12月30日

 明け方に目を覚ますと、まだ『オールザッツ漫才2021』が放送されていて、ゆりやんが何かネタを披露していた。ボリュームを下げて眠りにつくと、少しだけニュースが流れ、早朝から『ドラゴン桜』の再放送が始まる。8時25分に「ホテル新大阪」413号室をチェックアウトし、新大阪駅へ。水了軒の汽車弁当と、それに鯖3個、鮭2個の柿の葉寿司を買う。新幹線改札口近くのモニターを確認すると、くだり方面はほぼ「×」だが、のぼりはすべて「○」だ。改札をくぐり、551でも――と思っていたら50人近く並んでいて、自分が切符を買っている新幹線にはとても間に合わなそうなので、諦める。並んでいる人たちは、551に並ぶ時間も計算に入れて自宅を出発しているのだろうか。

 8時57分発の新幹線、16号車の1Cに乗り込む。昨晩はノースゲートビルディングでひとりで飲んだあと、22時過ぎにはホテルに戻っていたせいで、酔っ払いながら日記を書いてしまっていた。まずはパソコンを開き、書き過ぎていたところを削る。そののち、ケータイにダウンロードしてあった『ロッキー4』を見返す。人間は変われるのか、変われないのか。アポロから「何があってもタオルを投げるな」と言われて、自分なら投げずにいられるかどうか(でも、これについては、自分は投げないだろうし、それであの結果になったとしても悔やむことはないとも思う)。観終わったあと、Wikipediaを開いてみると、この映画が酷評されていたと知る。えー、そうか。

 そして、アメリカ大統領から絶賛されたのとは対照的に、ソ連からはプロパガンダと批判されたという。まあ、あまりにも表層的なイメージで描かれているのは確かだから、ソ連側が批判したくなるのはわかる(ストⅡみたいな世界観で、懐かしさをおぼえたけれど)。ただ、これをアメリカ大統領の立場として絶賛するというのは、レーガンって、一体どういう人なんだろうかと疑問が浮かぶ。ソ連機械的で非人間的な世界として描かれているのに対して、アメリカはあまりにも虚飾に満ちた、軽薄で下世話で狂乱じみた世界のようにも描かれている。アメリカに対する冷ややかな視点も、映画の中には強くある。共和党支持者であるスタローンの中で、この冷ややかさはどのように育まれたのだろう。安直に考えれば、ロッキーと同じように、移民のことして生まれ育ち、冷遇された時代を経験しているからだろうか?――と考えながらWikipediaを読み進めていくと、ああそうか、エイドリアンって『ゴッドファーザー』で結婚式を挙げ、夫に暴力を震われていたあの女性かと、今更ながら気づく。そして、その兄が映画監督のコッポラなのかと、洋画をろくに観ずに生きてきたので、こちらも今更ながらに知る。この年末年始に何を観ようかと考えたときに、思い浮かんでいた映画のひとつは(放談『これでいいのだ』でしばしば名前が挙がっていたのに未見のままだった)『地獄の黙示録』だった。

 ロッキーとドラゴの試合の中で印象深いのは、ロッキーはドラゴを「相手も人間だ」と気づくのとは対照的に、ドラゴは「あいつは人間じゃない」と怯え出すところだった。試合が始まる前に、ロッキーは洗面台(?)に跪き、祈りを捧げる。彼はきっと、(アメリカでは少数派の)カトリックなのだろう。彼の中には信仰がある。それに対して、ドラゴには何か“信仰”があったのだろうか。坪内さんが「オム世代の神様探し」の中で、信仰つまり世界観を持たない人間は、信仰を持っている人間に敵わないと書いていたことを思い出す。

 新幹線で隣に座っていたのは、まだ言葉をしゃべれないこどもを連れた男女だった。男性は席に座るなりマスクを外し、それなりの声量で話している。隣にいる女性はマスクをつけたままだ。マスクで顔を覆っていると、こどもが泣いてしまうのだろうかと思っていたけれど、こどもが眠ったあともマスクを外したままケータイをいじり、時折咳き込んでいる。さすがにやめてほしいなと思うけれど、ここでどういう視線を向けるのか、難しい。この時期にひとりで新幹線に乗車して、iPhoneで『ロッキー』を観ているような男が迷惑そうな視線を向けてしまうと、「こどもがはしゃいでいることを邪魔くさく思っている」というメッセージになってしまう気がする。そういうことではなく、できることならマスクをつけて、マスク外したままならせめて咳き込むときは手なり腕なりで覆って欲しいだけなのだけれども――とぐるぐる考えていたけれど、もしもこの男性がこどもの父親で、毎日一緒に暮らしているのだとして、もしその男性が感染者であるならばこどもも感染している可能性が高く、だとすれば男性がマスクをつけていようがいまいが関係ないということになる。あとはゴーグルとKN95マスクの性能を信頼するほかない。

 12時少し前に帰宅。朝から知人が大掃除をしてくれていたので、キッチンやトイレがすっかり綺麗になっている。シャワーを浴びたのち、水了軒の汽車弁当を知人と平らげる。『有吉の壁』を観ながら、なかば自覚的に調子に乗ってビールを3本飲んで、1時間ほど昼寝をしておく。目を覚ましたあと、大阪に持っていっていたリュックを整理する。Hさんにもらった縄跳びを手に、玄関先に出て、縄跳びをしてみる。サンダル履きだったのと、玄関先だと思いのほか人通りがあったのとで、早めに切り上げてしまったのだけれども、それだけでもわりあいくたびれてしまった。縄跳びってこんなに大変な運動だったっけ。小さい頃は縄跳びで「疲れた」と感じたことはなかったような気がする。思い出が補正されているのだろうか。

 日が暮れた頃になって、知人と買い物に出る。「越後屋本店」で生ビールを飲んで、カレンダーをいただく。「良いお年を」とご挨拶したのち、よみせ通りの花屋で花を4輪買って、スーパーに寄り、食材を買い込んで、「I 本店」で〆張鶴大吟醸を買って帰る。

 19時に晩酌を始める。スーパーで買ってきた地鶏の炭火焼きとマカロニサラダをツマミに、ビールで乾杯。今日は早く眠ってしまうわけにはいかないので、時計を確認しながら、30分かけてロング缶を飲んで、また30分かけてロング缶を飲んだ。お歳暮のように実家から送られてきた九州うまかもんセットの中から、いかしゅうまいさつまあげを解凍しておいたので、いかしゅうまいはレンジで温め、さつまあげは軽く炙る。ビールは2本でやめにして、日本酒に切り替える。ここでも時計を観ながら、チビチビ飲む。『ヤギと大悟』を途中まで観たあと、22時から『あちこちオードリー』を観る。新大阪で買った柿の葉寿司をつまむ。いつもなら23時には酔っ払って眠ってしまうところだけれども、どうにか眠気に襲われることなく、楽しみにしていた『クイズ☆正解は一年後』の放送時刻を迎える。このあたりで麒麟山の熱燗に切り替えて、ちびちび飲みながら放送を観た。久しぶりの夜更かしで楽しくなり、CM中にコンビニまでアイスを買いに走ったりもして、放送を最後まで見届ける。