10月3日

 深夜に目が覚めて、冷凍うどんを解凍し、釜玉みたいにして平らげる。眠っていると汗が出て、どう言えばいいんだろう、体から熱が発散されている感じがする。「ああ、これはもう、熱が下がる前兆だ」と感じる。あれは一体どういう仕組みなのだろう。体温計で測ると同じくらいの高さなのに、「これはもう、こんなに高い体温を維持しなくても良くなったから、その熱を逃がそうとしているところだと直感的に感じる。何度か目を覚まし、そのたびに汗を拭う。朝になると38度前後にまで落ち着いている。朝になってもう一度、冷凍うどんを釜玉みたいにして食べる。

 知人は8時過ぎには仕事に出かけていった。あんまり調子に乗ってぶり返すのもおそろしいので、基本的には横になっていたけれど、台所に立ったタイミングで玄関に放置してある段ボールに目が留まる。洗濯機を覆うように設置できる棚を、ニトリで通販したもの。こういう棚は、ふたりがかりじゃないと作れない気がして放置していたけれど、玄関に放置してあるのも邪魔くさく、開封して組み立てる。ちょっと時間はかかったけれど、無事に組み立てることができた。うちの洗濯機パンはちょっと特殊なサイズで(縦型洗濯機より幅が結構広く、ただしドラム式洗濯機を置けるほど奥行きがない)、棚の片側の脚は洗濯機パンの上に設置するしかなく、それだと高低差が生じて棚ががたついてしまう。そうなることはわかっていたので、事前に暑さ5ミリのゴムシートを買っておいたので、それを適当なサイズに切り、棚の脚に噛ませておく。

 昼、CoCo壱にスパイスカレーを注文し、自転車こいで受け取りにいく。近所の学校に人だかりができていて、校門周辺は路上駐車で溢れている。どうやら模試が開催されているらしく、試験を終えたこどもを迎えにきた車がずらりと路駐しているようだ。肛門前には「路上駐車はご遠慮ください」みたいな文言が書かれたプラカードを掲げる警備員がひとりだけ立っていたけれど、ちょっとだけ離れたところに、歩道を塞ぐように車がずらりと並んでいる(ここの道路は歩道と車道のあいだに段差やブロックが存在しない)。そこを通り過ぎながら、妙に腹立たしくなってくる。カレーを受け取って、引き返していると、少し先をパトカーが走っていくのが見えた。ああ、さすがにどこかから通報が入ったのだろうか。さすがに注意するだろうなと思っていると、パトカーはその車の列を無視して走り去ってゆく。

 さらに腹立たしくなり、初めて警察署に電話をする。模試をやっているのか、送迎の車が停まっていて歩道を塞いでいることと、パトカーは取り締まらずに通り過ぎたけれど警察署としても問題ないという認識なのかということを告げると、「はあ」という感じで、担当者に変わりますので、と保留音に切り替わる。次に出た人にも同じことを伝えると、「駐停車禁止ではなく、駐車禁止の道路ということですね?」「運転者は車から離れている状態でしたか?」「すぐに車を動かせる状態であれば、停車という扱いになりますので、あんまり長い時間停車をしているようだと困りますが、人の乗り降りくらいであれば停車の範囲になりますので」と返される。いや、あの、車は歩道を塞ぐように停車しているんですけど、歩道を塞ぐように停車ってしていいんですかと告げると、ああ、それは駄目です、今から人を向かわせます、と返ってくる。

 どうしてわざわざ電話までしたのだろう。

 この通りは、わりと路駐が多い通りだ。平日だと、路駐している車の多くは宅配業者の車だから、まあ仕方ないと思っている。片側一車線で、そんなに広い道ではないので、路駐する車は歩道にかかるように停車している。ただ、歩道を完全に塞ぐわけではなくて、人が通行できる余裕は持たせて停車している車がほとんどだし、それにいちいちめくじらを立てると物流が滞ってしまうから、そこで文句を言うつもりはない。車道を塞ぐように停まっていることが多いのはマイカー(という言葉も古いけれど適当な言葉が今は思い浮かばない)で、誰かを待っているのか、ケータイをいじっているドライバーが乗っていることが多い。歩道が塞がれていると車道にはみ出しながら歩くことになり、つまり車の右側(運転席側)を通り過ぎることになるので、いやいや、ここ歩道なんですけど、と運転手を凝視しながら通り過ぎる(もちろんそんなことしたってメッセージは正しく伝わっていないだろう)。近所のお肉屋さんはちょっと良い肉を扱っていて、週末には特売をするので、お肉屋さんの周辺にも歩道を塞ぐように停車しているマイカーをちらほら見かける。

