる。やっぱり、それを原稿にすることはできなくて、『北の国から』は脇に措き、原稿の文字サイズを大きいサイズに変更して、頭から読み返す。そうして最後の5分のところも完成させて、17時に担当編集のSさんにメールで送信。今度は参照した資料をひたすらスキャンして、原稿に「この箇所はこの資料を参照して書いています」とコメントを入れていく。その作業も20時には終わった。まだゲラのやりとりは残っているし、書籍化に向けてまだやらなければならないことはあるにしても、4月からずっと、ほとんどのエネルギーを傾けてきた仕事が、これでひと段落した。

 20時過ぎに帰ってきた知人にゴーヤチャンプルを作ってもらって、晩酌。昨日録画してあった『水曜日のダウンタウン』を、腹を抱えて笑いながら観る。昨日までとは表情が違う、と知人が言う。たしかに、この数ヶ月はずっと、テレビを観ながらも、お酒を飲んでいても、どこかに原稿のことを考えていた。今日は無邪気にテレビを見て笑い転げる。