2月3日

 4時過ぎに目を覚ます。風邪っぽさは完全に消えた。少しウトウトしたあと、4時55分にアラームをとめて、シャワーを浴びる。タクシーアプリを起動して、近所をタクシーが走っているかどうかを確認しながらコーヒーを淹れる。「ちょうどいい時間に流しのタクシーが通り掛かる」ということは起こりそうになく、配車を手配する。すると、思いのほかタクシーが早くやってきて、慌てて荷物を鞄に詰めて、知人に「行ってくるで」と声をかけ、5時47分に家を出る。タクシーで日暮里駅に辿り着き、スカイライナーに乗る。今日は券売機に残り355席と表示されている。ただ、いつもより乗客は多いように感じる。ふとトートバッグの中を覗くと、魔法瓶が2本入っている。1本は自分用に、もう1本は知人用にと淹れたのに、両方持ってきてしまった。

 成田空港第3ターミナルに出て、チェックイン手続きをする。今回は本も含めてわりと荷物が多く、預け荷物が選択した25キロの範囲に収まっているか少し不安だったけれど、22.7キロだ(いつもは20キロを選んでいるのだけれども、「今回はいつもより重くなるかも」と25キロを選んでおいて正解だった)。ローソンでわかめおにぎりを買って、保安検査場を通過する。検温は35.9℃。ロビーの隅っこでおにぎりを頬張り、飛行機に搭乗する。最後列を選んでいるので、他の乗客の顔を見ながら通路を進んでいく格好になる。ついマスクを目で追ってしまう。こんな状況でも布マスク姿の人がいて、「感染させられたら」と不安にならないのかなと思う。飛行機が動き出したあたりで、乗客が正しくベルトを装着しているかを確認してまわっていた男性のCAさんが、ちいさいこどもを挟んで座っている若い男女に何か声をかけると、ぎゃあっとこどもが泣き始めてしまう。一度その場を離れたCAさんだったが、こどもが泣きやんだところで再びその座席に向かい、こどものほうに顔を覗かせる。すごい自信だなと思う。自分だったら、また泣かれたらと思うと不安で、避けてしまう気がする。こどもはまた、ぎゃあっと泣き始める。CAさんがたくさん座席に集まり、どうにかこどもは泣き止んだ。

 飛行機が離陸して、ベルト着用サインが消えるごろまではパソコンを広げて作業ができなくなるので、そのあいだは井戸川射子『ここはとても速い川』の最初のほうを読んでいた。読みながら、「この文章の質感は、クラスの中にいると、こういうタイプの感じの人だな」とか、「お笑い芸人で言ったら、どういうタイプだろうか」なんて考えていることに気づく。自分ははたしてテキストを読めているのだろうか。テキストの向こうにある、書き手の佇まいや質感を読んでいるだけではないのか。ポーンと音が鳴り、ベルト着用サインが消えてからは原稿を書いていた。10時40分、予定より20分以上早く那覇空港に到着する。「前線の影響で、強い揺れが予想される」と機長から事前にアナウンスがあったけれど、着陸するギリギリも強い横風に煽られていて、少し怯えていた。

 荷物を受け取り、ゆいレールに乗る。前側の車両にはマスクを外して電話をかけている人と、マスクを外しておにぎりを食べているお年寄りがいたので、なんとなく敬遠して、後ろ側の車両に乗る。ゆいレールが走り出したあとで、「車内ではマスクを着用してください」と、車掌が何度もアナウンスしていた。美栄橋で下車し、まずはホテルに荷物を預け、界隈を散策する。市場本通りから市場中央通りを歩いてみると、「おきなわ屋 市場」など、先月は営業していたはずのお店もシャッターを下ろしていて、かなり閑散としている。市場本通りの入り口(?)あたり、ドン・キホーテの脇には観光客向けにもずくを売っている屋台のようなお店があるのだが、そこも今日は店を出していなかった。ただ、歩いていると、カメラを提げた旅行客もちらほらいる。連載の先月末の回で話を聞かせてもらった「O青果」に、バタバタと電話をしてしまったお詫びと、取材のお礼を伝えにいくと、お店のEさんはちょうどお昼ごはんを食べていたところで、一度奥に下がり、マスクをつけて戻ってくる。記事が出たあと、「記事を見た」というお客さんがいらしたり、県外からも電話がかかってきたりと反響があり、「花束を持ってきてくれる方もいて、お正月のお花を買わなくていいくらいだった」という。記事と一緒に掲載させてもらった写真が欲しいとのことだったので、どのくらいのサイズがよいかを伺って、「また届けにきます」とお伝えして、お店をあとにする。Eさんはずっとティッシュで目頭を押さえていた。

