9月24日

 4時過ぎに目が覚めてしまう。「ゆうえんち夢物語」をやりながら二度寝(自分でも「え、まだそのゲームやってるのか」と思う)。7時過ぎに起き出して、コーヒーを淹れ、たまごかけ。午前中はメールを返したり、原稿を少しだけ書いたり、書評の細かい修正点を連絡したり。少し慌ただしくて、昼はセブンイレブンに出かけ、広島風つけ麺を買ってくる。僕が高校生ぐらいのときに流行り始めた気がする。広島市内の高校に通っていたものの、市内まで電車で30分かかる町に生まれ育ったこともあり、ほとんど市内のことはわからないまま高校生活を送っていた(まじめと言えば聞こえはいいけれど、特に探究心や好奇心の薄い――というよりも、寄り道して怒られることをおそれる――こどもだったので、学校帰りにどこかで遊ぶこともなく、まっすぐ家に帰っていた)。ただ、高2のときに少し仲良くなった市内出身の同級生に「遊ぼう」と誘われて、最近流行っているという広島つけ麺を出す店に連れて行ってもらったことがある。あのときはなんだか都会っぽくてどぎまぎしたなあと、今になって思い出す。

 広島風つけ麺にはほぐす水がついていたけれど、せっかくならもっとうまく食べようと、ざるを出して流水でほぐす。麺がぼろぼろになってしまいそうで、慎重にほぐしつつ、これならチルド麺のやつのほうがうまいし安いんだろうなあと思う。広島風つけ麺は辛いがうまかった。別添えの辛いパウダーも、最後には全部入れた。14時45分、自転車を1階に下ろし、出かける。白山通り、自転車レーンがあって走りやすいけれど、ところどころ路駐で塞がれていて腹立たしくなり、徐行して運転席を覗き込みながら通り過ぎる。反対の立場なら、つまりぼくが車道を塞ぐように自転車を路駐していたらクラクションを鳴らされまくるだろうに。納得がいかない。15時ちょっと過ぎに本の雑誌社にたどり着くと、西荻窪・S書房のOさんの姿がある。昨日、営業のSさんとメールでやりとりしていた際に、「明日は橋本さんがサインしてるはずです」と書かれていて、それはもうこいってことじゃんか、ということで様子を見にきてくれたのだという。お待たせしてしまって申し訳なかった。しかし、そんなメールを読んでもほとんどの人は「あ、そうなんだ」ですますところだけれど、古書会館に行ったついでに訪ねてきてくれるというのが、Oさんらしいという感じがする。

 テーブルには200冊、『東京の古本屋』が積まれている。よし、と気合を入れて、ひたすらサインをする。ちょうどテーブルの上に蛍光灯があり、それが紙に反射して書いている文字が見えなくなるので、途中でその電灯だけ消してもらった。30分で80冊までサインを入れたところで小休止を挟んで、またサインを書く。サインといってもただ名前を書いているだけで、ぼくの字はちまちましている(そもそも、ぼくが出している本は基本的に聞き書きの本なのだから、ぼくがサインするよりも、本に登場する方たちにサインをもらったほうがよい気がする)。ちまちました文字だとしても、せめてちょっと弾んだ感じの文字のほうが少しはポジティブに受け止めてもらえるんじゃないかと思って、心をポップにしようと、SMAPを小さい音量でかけながらサインをした。サイン本を手に取った人も、まさかSMAPを聴きながらサインしたとは思わないだろう。

 160冊までサインしたところで、もう一度小休止していると、本をいち早く献本していたSさんからお礼のメールが届く。坪内さんの「資料」を引くにあたり、そのことを書いてもよいか、事前にメールでご相談していた。たった今届いたメールには、本の感想を綴ってくださっていて、お彼岸でお墓参りをしたときに、お墓に本を供えてくださった写真が添付されていて、じっと見る。担当編集のTさんと、営業のHさんに、「Sさんがお墓に供えてくださってます」と写真を見せると、ふたりも喜んでくれて、少し遅れるように自分も嬉しくなる。そっか、お墓は××にできたんですねとぼくが言うと、え、あんなにお世話になってるのに、お墓参りにいってないの、と言われてしまう。

 サインを入れているあいだ、ひっきりなしに電話が鳴っていた。この日、『あさイチ』で本の雑誌社の本が紹介されたこともあって、続々と注文の電話が入っているようだった。テレビの、というよりも『あさイチ』の反響をはたで感じながら、200冊にサインを入れる。サインを入れ終えると、献本の梱包をする。メッセージを添えた紙を添えたくて、(ぼくが住所を知っている方については住所を伝えて)クリックポストの準備だけしてもらっておいて、ひとつひとつ紙を添えて梱包する。著者献本分と、版元からの献本分があり、版元からのほうは把握していないけれど、自分から献本するぶんについては「この人に送ると紹介してもらえそう」みたいな判断を入れる余地がどうしてもなくって、仁義、みたいな部分が大きくなってしまう。直接面識はないものの読んでもらいたい人も数人浮かんだけれど、その人の書評を書いたことがあるとなんだか取引じみたニュアンスが生じてしまう気がして、送れなくなる。

 営業のHさんは、ぼくがサインを入れた本を片っぱしから梱包し、直取引で注文してくれたお店への発送準備をしてくれている。自分でリトルプレスを作っていたときに、一番大変だった作業なので、頭が下がる。「こんなに発送するの、久しぶり」「ヤマトの人がびっくりしちゃうかな」と言っていて、どうやら各地の古本屋さんからも注文が入っているようで、嬉しくなる。『HB』を創刊したとき、最初に「営業」に出かけたのは大きな新刊書店だった。事前にメールでアポイントをとって「営業」に出かけたものの、雑誌をぱらぱらめくった担当の方は、「うーん、うちはでも、こういう直取引のものは基本的に扱ってないんだよね」と言った。そこはほんとに大規模なお店だったので、自分が作ったものはもう、新刊書店では扱ってもらえないんだろうなと、そのとき視界が暗くなったのをおぼえている。着慣れないスーツを着て出かけたはずだ。結局、いくつかの新刊書店では扱ってもらえることになったのだけれども、『HB』以降に出したリトルプレスも、新刊書店だけではなくて、各地の古本屋でも扱ってもらっていた。そうしたお店が、今回の本も注文してくださっているというのは、ありがたいことだ。

 「北澤書店」への追加の献本分を預かって、17時過ぎ、ほんの雑誌社をあとにする。東京堂書店をのぞくと、新刊台に『東京の古本屋』がもう平積みされていて、嬉しい。売れますように。自転車でやってきたもののライトを外したままになっていて、火がくれ始めているので、長居をせずに店を出て、「北澤書店」へ。緊急事態宣言の影響で17時までの短縮営業になっていたけれど、中に人の気配があったので、おずおず扉を開くと、ああ、お久しぶりですと出迎えてくださる。追加の献本1冊をお渡しして、改めて取材のお礼を言う。北澤さんは首からなにかカードを下げてらして、古書会館の入館証かとも思ったけどなにか違う、「あれ、その首から下げてらっしゃるのは」と尋ねてみると、今日のスワローズの試合を観に行くための入場証だった。それならば長居をしてもご迷惑がかかると、またあらためてじっくりお邪魔しますと伝えて、帰途につく。なんとか日が暮れる前に根津まで引き返し、「海上海」でいつもの3点セットを注文し、帰途につく。家にたどり着いて少ししたあたりから、腹がぐるぐるし始める。お昼に調子に乗って辛いパウダーを投入したせいだろう。