1月5日

 6時過ぎに目を覚ます。ズボンの下にヒートテックを2枚履いておいたおかげか、特に風邪を引いている感じもなくてホッとする。マフラーと首のあいまにホッカイロを入れておいたのもよかったのかもしれない。ベランダの向こうに目をやると、BE KOBEのモニュメントの前を、観光バスがのろのろと走っている。そのまわりを囲むように、黒っぽい服を着た人たちが走っている。今日は兵庫県警の視閲式が開催されるようで、しばらくすると鼓笛隊が予行演習する音が聞こえてくる。チェックアウトはしないまま、9時近くにホテルを出て、ホテルオークラ前のポートでレンタサイクルを借りる。交差点にはカメラを抱えた人たちが待機している。きっと視閲式にやってくる警察車両を撮影したくて待機しているのだろう。

 小さな子どもを後ろに乗せた自転車が何台も行き交っている。大通りを走っていると、湊川神社の前に出る。まだ正月の雰囲気が残っていて、表にリンゴ飴の屋台が出ている。フリフリポテトに、あげもち。「屋台の定番 玉子せんべい」という看板も見える(玉子せんべいって何だろう)。揃いのジャンバーを着た人たちが参道を引き返してくる。手には破魔矢がある。他にも破魔矢を手にしている参拝客はたくさんいる。若い三人組が境内を散策している。「あれ、そういえば××って、こういうとこきて大丈夫なん?」とひとりが言う。「ああ、くるだけならだいじょうぶ」と答えている。

 風邪をひきかけている予感はないものの、温かいものを食べて体を温めておこうと、朝8時から営業している新開地の「ふく井」を目指す。アーケード街を進んでいくと、立ち食いうどん/そば屋を見かけないまま公園が近づいてきて、あれ、通り過ぎたかとGoogleマップを確認する。この時点でなんとなく予感はあったけれど、今日は定休日らしかった。とぼとぼと引き返していると、「松屋」というお店が目に留まる。ああ、ここも名前を見たことがあると思い出し、天ぷらそばに山菜をトッピングしたものを注文。どんぶりを持ち上げてそばを啜る。「細いうどんあります」の文字。お客さんが次から次へとやってくる。汁を飲み干して、お店をあとにする。あたりにはパチンコ屋さんがたくさんあって、行列を作るでもなく、開店待ちのお客さんがゆるゆると点在している。

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 10時近くにホテルに引き返し、シャワーを浴びて荷物をまとめて、チェックアウト。昨日受けたPCR検査の結果も届いていて、無事陰性だとわかる。レンタルしっぱなしだった自転車をこいで「KIITO」に行き、『わたしは思い出す』展を観る。展覧会のチラシには、「この試みは、仙台の沿岸部に暮らすかおりさん(仮名)の育児の記録と記憶を通して、その問いに応えようとするもの」だと、展覧会の趣旨が記されている。かおりさんは「初めて出産を経験した2010年6月11日から育児日記をつけ始め」ていて、「日記の再読をとおして彼女が語った言葉をたよりに2021年3月11日までの歳月をたどり直します」と。会場には、毎月11日のエピソードを拾い出し、「わたしは思い出す、涙は意外と出なかったことを。」、「わたしは思い出す、100ccの目盛りを。」といった文字が展示されている。日記の中に毎回「わたしは思い出す」というフレーズが使われてきたのかなと思いつつ、展示を見ていくと、会場の一角にフルバージョンの日記が印刷されたペーパーが置かれている。それを読んでみると、そこには「わたしは思い出す」というフレーズが出てきていなくて、ちょっとびっくりしてしまう。あらためてチラシを確認すると、こう書かれてある。

壁面の《わたしは思い出す》の冒頭の数字は、かおりさんの出産日を[1]とした経過日数です。かおりさんが語った内容のうち、毎月11日のエピソードに特にフォーカスし、「わたしは思い出す」という短いフレーズのリフレインは、個人的で断片的な回想を羅列したジョー・ブレイナード『ぼくは覚えている』(白水社、2012)や、ジョルジュ・ぺレック『ぼくは思い出す』(水声社、2015)が用いた詩的表現に想を得ています。

 

 誰かの生活の記録に、このように「詩的表現」をまぶして編集するというのは、ちょっと、というかかなり、おそろしいことに感じる。

 自転車を走らせ、三宮に出る。市役所の近くに王子動物園の看板(?)が出ていて、「70年ありがとう」「これからもよろしくね」「ずーっといっしょ。」と書かれている。少し前に触れたニュースは勘違いだったのだろうかと、時空が歪んだような感じがする。駅前でレンタサイクルを返却し、JR三ノ宮駅西口近くのコインロッカーに荷物を預けたのち、灘駅に出る。古本屋さんはまだ今年の営業が始まっていなかった。水道筋から灘中央市場に入ってみると、まだどこも正月休みの最中で、シャッターが降りたままだ。これはお寿司屋さんもまだ休業中かもしれないなあ。

中央市場を抜け、畑原市場だった道に入ると、幟が立っているのが見える。そこに魚屋さんがオープンしていたようで、軒先で誰かが買い物をしている。よく見るとそれはUさんだ。ここでUさんに会うのはほとんど必然だろうと、後ろから「こんにちは」と声をかけて通り過ぎる。Uさんは訝しそうに「こんにちは」と言っていた。通り過ぎたあとになって、お互いマスクをつけていたし、突然挨拶しただけでは誰だかわからなかったかもなと気づく。

 お寿司屋さんは営業していた。カウンターの端っこに座り、上にぎりと菊正宗の大きい徳利を頼んだ。メニューに「松前寿司」と貼り出されている。こちらではよくあるメニューなのだろうか。テイクアウトでお寿司を買いにきたお客さんとお店の方が、あけましておめでとうございますと新年の挨拶を交わしている。どこか行ってたんですか? いえいえ。じゃあ、家で。家が一番ゆっくりできますねえ。新年の気分をお裾分けしてもらいながら、寿司を頬張る。たこってうまいなあと思いながら、熱燗を飲んだ。食後に畑原市場を引き返し、さきほどUさんが買い物していた魚屋さんの前で立ち止まる。そうだ、今日の晩酌のツマミを買って帰ろうか。どうせ注文するやりとりで地元の人間じゃないのが伝わってしまうだろうからと、「すみません、このあと新幹線で移動するんですけど、常温で持ち歩いても大丈夫ですかね?」と尋ねる。このへんの焼いてあるやつなら、全然大丈夫よ。もう、しっかり焼いてあるから、2日でも大丈夫と店主が笑う。

 いくつか選んで買って、摩耶駅に出る。ホームで電車を待っていると貨物列車が通過し、コンテナがいくつも通り過ぎる。昨晩、Hさんとコンテナ弁当の話をしているとき、東京ではコンテナを見かけないという話になって、言われてみればたしかにとハッとさせられたばかりだったので、しみじみ見送った。

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