9月12日

 5時過ぎに目を覚ます。なるべくケータイは見ないようにして、二度寝する。洗い物を済ませたのち、荷造り。10時40分にアパートを出て、スーツケースを引いて日暮里駅へ。散歩を楽しむ人の姿もちらほら見かける。人気のかき氷屋さんの前には20人以上並んでいる。ただしスカイライナーは残席「338」と表示されいて、2ヶ月前とは比較にならないほど空いている。空港も、2ヶ月前よりずっと閑散としていた。チェックイン手続きを済ませ、荷物を預け、フードコートの「リンガーハット」でちゃんぽんを平らげる。閑散としているものの、マスクを外したりアゴにずらしたりして行き交ったり談笑したりする人もそれなりにいるので、おそろしくて隅っこのテーブルを選んだ。

 12時45分発の飛行機は機材トラブルで遅れ、13時30分出発に変更となった。ライブに間に合うだろうかと心が少しざわつくが、まあどうなるものでもないので泰然とした気持ちで日記を書く。関西空港に到着すると、荷物がびっくりするほど早く出てきたので、すぐに電車に乗り換えることができた。泉佐野駅で降りて、ホテルに荷物を預けて歯磨きをしたのち、再び南海線に乗る。16時半には大阪城公園に辿り着き、最寄りのコンビニでサッポロ黒ラベル(350ミリ)を2本と、赤飯おにぎり、それに毎日新聞を買う。飲酒禁止と立て看板は見当たらなかったけれど、念の為にとビニール袋で覆いながらビールを飲んだ。ジョギングする人。ベンチでタバコを吸うおっちゃんと、おそらく今日が初対面とおぼしき若者が語り合っている。昔のロックンロールを流しながら、一緒に踊る人たち。向こうに大阪城が少しだけ見えている。おしゃれな服をまとった若者たちが、音楽堂に向かって流れてゆく。

 17時の開演時刻ギリギリに、大阪城音楽堂に入る。この会場でカネコアヤノのライブを観るのはちょうど1年ぶりだ。あのときはひと席あけてチケットが販売されていたけれど、今はフルに観客が入っている。屋外でなければそわそわしていただろう。自分の席へと急いでいると、鼻を出して座っていた観客が、「鼻までマスクで覆ってください」と注意されていた。定刻より少し遅れて、メンバーがステージに登場する。ライブの1曲目は「燦々」で、イントロが始まった瞬間にふいをつかれたような気持ちになる。ライブでは必ず演奏する、という曲ではないし、演奏するとしても終盤で演奏されることが多かったのではないかと思う。1曲目に演奏された「燦々」は、“わたしたち”のマニフェストであるかのように響く。

 ライブ自体は良かったものの、ライブが始まるとマスクを外している観客がちらほらいたことに、どうしてもげんなりする。きみらはまたライブが観たいと思わないのか。「ほら、こんなふうにライブにやってくる観客なんてルールを守らないやつが多くて、感染が拡大する原因になってしまうんだ」と見做されて、ライブが開催しづらくなったらどうするのか。観客として、もうちょっと、自負はないのか。ほとんどの観客は着席のまま演奏に耳を傾けていたけれど、ときどき立ち上がる人もいて、アゴにマスクをずらして立っている観客もいた。あれは会場のスタッフがどうにかするべきだし、自分の席ではない場所で見ている観客もどうにか対応するべきだったと思う。そして、これは話の次元が違うことだけれども、ライブ中にずっと、一緒に観にきた誰かと話しながら見ている人がいて、もちろん楽しみ方は人それぞれだけど、せっかくライブ観にきてるんだからもっと舞台に没頭すればいいのにと思ってしまう。――いや、たぶんこれは、「そういう人の姿を見て、こういう余計なことを考えてしまうのが嫌だ」というだけのことだから、ぼくのわがままだろう。

