1月11日

 6時過ぎに目を覚ます。ケータイをぽちぽちいじっていると、無料で漫画が読めるアプリの広告で、『ザ・ファブル』が流れてくる。少し前からときおりタイムラインに表示されていた。僕がまだ『ヤンマガ』を購読していた頃に連載が始まった漫画で、序盤は読んだような記憶があるのだけれど、タイムラインに表示されるそれはほとんどギャグ漫画だ。なんとなく気になってアプリをダウンロードして、読み始めてみたものの、1話の半分がアプリ上の1エピソードになっていて、1エピソード読み終えるたびに「次のエピソードへ」と操作するのが億劫だ。しかも、1日に読めるエピソードはかなり限られている。もう、いっそのことと思い切り、Kindleでまとめ買いする。

 キムチ鍋の残りを少しだけつまんで、さっそく『ザ・ファブル』を読み進める。あっという間にお昼になり、キムチ鍋の残りを雑炊にして平らげる。13巻のラストのエピソードにぐっときたところで読むのを一旦中断する。頭痛と蕁麻疹のこと、念のために検査してもらったほうが安心だなと思い、内科と脳神経外科のある近所のクリニックに電話をかけてみる。2020年の秋にPCR検査をしてもらったことがあり、そのときに診察券を作ってもらっていたのだが、去年の年の瀬に掃除をしたタイミングで「もう診てもらうこともないかもな」と処分してしまっていた(診察券があるとネットから診察予約ができる)。電話をかけて相談すると、名前と生年月日で照合し、診察券の番号を教えてくれる。

 予約は2日前で締め切られるので、明日の枠は予約できないそうだが、「予約なしでも、お待ちいただくことにはなってしまうんですが、お越しいただければ診察させていただきますので」と応対してくれたスタッフの方が言う。どうしよう。今日も時折頭痛がするので、早めに診察してもらったほうがよい気もする。ただ、おそらく、原因は疲れが溜まっているところに酒を飲み過ぎたことだろうなという予感はある。前に蕁麻疹が出たのは、公演に同行してフィレンツェに滞在したときで、あのときは数日アルコールを控えたら蕁麻疹が出なくなった(せっかく海外に滞在しているのに、お酒が飲めないのは悲しかった)。もしも急いで医者にかかる必要があるような病気で頭痛と蕁麻疹が出ているのなら、今頃もう救急車が必要な状況になっているのではという、甘い読みもある。何時間待つかわからないまま病院のロビーにいるのも面倒だからと、明後日の枠を予約しておく。

 機内誌『c』の原稿をぼんやり考えつつ、おでんの仕込みを始める。今日は練り物を控えめに、大根、玉子、厚揚げ、豆腐、つみれ、椎茸、はんぺん、葉野菜(小松菜)。原稿は今日が締め切りだったのに、書き出せないまま夜になってしまう。今日は酒を控えることにして、おでんとツマミに炭酸水を飲んだ。ポッカレモンも買っておけばよかった。前にイタリアで蕁麻疹が出たのは何年前だったのかと、ケータイの写真を遡って確認してみると、2019年の3月だ。もっと昔だと思っていたので、少し動揺する。3年のあいだに2度蕁麻疹が出るというのは、思ったより頻度が高い気がする。今年でもう40になるのだから、節制しながら生きていかないといけないのかもしれないなと漏らすと、「そりゃそうやろ」と知人が言う。

 おでんを食べ終えたあと、緑茶を飲みつつ『ストレンジャー・シングス』の最初のシーズンの第1話を観たのち、リアルタイムで『ファイトソング』を観る。脚本が岡田惠和、主演が清原果耶とあって楽しみにしていたのだけれども、どうにも退屈に感じてしまう。挫折を経験した主人公や、「一発屋」とも揶揄されるミュージシャンに「恋でもしなよ」とけしかけるのも微妙だなと思ってしまうし、俺の才能はもう枯れてしまったのか、と思い悩むミュージシャンの描き方も、演技も、登場人物たちの出会い方も、設定も、凡庸に見える。これは来週以降は観ないかもなあと思いながら、放送時間が残り10分になったあたりで、湯呑みを片づけに台所に行こうと立ち上がったところで、そのまま動けなくなり、画面を凝視していた。

 今日のお昼、いろんな番組に俳優陣が出演して、番宣をおこなっていた。じっくり観ていたわけではないけれど、どの番組でも「三角関係」という形容がなされていて、その説明からするに「あんまり興味ないドラマかもなあ」と思ってしまっていた。でもこれは、三角関係を描いたドラマではなく、『セミオトコ』がそうであったように、同時代に対するメッセージがとても強く打ち出されたドラマだと思う。主人公は空手の全国大会で優勝した帰り道に、事故に遭い、もう空手はできなくなってしまった。それでも涙を流すことなく、なんでもないようにふるまってきた。でも、ある歌に、彼女の感情が溢れ出す。こう書き出してしまうとやはり凡庸にも思えるのだけれども、これは自分ではどうにもならない何かによって、人生のなにかが損なわれてしまったという思いをどこかに抱えて過ごしている人に寄り添うように書かれた物語なのだろう(「凡庸」だとか「退屈」だとか、すぐにそういう言葉を思い浮かべてしまうけれど、それは裏を返せば、遠くまで届きうるということにもなりうる)。ラスト10分に胸を打たれつつも、次回予告になるとまた「恋の行方」的な話ばかりが際立たされていることにげんなりする。『MIU404』のときも、放送開始前に情報番組で番宣が打たれた際に、「バディもの」「スタントなしでアクションに挑戦」みたいな宣伝がなされていて、ああ、そういうドラマなら観なくていいかと判断してしまったことを思い出す。

 自宅で晩酌をしていると、ペース配分というものをほとんど考えずに浴びるように飲んでいることもあり、22時から23時には眠ってしまう。でも、お酒を飲まないとまったく眠くならず、山田風太郎『あと千回の晩飯』をKindleで読んでいた。お酒を飲まずにいると、いつまで経っても意識は明瞭なままだ。