1月14日

 7時半に目を覚ます。中2日しか空けてないとはいえ、3日ぶりにお酒を飲んで、内臓が少しくたびれているのを感じる。毎日のように飲んでいると、このくたびれを感じなくなってしまっていたのだろう。ストレッチをして、ジョギングに出る。たまごかけごはんを平げ、新聞を読む。「貨物線旅客化で活性化 葛飾新小岩金町駅」という記事が出ている。葛飾区が、総武線新小岩駅常磐線金町駅とを結ぶ貨物線「 新金しんきん 貨物線」の旅客路線化事業に乗り出すのだという。今後は人口が減少するとの予測が立てられているなかで、南北交通網の強化を図る新路線を運行させることで、人口減に歯止めをかけたいのだ、と。

 数年前に豊島区が「消滅可能性都市」とされたという話もあったけれど、都心ですらもう人口減少を避けられないのだなあとしみじみ思う。これからやってくるその時代には、「どうにか、これまで通りで」というのは通用せず、新しい手を打ち、現時点ではまちの外側にいる人たちに訴えかけなければならないのだろう。それだけでもう、身につまされるような思いがする。そして、葛飾区長が車両デザイン案として提案したのが「男はつらいよ」、「こち亀」、「キャプテン翼」だったということにも、なんとも言えない心地になる。いずれも昭和の作品だ。平成30年間は何だったのだろうかとも考えさせられるし、そういった昔の作品で地域に暮らす人たちのアイデンティティが生みなおされるのだなとも思う。

 コーヒーを淹れて、たまごかけごはんを平らげる。午前中は空気清浄機の性能をあれこれ調べる。13時半、キャベツと鰹の塩辛のパスタを作って昼食をとる。つけっぱなしのテレビで『ミヤネ屋』が始まると、コロナが広がり始めた2年前にテレビによく出ていた岩田教授がリモート出演していて、「オミクロン株に感染しても自然に良くなるので『診断は重症化リスクが高い層に特化しリスクが低い層は診断を目指さない』医療資源は限られているので今すぐにでも」と、スタジオに用意されたパネルとともに語っている。オミクロン株が広がり始めてからも、こうした空気の違いはテレビ報道を通じても感じていたし、自治体の首長も、どこか悠長に構えているように見える(数日前の『スッキリ!!』で、加藤浩次が「感染者数が増えると重症者や死者も増えてしまう、欧米と違って、日本はなるべく重傷者や死者を出さないという価値観の社会なのではないか」といった旨の発言をしていたのは、わりと例外のように感じる)。でも、その悠長さは、自分がどこか遠くに取材に出かけることを許容してくれるものでもある。

 今日は原稿の大枠を練るための下準備、その心づもりをしているぐらいで日が暮れてしまった。今日は湯豆腐のつもりで、豆腐としいたけ、長ねぎ、春菊を買ってきてあった。それだけだと物足りないと感じるのではと思い直し、近所の八百屋でえのきを、鶏屋でモモ肉を買ってくる。白出汁をベースに湯豆腐――というかヘルシーな鍋料理を作り、20時過ぎに帰宅した知人と晩酌をする。今日もちびちびとお酒を飲んだ。『ストレンジャーシングス』シーズン1の第5話を観たのち、日曜日に放送されていたNHKスペシャル『北の海 よみがえる絶景』を観る。小樽の銭函漁港(あらためてすごい名前だ)では、かつて「海が白く濁る」という現象が見られていたという。それは「群来」と呼ばれ、大量の兆しと呼ばれていた。しばらく見かけなかったこの現象が、最近は目撃される機会が増えていると聞きつけた取材班が現地に駆けつける――という体でドキュメントが始まる。そして、海が白く濁る正体はニシンだったと「判明」する。ネットで検索すると、「群来」はニシンの産卵によるものだという情報がいくらでも出てくるので、ドキュメントの中で謎が解き明かされるような展開はいかがなものかとも思いはするけれど、その映像は圧巻だ。

 産卵のために、一斉に同じ海岸にニシンが戻ってくるというのは、一体どういう原理なのだろう。鮭が川を遡ることや、ウミガメが生まれた直後に外洋を目指し、また同じ海岸に戻ってくることと同じように、その習性はほんとうに不思議だ。このドキュメントの中では、ニシンを水槽に放った実験がおこなわれている。その水槽にニシンの精子を流すと、一斉にニシンたちが精子を出し始めるのだという。それと同じ原理で、一斉に産卵が始まり、海が白く濁るのだ、と。その映像を見ていると、ちょっと気持ち悪くなってくる。だって、人間でたとえると、ひとりのオッサンが――と話すと、「なんで人間でたとえるんよ。これはニシンの話やろ」と知人が怪訝そうな顔をする。そうやってたとえてしまうと気持ち悪い話になるにしても、そういう根源にある部分を「気持ち悪い」と感じてしまうところは、自分の弱さでもあると思う。映画やドラマでラブシーンが描かれるたび、気まずそうな顔をしていると、「そこでそういう反応をしとる限り売れんやろ」と知人が言う。それはつまり、根源に対する態度の問題なのだと思う。