 それにもムッとしていたのに、今日はわざわざ警察署にまで電話をかけたのはなんでだろう。模試が今後もあそこで開催されるのだとして、そのたびに歩道が塞がれるようになったら大変だという気持ちもありはしたのだろう。警備員が配置されていたもののほとんど制御が取れていなかったし、車ではなく電車でやってきた親子も、歩道から車道にはみ出して歩いていた(路上駐車で歩道が塞がれていないところでも、同じ方向に歩く人が多いものだから歩道が人で溢れかえっていて、車道にまではみ出して歩いている親子連れが大勢いた)。「模試があるから」と、自分が暮らしてない街にやってきて、土足で踏み荒らすように振る舞う人たちに、腹が立ったのだろう。いや、その怒りを冷静に見つめると、それ以外にも、「車を持ってるのに」だとか、「こどもに受験させようとしている親なのに」だとか、そういう感情があることを認める必要がある。試験を受けたとおぼしきこどもたちは小学生くらいで、おそらく中学受験に向けた模試だったのだろう。こどもに中学受験をさせようとしている、多少なりとも「教育熱心」な親が、車の送迎はNGだと言われているのに歩道を塞いで停車していたり、車道にはみ出して歩いたりしているということに、腹がたったのだと思う。もうひとつ、車がなくたって生活できる東京で、わざわざ車を持って維持するくらいの余裕があるのに、コインパーキングに停めもせずに路駐しているところにも、腹がたったのだと思う。

 今回に限らず、この日記はあくまで日記で、自分の行動を正当化するために書いているわけではないし、自分の言動や感情が正しいものだと思っているわけでもない。この感情はきっと、ルサンチマンに近い何かだったのだろう。自分の中にもその種の感情があるということは意外だし、認めたくないことだけれど、そんなふうに思った瞬間があったということを記録しておく。

 午後は布団に腹這いになりながら日記を書き、F.Tさんのインタビューの構成をする。3回に分けて掲載するぶんのうち、1回目はあらかた完成する(文字数は1.5倍近くになっているけれど、掲載するのはウェブだし、削るかどうかは相談してからにする)。それで――この先はどういう順序で原稿を捌けば良いんだっけと、整理をする。明後日までに「まえがき」を書かなければならないので、そわそわする。良い原稿がちゃんと降ってくるだろうか。17時過ぎ、考え事もかねて散歩に出る。歩きながら考えていると、「まえがき」の方向性が固まってくる。ついさっきまでは、「まえがき」にちょっと抽象的なことを書くつもりでいた。だから歩きながら聴く音楽として最初に選んだのも、「旅に出たつもりだった/これは旅なのか/何で眠いのか」から始まる、前野健太の「旅」だった。そういう、抽象的な言葉から書き始めたほうが、沖縄にあまり関心がない人や、水納島のことを知らない人にも手に取ってもらいやすいだろうと思って、「旅」がどうこう、ということから書き起こすつもりでいた。ただ、歩きながら考えていると、ある特定の場所について書かれたノンフィクションが、そんな抽象的でふわっとした物言いから書き始められていたら、自分だったら「けっ」と思って棚に戻しそうだなという気がしてくる。それよりは、ごく具体的な説明から入り、それを読んでいるうちに広がりが見えてくる、というまえがきのほうが良いだろう。

 「往来堂書店」をのぞくとかなりの賑わいで、棚の前はほとんど人で塞がっていた。たまたま漫画の棚の前だけ人がいなかったので、とりあえずそこを眺めていると、30日に書籍情報を扱う月刊誌『d』の取材を受けたとき、取材前にお茶を飲みながら雑談しているとき、最近面白かった漫画はという話になり、編集長の方があげていた(取材前にもらった最新号でも、「ひとめ惚れ」として名前が上がっていた)『急がなくてもよいことを』という漫画があったので、それだけ買って店を出る。時刻は18時近く、もう外はかなり暗くなっている。この時間帯なら、さすがに空き始めているだろうと、「E屋本店」に行ってみる。予想通りお客さんは少なくなりつつあったけれど、テーブルがわりのビールケースがかなり幅広く並べられていて、今日のお昼の賑わいが残っている。お母さんにご挨拶して、スーパードライを注文すると、出入り口近くの“テーブル”に置いてくれる。思ったよりもマスクをつけて過ごしている人が多かった。なんとなくの雰囲気から察すると、地元の人のほうがマスクをつけて過ごしている感じがする(ただしこれはわずか30分の印象ではある)。途中からぼくのすぐ目の前の“テーブル”に二人組が入り、マスクを(ずらすではなく)外して飲み始める。それだけでも「あんまり大きな声でしゃべらないふたりだといいな」とそわそわし始めていたのだが、そのうちのひとりがこちらに振り返り、店の奥を覗き込むようにしゃべり始めたので、思わずビールの入ったカップを手で覆う。話していた人はそれに気づき、口元を手で覆ったが、それでもそのままの向きでしばらく喋り続けていた。