 終演後はきっと規制退場になるんだろうからと、着席したままアナウンスを待ったが、すぐにアナウンスが入らなかったせいで席を立って帰り始める客がたくさんいて、出入り口は混雑していた(これも、コロナ禍での初めてのライブというわけではないのだから、もっと上手にやらないと駄目だ)。しばらく経って、自分が座っている列の番がやってくる。案内されるままに進んでゆくと、PAブースの前を通ることになり、Tさんがこちらに気づいてくれる。「いや、観にこれてよかったです」「今日きたん?」「はい、今日きて、明日は那覇に行きます」「それは――あっちで?」「いや、また別で」「そっかそっか」「じゃあ、また」「また、また」。立ち止まってしまうと流れが滞ってしまうから、短く言葉をかわして通り過ぎる。「あっち」が何かわからないまま話していたけれど、それはTさんも音響を担当することがあるM&Gのことだったのだろうなと、会場を出たあとで気づく。

 すぐに帰る気にはなれなくて、噴水のへりに腰掛けて、赤ワインのミニボトルを飲んだ。観客がそろそろと帰っていく姿をひとしきり見送り、さあ自分も帰るかと腰を上げると、声をかけられる。大阪に知り合いっていたっけと戸惑いながらイヤホンを外すと、Y.Eさんだ。知り合いと一緒のようだったので、短く挨拶して、駅に向かう。そうか、せっかく関西にいるんだから、神戸に行ってみようか。もうすぐなくなってしまうと平民金子さんの日記で知った風景を見ておこうか――駅まで歩きながら、ふとそんなことを思いつく。その風景の中を一度歩いたことがあって、そこは思わずカメラを構えたくなるような場所だった(実際には構えなかった)。ただ、関西の距離感をちゃんと把握できていない自分からしても、今からあそこまで移動して、そこからまた泉佐野のホテルに戻るというのはきっと、かなりの大移動になることはなんとなく想像がついたので、大人しく泉佐野に引き返すことにする。

 こういうときに、ぐるぐるいろんなことを考えてしまう。もうすぐ消えてしまうと知って、わざわざ見に行くのは品がないだろうと思う一方で、でも、そんなふうにあきらめてしまうのはどういうことなんだろうと思う。でも、全部の風景を見ていることはできない。

 環状線新今宮に出て、ぼんやり考え事をしながら改札を出る。Googleマップによればここで南海本線に乗り換えることになっているが、南海とは反対側に出てしまったのか、地下鉄への乗り換えの案内表示しか見当たらなかった。Googleマップを開いて、環状線の高架沿いを歩く。白くてのっぺりした建物が立っていて、たぶんきっとあれは、少し前に話題になっていたリゾートホテルだろう。高架沿いにはフェンスが二重に貼りめぐされていて、フェンスとフェンスのあいだにダンボールや断熱材がある。南海本線に乗り換えて、泉佐野まで戻ってくる。駅前で晩酌のツマミが買えそうな店は、コンビニと、あとはたこ焼き屋だけだ。小屋のようなたこ焼き屋さんの前に、持ち帰りを注文しているお客さんがぽつぽつ待っている。

 遠巻きに看板を見て、よし、ねぎ大盛りのたこ焼き8個入りにしようと思って、店に近づく。「はい、なんにしましょ」と言われて、ああ、イントネーションを頭の中でトレーニングしておけばよかったと思いながら、標準語のイントネーションで「たこ焼きの8個入りください」と注文する。「お味はどうします?――ソース、醤油、塩がありますけど」。何味があるのか、こちらが察知していないことを瞬時に汲み取って、そう付け足してくれる。ソースで、とお願いして、焼き上がりを待つ。はい、焼きそばのお客さん。はい、たこ焼き6個入りのお客さん。ひとり、またひとりと、品物を受け取って去ってゆく。あんまりそういうことは思わない(思わないようにしている)けれど、いい風景だなあと思う。20時半にホテルに辿り着き、知人と遠隔で一緒に『Mother』の続きを観る。今日は8話と9話まで。