9月30日

 7時過ぎに目を覚ます。コーヒーを淹れて、たまごかけごはんを平らげる。今日は少し「伯剌西爾」の匂いがする。午前中は少し原稿を書きつつ、一張羅のシャツにスチームアイロンをかける。今日は『東京の古本屋』の著者インタビューを初めて受ける。こないだ3着ほどシャツを買ったものの、最初はやっぱり、ゆきさんからいただいたシャツにする。YUKI FUJISAWAのアトリエ日記を書いたとき、原稿料の相談を受け、お金とは違うものが欲しいと思って、「取材のときに着る、一張羅になるシャツを」とお願いして、作ってもらった3着のうちのひとつ。白い長袖で、胸のところに銀の箔が入っている。

 8時過ぎに洗濯機をまわして、洗濯物を干したものの、どうやら16時頃から雨になるようだ。今は晴れているから、夕方には雨というのが信じられないけれど、天気予報を信じて、まだ少し濡れている洗濯物を部屋干しに切り替え、11時20分に家を出る。まずは秋葉原に出て、PCR検査を受ける。もう慣れたもので、受付のあいだに唾液を溜めているので、すぐに終わる。総武線飯田橋に出ると、駅前がすっかりきれいになっているので戸惑う。待ち合わせの20分前という微妙な時間で、まだ到着していないようだったので、駅前のパン屋でアイスコーヒーを買って、3席だけあるテラス席に座ってぼんやり過ごす。行き交う人を眺めていると、駅前にある歴史や由緒が書かれたプレートを読んでいる人がいて、ああ、ああいうのを立ち止まって見ていく人もそれなりにいるのだなと思う。観光地であれば、それは見ていく人も多いだろうけれど。

 12時半きっかりに待ち合わせ場所へ。まずはお堀端で写真撮影する。撮影は、ぼくが聞き手となった取材でご一緒したことがある方だった。いつだかこのお堀端でお花見をしたこともあったなと懐かしく思い出す。ブルーシートを広げられる幅はあんまり広くなくて、窮屈な場所で無理矢理花見をしていた。写真撮影は1分と経たないうちに終わった。写真を取られるときは、心を無にしている。1枚目を撮ってもらったとき、写真家の方が「あ、もうこの一枚でばっちりな気がします!」と、画面を見せてくれた。念のためにともう数枚撮ったものの、あっという間に終わった。

 撮影が終わったところで、お堀端のカフェのテラス席に移動する。撮影が早く終わり過ぎて、聞き手となるライターの方がまだ到着していないので、飲み物を注文しながら雑談する。昔、友人と一緒に屋外で飲むことにハマっていた時期があって、そのときここにも飲みに来たことがあって、単品で注文する場合は向こう側のエリアに案内されるんですけど、そっちはあんまりお客さんがいなくて貸切に近い状態で、しばらく飲んでいるうちに――と、ぼくは思い出話を語っていたのだけれども、そこまで話したところで、「あ、この話、今するべき話じゃなかったかも」と気づく。しばらくそこで飲んでいるうちに、視界の隅でなにか動いているものがいるのに気づいて、よくみるとあちこちに「虫」がいたのだった。そんな話をすると、他の人がちょっと不愉快な気持ちになるかもしれないので、「お堀端だから、いろんな生き物がいるなって思ったんですよね」と、ぼんやりしたまま話を終える。

 そうするうちにライターの方も到着されて、取材を受ける。名前はずっと知っている方だ。その方がかばんから取り出した『東京の古本屋』には、びっしり付箋がついている。紙の付箋だ。黄色い付箋と、ピンクの付箋。どうやって使い分けているんだろうと尋ねたくなるけれど、そんなことを聞かれたら取材がやりづらいと感じるかもしれないなと思って黙っていた。それと一緒に、『ドライブイン探訪』と『市場界隈』も取り出してテーブルに置いてくださる。やっぱり、こういう取材のとき、著者の別の本も持ち出すと、「ああ、読んでくれてるんだな」というメッセージは伝わるよなあと思う。そして、取材メモの紙がライターの方の手元にあり、ああ、どんなメモを用意して取材されているんだろう、気になる、と思うけれど、そんなところをじっと見るのも(自分もライターであるぶん余計に)失礼だろうと、あまり視線を向けないように気をつける。

 1時間ほどで取材は終了。取材を受けるというのは難しくて、ほんとうに相手が受け取りたいボールを投げ返せているだろうかと、霧の中を歩いているような気持ちになる。ただし、サービス精神だけで話してしまうと、自分が口にするべきではないと思っている言葉もあるので、あとで削ることになってしまう。いっそのこと、「こういう見立てで原稿をまとめようと思っているんですけど、ぶっちゃけどうっすか」と聞いてもらえたら、「ああ、そのニュアンスは若干避けたい部分があって」とか、「たしかに、そういう部分もあって」とか話せるのだけれども、そんなふうにはいかないだろう。自分はなぜ取材をしているのか、なぜそのテーマであるのか、なぜ最初にそのお店を選んだのか。うまく言葉にできない。「ふとしたやりとりまで書き留めたい」という気持ちは強くあるけれど、ではなぜそれを書き留めたいと思うのか。一般的な言葉に置き換えると、「ふとしたやりとりを、面白いと感じる」ということになるのかもしれないけれど、対象を「面白い」という観点で見てしまうのは、やっぱり違う気がしている。

