12月10日

 6時過ぎ、知人が身支度をする音で起きる。昨日は飲んで帰ったから話をしっかり聴きそびれてしまったけれど、なにか仕事の用事があって早く出かけるようだ。昨晩はわりと酒を飲んで、酒を飲むといろんなことをぐるぐる考えてしまうので、その余韻を引きずったまま午前中は過ごしていた。昼、ボンゴレソースを買ってきてお昼にする。残念な気持ちになりつつ食器を洗い、新宿に出る。14時、『CYCLE』観る。いわきのプロジェクトに参加していたHさんも観劇にいらしていたので、終演後は一緒にお茶をする。サザンテラスのスタバはほぼ満席だったけど、その向こうにあるイタリアンダイニングはガラガラだったので、そこに入店。

 ふとケータイを確認すると、RK新報の担当記者の方からメールが届いている。開いてみると、先月末の記事について、抗議の電話があったとの由。視界が暗くなる。吹っ切ることは難しく、すみません一本電話していいですかとHさんに断って、記者の方に電話。電話を切り、Hさんと1時間半ほど話す。17時に店先で別れ、ひとりで思い出横丁「T」へ。ぐるぐる考えながら、やっぱりここは、わざわざ電話をかけようという気持ちにまで至った方に話を聞きに行くしかないのではという気持ちに落ち着く。

 19時半、『DELAY』を観劇。最後のレクイエムがずしりと残る。客席にうっすら灯りがつくシーンが2回あり、観客に誤解を与えるのではないかという気も残るけれど、あれはいつか思い出す日に向けて灯されているのだろう。終演後、Fさんにすっと黒ラベルを手渡される。これは持ち帰るのではなくてこの場で飲み切ろうと、ハンカチでくるみ、隅っこでプシュっとあける。終演後もマーケットのような物販コーナーはしばらく開いていて、そこで靴やグッズを物色しているお客さんたちの姿をぼんやり眺めつつ、ビールをゆっくり飲んだ。途中で少しFさんとも言葉を交わす。インタビュー、チェックも終わって、明日から公開します、ありがとうございます、とFさん。また話したくなるかもしれませんけどと言うので、ぜひぜひと伝えて、LUMINE 0をあとにする。

 中央線と千代田線を乗り継ぎながら、ケータイを眺めていると、12月29日に梅田の蔦屋書店でトークイベントが開催されるとの情報を見つける。こんな時期だともう新幹線は予約で埋まっているかと思ったけれど、時間帯を選べば空きがありそうだ。使い勝手の悪いインターフェースをぽちぽち我慢強く操作して、最後列に空席がある便を探し、予約しておく。帰宅後、シャワーを浴びて、知人と『浅草キッド』を観る。ビートたけしに関心は湧いたけれど、その時代の人がそんな歌い方を、そんなしゃべりかたをしたのだろうかと気になってしまう。漫才をやろうと思うと告げるたけしに、師匠が「漫才なんて」と語る場面が印象的だった。

 コント/軽演劇の道を歩んできた師匠から出た言葉だから、すんなり聞き流してもよいのだけれど、この時代に漫才はどういう印象を持たれていたのだろうかと考えてしまう。1970年代前半はコント55号ドリフターズが大人気だったはずで、その時代はコント/軽演劇の軽妙さ、モダンさ、洒脱さ(そこには舶来の匂いがある気がする)が受けていたのだとすると、日本の伝統的な演芸である漫才は結構古くさいイメージを帯びていたのではないか。そして、それをひっくり返したのが漫才ブームだと考えると、そのインパクトの大きさを思う(ただ、自分がこどもだった頃を振り返ってみると、その時代もまた漫才よりはコント番組のほうが目立っていた気がするから、M-1グランプリがふたたびイメージを転換させたのだろう)。『浅草キッド』を観終えたあと、「THE MANZAI」で披露されたツービートの漫才の動画を探して見る。この舞台セットや、「THE MANZAI」という文字面は、同時代にどういう印象を与えていたんだろう。フライデー襲撃事件後の会見動画を見て、その姿に引き込まれる。