9月3日

 5時過ぎに目を覚まし、布団の中で「ゆうえんち夢物語」をする。8時半には知人も起きて、出勤する身支度をする。「これからも元気で頑張っての」と、半分冗談で、半分本気で言う。申込書のような書類に、この記述で間違ってないだろうかとひとつひとつ確かめながら、記入する。「せめてもう一回くらい、酒飲みながらZAZENが観たかったのう」とぼやくと、「そんなに言うなら、受けんにゃええやろ」と知人が言う。9時45分に単行本の「はじめに」と「おわりに」のゲラを戻し、シャワーを浴びて身支度をする。もしも出先で体調が急変してしまったらと不安になって、A4のコピー用紙に、これから出る予定の2冊の本について、WEB「H」のほうはこのまま出してくれ、『G』誌のほうもできたらこのままで、もし写真が足りなければこの人に追加で撮影してもらって出して欲しいと書いておく。

 白山駅から都営三田線に乗り、水道橋に出る。10時56分に東京ドーム22番ゲートに向かうと、「ただいま、11時30分から申し込まれている方まで入場いただけます」とアナウンスされている。ぼくは11時ちょうどから11時15分の枠なので、あれ、ちょっとギリギリ過ぎたのかと少し焦る(早く到着しても、予定の時間より早く接種はできませんと書かれていたので、ギリギリの時間に到着するようにしていた)。港区と新宿区の方はこちら、文京区の方はこちらと案内されるままに並び、モニター式の体温計で体温を測り、クーポンを見せ、手指を消毒し、回転扉を抜けて東京ドームに入場する。スタッフはオレンジ一色だ。ジャビットくんではない、もうひとりのマスコットが手を振っている。向こうに客席と芝生が見えると、やっぱり少し浮かれてしまう。流れ作業のように、するする列は進んでゆく。どぎまぎする。いちばん手前の関所で書類を差し出すと、アレルギーの有無などを確認される。毎日何人に応対しているのだろう、このアルバイトの人たちも大変だなあと思いながら質問に答えていると、目の前の若者は「医師」と書かれた札を首から下げている。次の関所でまた書類のやりとりをすると、もう接種だ。ここ最近、異物混入や接種前に自分の指に刺してしまったトラブルなどが報じられていて、こええなあ、自分が接種されるときは問題を見逃さないようにじっと凝視していようと思っていたのに、じろじろ見るのは不躾すぎる気がしたのと、注射は少しどきりとするので、結局視線は向けなかった。どちらの腕に打ってもらうかは最後まで迷った。文字を書いたり箸をもったりするのは右だけど、咄嗟に出るのは左手で、力仕事は左手だし、改札にSuicaをかざすのも左手だ。知人に「どっち向きで寝てることが多い?」と聞くと、圧倒的に左手が下にくる横向きだという。それなら右手に打ってもらったほうがよいのかと思い悩んでいたけれど、右手が上がりづらくなると歯磨きが十分にできなくなってしまうのが不安で、左手に打ってもらった。

 経過観察をする席の一部は、球場の座席が使われていた(ただし、わりと埋まっていたので、そこには座らなかった)。少し出遅れたのに、午前中の枠が余っていた理由が少しわかったような気がした。今日の夜は東京ドームでカープ対ヤクルトの試合がある。午後になれば、選手たちの練習が始まる。せっかくだからその様子を見たかったなとも思うけれど、こんなふうに何も行われていない東京ドームを眺めるというのも、貴重な経験だ。椅子に座って、たまにグラウンドを眺めながら、ゆうえんちを作る。さっきまた新しく経営を始めて、遊園地の名前(全角7文字まで)はファイザー王国にした。

 球場ショップでつば九郎グッズでも買って帰ろうかと思ったが気にいる品がなく、そのまま白山まで帰ってくる。YMUR新聞の記者の方から、どうやらビタミンB??がいいらしくて、豚肉やうなぎを食べるといいらしいですよと教えてもらっていたので、豚かうなぎか、と考える。CoCo壱でポークカレーかとも思ったけど、9月に入ってもまだすき家がうなぎを扱っているようなので、テイクアウトの予約をケータイから申し込んでおく。白山上から本駒込に向けて歩いていると、なんてことない風景の中に、報道陣がわっとたむろしている。何か事件でもあったんだろうか。

 0時過ぎにアパートに帰ってみると、テレビに二階が映し出されている。総理大臣が総裁選に不出馬の意向を固める、の文字。ワクチンをうけているあいだに、総理大臣の退陣が決まっていた。すぐに録画ボタンを押す。ぼくがつけたのはTBSで、『ひるおび!』が放送中だ。司会の八代弁護士も、コメンテーターたちも、やたらと政治家に敬語を使うのが気になる。昔はこんなに丁寧な敬語は使わなかった。言葉をないがしろにすればよいというものではないけれど、政治家とメディアの職分を考えると、歯を食いしばってでも一線を引いた言葉遣いが必要なはずだ。田崎史郎がコメントしていたところに、自民党本部から中継が入る。中継が終わり、そのままCMに切り替わろうとしたところで、八代弁護士が「田崎さん、すいません、さきほどは話が途中になってしまいまして」とコメントして、暗澹たる気持ちになる。この人は誰に向かって発言しているのだろう。まだ情報が錯綜している状況で、求められているのは視聴者に向かって発信することだ。それなのに、目の前にいる政治評論家に詫びている。そんなやりとりはCM中にやれば済む話で、わざわざオンエアにのせる必要がどこにあるのか。

 12時37分、河野太郎の映像が流れる。おそらく別件で取材中だったのだろう、Zoomの画面だ。総理の総裁選不出馬についてコメントを求められた河野は、「まずご本人の意向を確認したい」と繰り返す。VTRが終わると、スタジオの八代は、「まあ、そうだと思いますね。やはりね、報道を通じて知るというのでコメントをするって軽々なことは憚られると思います」と語っていた。政治家がそう語るならまだしも、情報番組の司会がそんなことを言い出したら、こんな番組を放送している意味は一体どこにあるのか。

 ぶつくさつぶやきながら、うなぎ弁当を平げて横になる。左腕がずうんと痛むような気がするけれど、仕事が手に付かないというほどでもない。ただ、やっぱり気持ちが落ち着かず、締め切りを過ぎてしまった原稿のことを考えようとするのだけれど捗らず、ゆうえんちばかりやってしまう。夕方のニュース番組では、小泉進次郎の映像も流れており、涙ぐみながら総理の人格について語っている。ぞっとする。前の総理大臣がそそくさと退陣したときも、金子恵美がテレビに出て、総理がいかに立派かを語り、その総理が退陣を決意した気持ちを思うと涙が出ると語っていた。この国は大丈夫だろうか。政治が感情や人格とダイレクトに結びついてしまっている。知人はワクチンを接種した日もビールを1本飲んでいたけれど、不安なので控えて、炭酸水を飲んで過ごす。22時過ぎに帰ってきた知人は、ゆうえんちで遊んでいる姿を見て、「なんや、全然大丈夫そうやん」とつまらなそうだ。買っておいた梨を切ってもらって、布団に潜り込んだ。