10月8日

 昨日買ってきた『文學界』には桜庭一樹「キメラ――『少女を埋める』のそれから」が掲載されている。これを読む前に、「少女を埋める」を読まなければと、『文學界』(9月号)を遅ればせながら引っ張り出して読み始める。これは、すごい小説だ。こんなふうに、考えながら書かれる小説がありうるのかと感銘を受ける。自分が普段蓋をして目を合わせないようにしてる、自分が生まれ育った土地のこと、家族のこと、共同体のことと目が合う。この小説を読んでしまうと、自分の水納島の原稿はまだハラが据わりきってないというか、誰がどの立場から綴った言葉なのか、まだヌルかったのではないかと考えさせられる。しかし、今更書くことではないけれど、この小説を読んだ上で、どうすればあの文芸時評に至ったのだろう。

 「少女を埋める」を読んでいて、ごく個人的に印象に残ったのはカップヌードルをずぞーっと平らげるシーンだった。ぼくはその土地で一番安いタイプのビジネスホテルにしか宿泊しない(それと、比較的新しいビジネスホテルを選ぶことが多い)ので、冷蔵庫は空っぽであることが多い。つまり、飲み物が備え付けのように冷蔵庫に入っていて、飲んだぶんだけチェックアウトのときに支払うタイプのホテルに泊まることは少ないので、カップヌードルが備え付けになっているホテルというのが印象的だった。

 それで今日のお昼は、久しぶりにカップヌードルを買ってきて平らげた。午後、「キメラ――『少女を埋める』のそれから」を読む。ここ数日で機内誌『c』の取材日程が決まったので、それに合わせてもろもろスケジュールを組んで、予約の手配など。それをやっているだけでほとんど一日が終わってしまう。最近ストレッチをサボり気味だから、体の調子もいまひとつだ。それならストレッチをすればよいのだけれども、ぼくがやっているストレッチは1セット20分くらいかかってしまうので、どうも始める気になれず、ぐったりしながら過ごしている。