10月27日

 昨晩は久しぶりに(20時以降に)外で飲んだせいか、なかなか起きられなかった。でも、昨日はそんなに酔いどれて帰ってきたのではなかったはず、と記憶を辿りつつ、水を飲もうと台所に向かう。そこにコンビニラーメンの器があるのを見て、まあまあ酔っ払っていたなと思う。なるべく知人に迷惑をかけないようにと意識していた記憶は残っているけれど、0時過ぎに帰ってきてラーメンを一緒に食べようとするというのは、わりと迷惑だ。酒場で絡んできた男のことを思い出す。ほとんどの酒場で、客はマスクを外して過ごしている。そこではマスクをつけ続けている人が少数派で、「せっかくの雰囲気に水を差す奴」と見做される可能性が出てくる。「コロナが怖くて酒が飲めるか、そんなマスクをつけてるやつなんて出てけ」と言われる可能性だってある。コロナのリスクが限りなくゼロになった時代がやってくれば話は別だけど、酒場に足を向けづらくなるかもしれないなと思う。

 一方で、昨日の静けさを思い返す。ワイワイ数人で出かけるタイプの酒場は別にして、ひとりでシッボリ過ごす店は、遅い時間だとわりと空いている感じがする。だとしたら、もうちょっと経済的に余裕があれば、終電間際に飲みに出掛けて、タクシーで帰ってくる、ということだってできる。ただ、書評の仕事がなくなるので、さしあたって来年はそんな余裕はなさそうだ。知人は元気がなく、今日は休みにすると言って眠り続けている。

 ツイッターを眺めていると、投票しようか迷っている候補の演説場所に、19時に「団子坂ミスタードーナツ」とある。これは聴きに行くしかないだろうと、18時に知人を誘って出かける。もしかしたら少し早めに千駄木入りして、よみせ通り谷中銀座を練り歩いているかと思ったけれど、街はいつも通りの佇まいだ。「E本店」に立ち寄り、生ビールを注文。あとから隣にやってきた二人客は、最初のうちはビールを飲んだらマスクを付け直しとやっていたけれど、生ビールを一杯飲み干す前にアゴにマスクをずらしたままになる。ビールを2杯飲んだところで18時45分、ゆっくりとミスタードーナツのほうに歩き出す。途中、「となみ」の近くを通りかかると、灯りがついているのが見えた。なにやら工事をしている。新しいお店ができるのだろうか。工事をしていた人に「すみません、なにかお店ができるんですか?」と尋ねると、はい、このお店なんですけどとチラシを差し出してくれる。あとで知人は「ほんと、そういうとこ、すごいよね」と言っていた。飲み会のような場ではほとんど人に話しかけないのに、こういう場合はずんずん進んで行って、声をかけてしまう。

 18時55分に交差点にたどり着く。ちらほらと支援者おぼしき人たちはいるけれど、まだ演説会が始まりそうな気配はなかった。そして、支援者とおぼしき人たちが佇んでいるのもミスタードーナツ前ではなく、別の角だ。19時を少し過ぎたところで、選挙カーがやってきて、ミスタードーナツとは道路を挟んで対岸の角に停まる。支援者と思しき人たちは、いそいそと白いジャンパーをまとい、ノボリを立てたり、ビラを配り始めたり、演説の準備を始めたりしている。その気配を眺めていると、どうもミスタードーナツ前では演説は行わないようで、ミスタードーナツから見ると交差点の対角線城にある場所、駅の出口の前で開催するようだ。「勝手に名前を出してくれるな」と企業に言われたのだろうか。この交差点の中で、いちばん広々とスペースがあるのはミスタードーナツのある角だけれども、演説の準備をしているのは、狭い上に駅から出てくる人で混雑しがちな角だ。わざわざそちらに移動する気も起きず、頑としてミスタードーナツ前に佇んだまま、演説が始まるのを待った。

 すぐには候補者の演説は始まらず、応援演説から始まる。ぼくが佇んでいる角でも、ビラ配りをしている。その様子を見ていると、前回の参院選のとき、各候補者の演説を聞きに行ったときの記憶が甦ってくる。あのときも立憲の演説会場の印象は悪かった。ビラを配る人たちが、通行人に立ちはだかるようにビラを配っていたのだ。「自分たちは正しい政策を訴えているのだから、それは受け入れられて当然だ」という感じが透けて見えた。それに比べると、自民や維新はきっちりしていた。維新は、ビラ配りのひとりひとりが有権者の心象を左右しかねないということを意識していて、ビラを配る人たちにも言って聞かせているのだろう、「お騒がせしてすみません、もしよかったらチラシをお持ちください」と言った感じで、そっと横からビラを差し出していた。今日、目の前でビラを配っている立憲の候補の支援者は、足を伸ばしたり、ぶらぶらさせたりしながら、人が通りかかると「お願いしまーす」とビラを差し出している。そして、人が通り過ぎると、同じ支援者同士で談笑している。足については、一日選挙運動をやってきて疲れているのかもしれないけれど、その雰囲気で「よし、応援しよう!」と無党派層の心が動くだろうか。

 応援演説がおこなわれているあいだ、タスキをかけている本人はただその場所に立ち尽くし、漫然と手を振っていた。その姿を見ていると、自民党の丸川の姿を思い出してしまう。彼女は自分に向けた応援演説そしてもらっているあいだ、ずっと駅前広場を歩き回り、ひとりひとりに「よろしくお願いします」と手を差し出し、握手してまわっていた(ぼくのところにもきたけれど、それは無視した)。「握手してもらった、あの人に投票しよう」という安直な発想をする有権者が悪い――それはその通りだけれども、あれぐらい「熱意」を演出してみせる自民に比べて、この候補はあまりにも漫然と手を振っている(それは前回の参院選の候補にも感じた)。駅から人は吐き出されてくるのだから、せめてひとりひとりに目を合わせながら手を振ればいいのに、誰とも目を合わせていなかった。

 15分近く経っただろうか、数人の応援演説が終わり、ようやく本人の演説が始まった。千駄木は私も大好きな街で、古い店もあれば新しい店もあって、いい街だなと思いますと語っていて、いくらなんでも酷過ぎる、と感じる。その言葉で、「おお、この人はこの街が好きなんだな」と伝わるだろうか? 政治家はなにより言葉を扱う仕事だと思っているので、演説を聞いていると、投票する気がしなくなってくる。お題目のように制作を訴えていて、そのひとつひとつは“まっとう”なのだろうけれど、自分の言葉を語っているという感じが伝わってこなくて、響かない。知人は「何言いよるんかわからん」と言っていた。言葉を聴いていると、選挙活動で疲れているのだなということだけが伝わってくる。演説が終わったところで、「ちよだ鮨」に立ち寄り、パック寿司を買って帰途につく。もとからの支援者をのぞけば、ぼくと知人以外に、わざわざ演説を聞きに足を運んだ人はいなかったと思う。ふと足をとめる人もいなかった。「なんか、文化祭みたいだった」と知人は言っていて、鋭いなと思う。自分たちが盛り上がっているだけで、誰かに呼びかけようという感じはまったくしなかった。