 その涙を、僕が理解できることはない。なんとなく想像することはできるけれど、それに共感したり、同調したりするというのではなくて、対岸からただ眺めている。原稿を書くときも、取材させてもらった方に感情移入したかのような書き方や、自分をその取材相手に(あるいは取材相手を自分に)憑依させるような書き方をしてはならないと思っている。だから、相手の苦労をことさら強調したり、共感や涙を誘うような書き方はせず、ただ淡々と書くしかないと思っている。だから、Eさんの記事も、Eさんが苦労されたところはなるべく淡々と書いて、原稿をチェックしてもらった。チェックを経て戻ってきた原稿には、たとえば「夫婦で切り盛りした」と元の文章にあったところに、「必死で」という言葉が書き加えられていた。その文字に、しばらく見入った。それを書き加えたときに、Eさんの胸の内にあったのはどんな感情なのだろうかと考えた。それをわかることはできないけれど、Eさんの指示に従って、「必死で」という文字を書き加えて紙面には掲載した。

 界隈をぐるりと散策する。3日前に検査を受けて、それ以降はほとんど外出していないとはいえ、少し不安があるのでイートインは敬遠し、「赤とんぼ」でタコライス(中)を買う。いつもならパラソル通りで食べるところだけれども、雨が強く降っているので、「ここで食べていっていいですか?」とお願いして、その場で食べる。ただ、微妙に雨がかかるので、少し移動して、降りたままのシャッターに向かって黙々と平らげる。湿度が高いせいか蒸し暑く、コートを脱いで界隈を歩く。サンライズなは通りは、あちこちでアーケードが雨漏りしていて、傘を差したまま歩いている人もちらほらいる。リュックもびしょ濡れになりそうなので、リュックもホテルに預け、久茂地にある沖縄PCR検査センターへ。オミクロン株の感染が急拡大した1ヶ月近く前には、那覇に数カ所ある検査センターに長蛇の列ができたと報じられていたけれど、荒天の影響もあるのか、今日はがらがらだった。

 3000円支払って、すぐに検査を終えたあと、近くにある「なはーと」に行ってみる。ロビーにはいくつかテーブルが置かれてある。チェックインまでまだ時間があるので、ここで仕事をすることに決めて、パソコンを広げる。すると、視界の隅で、スーツ姿のスタッフの方が近づいてくるのが見える。今日は公演がおこなわれていない日だから、もしかしたらこうやって居座ったら駄目なのだろうか。注意されるのかなあと思いつつ、パソコンの画面に視線を向けたままでいると、「もしかして、橋本さんですか?」と声をかけられる。意表をつかれる。劇場のスタッフの方で、面識がある方もふたりだけいる。それに、明日から上演される作品の広報にも携わっているけれど、ただ、面識あるスタッフの方以外は僕の顔を知らないはずだ。一体なぜと不思議に思っていると、「あの、Eです」と言われて、「ああ!」と思わず声が出る。その方は、RK新報の連載で、2回目に話を聞かせてもらったお店の方だった。

 その衣料品店は、コロナ禍に入ってからシャッターが降りたままになっていて、あるとき工事が始まり、まったく別の店に変わってしまった。電話番号などは伺っていなかったので、その後は連絡のとりようもなく、どうされたんだろうかとずっと気にかかっていた。お店を創業されたお母様と一緒にお仕事をされていた息子さんが、スーツ姿で目の前にいる。聞けば、やはりコロナ禍でお店を続けるのは不安なのと、お母様ももう80代後半と高齢なので、お店は閉めてしまったのだという。今はここでお仕事をされていて、僕が去年「路上」という企画をやっていたことも知ってくださっていたらしく、「藤田さんが作品を上演されるから、もしかしたら橋本さんもいらっしゃるんじゃないかと思っていたんです」とおっしゃる。取材をしたときは、お店のことしか聞かなかったなと、改めて思う。そんなことまでチェックしてくださっていたとは。