 一度お店を出たあと、H社の担当編集・Tさんとカフェに入り直す。Tさんはモンブランを、ぼくはアラビアータを注文する(12時半に待ち合わせだったから、皆お昼ごはんを食べながらかと思っていたけれど、打ち合わせならともかく取材なのだから、そんなはずはなかった)。Tさんがモンブランを食べ終えたあたりで、アラビアータが運ばれてくる。いそいそとそれを頬張っていると、テラスの端っこ、お堀との境界線のあたりに、銀色が目に留まる。あれは、ヘビの姿形をしているけれど、そういうオブジェだろうか――じっと見つめていると、口からちろちろと舌を出す。オブジェじゃなかった。とにかく早くアラビアータを食べてしまおうと頬張りながら、口元を覆って、隣のTさんに「あそこ、ヘビいますね」と伝える。Tさんは立ち上がって近づき、ヘビに気づく。ほんとだ、お堀端だから生き物がいるっていうのはこういうことだったんですねと、思わぬ回路がつながる。しばらくじっとしていたヘビは、するすると動き出す。最初は「わたしはこのテラスの縁です」みたいな顔をして、端っこを移動していたヘビだったけれど、次第に店側に切り込んでいる。Tさんが店員さんを呼びにいき、店員さんは足で威嚇してヘビを追い払おうとする。周りのお客さんも気づき、小さく悲鳴が上がっていた。ぼくはそのあいだも黙々とアラビアータを食べていると、「ヘビ、平気なんですね」とTさんが言う。いや、苦手ですと答える。ただ、自然の中で突然出くわすのと違って、向こうも人が怖いだろうし、何もせずに襲われることもないだろうし、早くパスタを完食して、マスクをつけたかったというのもある。

 1時間ほど過ごしたあと、Tさんにお会計を払っていただいたあとでぼくは席に残り、別会計でアイスコーヒーを注文。iPadを取り出し、手書き(?)で原稿の草案を練っていると、雨が降り始める。15時45分になって外に出てみると、もう雨は上がっていた。今日も国会図書館に入り、調べ物の続きをする。『an・an』、創刊された当初はまったく「あこがれの海外」という感じだったところから、1972年ごろから国内旅行の小特集が組まれ始めている。冬は京都、夏は北海道、春や秋は東北、あるいは飛騨高山や金沢も何度か見かける。若い女性向けの雑誌だろうけれど、1975年あたりの誌面を見ていると、「秋の夜、ひとりで作る/ラーメン読本」なんて文字も見える(これは1975年前後で、年数ははっきりメモしそびれたが、11月20日号)。他にも洋食屋の特集や、着物で出かけたい和食の店特集など、シブめの特集もある。時間が限られているので深追いしないようにと読み流していたけれど、75年3月5日号に「全国駅弁物語」という文字を見つけ、さすがにこれだけはと手を止めて、複写の申し込みをする。この時代の駅弁を見るのが好きだ。特産品をこれでもかとふんだんに味わえる弁当は今もたくさんあるけれど、この時代のものはもうちょっとこう、ささやかだ。

 18時ぎりぎりに最後の複写を申し込んで、受け取って帰途につく。国会図書館を出たところで「海上海」に電話をかけ、よだれ鶏と、いかの青紫蘇のやつと、ラム肉のクミンのやつをテイクアウトでお願いしますと伝えておく。正式な名前はおぼえていなくても、注文できるようになった。値段ももう、2770円だとおぼえている。やってきた千代田線は柏行きで、これは混雑するのではと思ったがそこまででもなく、根津で下車。料理をテイクアウトして、営業しているお店をガラス越しに眺めながら歩く。営業しているお店だと、ほとんどのお客さんがマスクを外して、楽しそうに談笑している。緊急事態宣言が出ていようがいまいが、お酒を提供していようがいまいが、マスクを外して談笑しているお客さんがいるところには入れないなと思う。もちろん「それでも顔を出さなければ」というところは何軒かあるけれど、そういうところには開店と同時に入り、他のお客さんで賑わう前に帰るほかないだろうなと思う。どうしてあの人たちは平気なんだろう。「ここ以外ではずっとマスクをつけてるから」ということなんだろうな、きっと。でも、マスクをつけていたって感染してしまう可能性はゼロではなく、もしも自分が感染していて、その状態で、馴染みの店でマスクを外して会話してしまっていたら――と、おそろしくならないのだろうか。