12 月16日

 6時に目を覚ます。シャワーを浴びて荷造りをして、7時にホテルをチェックアウト。この時間帯でも、西原インターのあたりは少し渋滞していた。芸人のラジオをBluetoothスピーカーで聴きながら車を走らせ、8時半には本部町に辿り着く。コンビニでミックスサンドとどん兵衛(特盛)、それに缶ビールを買って、今晩宿泊する宿に車を駐車し、歩いて渡久地港へ。9時発のフェリーには、観光客が3、4組だけ乗船していた。僕はカメラを手にデッキに立ち、水納島の写真を撮っておく。4月から5月にかけて何度か水納島を訪れたときにも写真を撮っていたけれど、その時期は晴天の日がなくて、きれいな海と空を写真に収められずにいた。

 9時15分に水納島に到着してみると、砂浜が黒く煤けた感じになっている。漂着した軽石が打ち上げられている。桟橋を覆うほどではないとはいえ、波打ち際には少し軽石が漂っていて、薄茶色く濁っている。Yさんの車に乗せてもらって、「コーラルリーフ・イン・ミンナ」へ。宿泊するわけでもないのに(本当は宿泊したかったけれど、明日は船の結構がほとんど確定している)、お世話になってばかりで恐縮する。今日はトートーメー(位牌)のお引っ越しがあるそうで、いつもより少し忙しない雰囲気が漂っている。今回水納島を訪れたのは、「予定通り年明けに本が出せそうです」という報告と、本に掲載する地図を確かめるためだった。国土地理院の地図は、どうも記憶と少し違っている箇所があったのと、井戸の位置がGoogleマップなどでは把握できなかったのとで、地図を確認したかったのだ。荷物を置かせてもらって、島を散策してまわる。

 地図の確認が終わると、カメラを手に海に向かう。今更間に合わないかもしれないけれど、晴天の日の海を撮影して送れば表紙の候補になるかもしれないと、いくつかの構図で何枚か写真を撮っておく。しばらく海辺で過ごしていると、11時過ぎ、小型船がやってくる。トートーメーのお引っ越しのために、船をチャーターして、ユタにきていただいたそうだ。12時過ぎ、Yさんに連れられて、Nさんのおうちに出かける。Yさんは一度家に戻り、Nさんとふたりでお話しする。以前は夜の浜で釣りをして過ごすことも多かったそうだけど、最近は回数が減ったそうだ。軽石が漂着したことで、かつては月夜の晩には白く輝いていた浜がどんより暗くなり、ちょっと不気味な感じがして、夜釣りの回数が減ったという。

 Nさんは今年、古希を迎えた。学校の教員をしていたNさんは、定年退職を機に「ゆっくり過ごそう」と、水納島にも家を構え、沖縄本島水納島を行き来しながら暮らしている。その生活を始めて10年が経ち、平均寿命まで生きると考えるとあと10年かと、少し寂しく思うこともあったという。でも、少し前に、自分よりパワフルな年長者と出会ったことで、勇気をもらったのだと、Nさんは顔をほころばせる。「今から10年後に、この島がどんなになっているか、見届けたいなと思っているわけよ。橋本さんも、これから年に1度でも島に通ってみたら、貴重な記録になるんじゃないかと思いますよ」と。

 トートーメーのお引っ越しに向けて、ユタの方と一緒に、親族の方達が車で井戸に向かうのが見えた。しばらくすると、車が引き返してきて、今度は拝所のほうに進んでゆく。しばらくすると、半パンからジーパンに着替えたYさんが戻ってきて、「もう少ししたら行きましょうかね」とNさんに声を掛ける。トートーメーのお引っ越しは、親族だけでとりおこなわれるのではなくって、この島に暮らしている人たちも参列しておこなわれるのだというこの島に長らく暮らしてきた故人が、亡くなっているとはいえ遠く離れた場所に引っ越すとあって、皆でお見送りをするのだ。これまでは那覇に暮らす遺族の方が、行事ごとのたびに島に帰ってきて位牌を見ていたけれど、それも大変だからと引っ越しをすることになったそうだが、あらためて、位牌というものの存在の大きさを感じる。

 Nさんちをあとにして、宿に引き返す。島の方たちがお引っ越しのある家に集まり始めている。法事ではないので喪服を着るわけでもなく、ただいつもの普段着とは違って、暗めのトーンの服に着替えている。お昼用にどん兵衛を買ってあったものの、勝手に台所に入ってお湯を沸かすわけにもいかないので、缶ビールを飲んで腹を満たす。さっきNさんが言っていた言葉を反芻する。10年も経てば、島の風景は大きく移り変わっているだろう。変化の様子は未来の自分に任せるとして、現在の様子をもう少し写真に撮っておこうと、撮りそびれていた場所を探すように島内を散策する。トートーメーのお引っ越しをしているおうちの前を通りかかるときは、カメラを反対側に隠して、おうちに視線を向けないようにして通り過ぎる。海辺に佇んでいると、お引っ越しの儀は終わったようで、ユタの方と親族の方が桟橋にやってきて、チャーター船に乗り込んで出港してゆく。

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 宿に帰ると、精進落としみたいなものだろうか、Yさんがお弁当を1個分けてくれる。巻き寿司2個と、いなり寿司1個、かまぼこ、卵焼き、唐揚げが入っている。それをツマミにビールを飲んだ。15時過ぎ、同じ便で本島に渡るYさんと一緒に桟橋に向かう。朝はわりと穏やかだったのに、午後から強い風が吹き始めて、水納港に入ってくるときにフェリーは一度切り返していた。デッキに立って過ごしていようと思っていたら、出港した船は揺れに揺れ、しゃがみこんで手すりを掴む。港でYさんと別れ、本部町営市場近くの魚屋さんで刺身の盛り合わせを買って、宿まで20分近くかけて歩く。チェックインして、ベランダから横目に海を眺めつつ、地図に修正を加えたデータと、追加で撮影した写真をメールで送っておく。

 18時過ぎ、Yさんから電話がかかってくる。夕方には用事が終わるので、よかったら飲みましょうと誘ってもらっていたのだ。海運会社の方にも声をかけてくださっていたらしく、その方の行きつけだという酒場に向かう。普段は満席で入れないこともあるそうだけれども、今日はまだ先客がおらず、奥のテーブル席に座り、ビールを注文。最初のツマミとして注文したのは、フライドポテト、ほうれん草のサラダ、それにTボーンステーキ。「沖縄では〆にステーキを食べる」という話はよく聞くけれど、こうして初っ端から頼むこともあるのかと圧倒される。Yさんがステーキを切り分けてくれて、ふたりともぺろりと平らげる。ぼくも取り箸で何切れか自分の皿に取り分けて、冷めないうちにと食べていると、ふたりは続けて、霜降り牛のステーキを注文している。海運会社の方はしばらく勤務がないということで、ビールをひたすら飲み続けている。ぼくとYさんは泡盛を1本半飲んだ。今日は他にお客さんがやってくる気配もなさそうだから早く閉めると店主が言うので、21時過ぎにはお開きとなり、ホテルに引き返す。