「すみません、お仕事の邪魔をしてしまって」とEさんがが去ったあと、S・Iというプロジェクトをめぐる原稿を完成させ、メールで送信する。ズボンと靴下が濡れてしまっているので、少し寒気がする。チェックインの時間も近づいてきていることだし、荷物をまとめて劇場をあとにしようとすると、Eさんがもう一度声をかけてくださり、お母様と電話で言葉を交わす。「ああ、橋本さん。ほんとにねえ、あのときはお世話になって、お礼しなきゃと思っていたんです」と、電話の向こうから声がする。こちらはお話を聞かせてもらった側なので、むしろこちらがお礼をするところなのにと思う。「ああ、こんな状況だけど、久しぶりに会いたい」とおっしゃるので、息子さんに僕の電話番号をお伝えしておきますので、タイミングが合えばぜひ、とお伝えして、電話を切る。

 「ジュンク堂書店」(那覇店)を覗くと、1階で古本市が開催されていて、ちょうどそこに店長のMさんがいらしたので、ご無沙汰してますとご挨拶。100冊注文してくださったと担当編集者さんから伺っていたので、そのお礼を言う。「頑張って売りましょうね」とMさんは笑っていた。僕にできることは何があるか、まだわからないけど、頑張って売ろう。15時、ホテルにチェックイン。1泊分はM&Gの経費として支払ってもらえることになっているので、「すみません、ややこしいんですけど、1泊だけ領収書を別にしてもらっていいですか?」とお願いする。M&Gの宛名を伝えると、「ああ、前にも宿泊いただいたことがありましたよね?」とフロントの方が言う。そう、去年の6月、僕も含む何名かはここに宿泊していた。

 荷物を解きつつ、今日から1週間の滞在なので、快適に過ごせるように部屋をセッティングする。普通のシングルルームで、部屋の広さはそれで十分なのだけれども、棚が少ないのと、ハンガーが2本しかないのが少し不便だ。落ち着いたところで、テープ起こしに取り掛かる。17時過ぎ、雨も上がったようなので、晩ごはんを買いに出る。「上原パーラー」はもう残っている商品が少なく、もう店じまいが始まっている。ひじきだけ買うと、「もう店閉めるところだから」と、残っていた別の煮物もおまけしてくれる。なんだか申し訳なくなる。界隈はやっぱりどこか閑散としている。サンライズなはの「Jef」は、お昼時も店内で過ごしている人を見かけなかったけれど、今もお客さんの姿はなかった。酒場も臨時休業しているところが多いけれど、何軒かには灯りがともっている。公設市場の衣料部に「71年間、ご愛顧いただきありがとうございました」と幕が出ていたので、写真に収めておく。ここは今月末で閉場する。写真を撮っていると、近くのお店に佇んでいた若者たちが、「ああ、ここ閉まるのか」と言って、幕の言葉を読み上げていた。

 「呉屋てんぷら屋」で野菜てんぷらとイカてんぷらを買って、ふと居酒屋「N」の前を通りかかると、看板がもう撤去されていて、ガラス越しに片付け途中の様子が見える。市場界隈の取材をし始めたとき、よくここに飲みにきて、励まされていたお店だ。コンビニでビールと紙皿を買って、宿に戻る。ビールを飲みながらテープ起こしを進める。テレビ画面にはオリンピックの日本代表選手が映っていて、KN95マスクが目立つ。東京オリンピックのときは布マスクだったような、と思い返す。22時を過ぎたあたりで連絡が入る。ちょっと話せたらとのことだったので、すぐに出かける。オリオンビールのロング缶を3本買って、皆が滞在している一軒家のような宿にお邪魔する。ビールを飲むたびマスクを外したりつけたりしながら、ぽつぽつ話す。日付が変わってしばらく経ったあたりで、自分が座っていた席を消毒してからおいとまして、夜の街を歩く。パラソル通りに宴のあと。

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