2月6日

 5時過ぎに目を覚ます。昨晩口に出すことなかった言葉が、行き場のないままぐるぐるしていて、そういうときはとてもくたびれた感じになる。あまりにも雑な言葉でつぶやいていたものを、つぶやきなおし、二度寝する。9時過ぎにベッドから起き出して、シャワーを浴びる。日付が変わった頃に、PCR検査センターから「検出なし」と通知が届いていたのを確認し、10時過ぎにホテルを出る。まずは「金壺食堂」に行き、ちまきをテイクアウト。昨日のうちに「明日も営業されてますか?」と確認にきていたため、お店の扉を開けるなり、Sさんが「はい、これ!」とビニール袋を差し出してくれる。いやいやいただくわけにはと断っても、「いいから、いいから」とSさんがおっしゃるので、「じゃあ、追加で2個、買わせてください」と購入する。

 自転車こいで、緑ヶ丘公園へ。バスケットボールをしているこどもたちがいて、その向こうの木陰にあるベンチに、A.Iさんがギタレレを爪引きながら佇んでいる。「急遽公演を観にいくことにしたので、どこかの時間帯でお話しできたら」と連絡をもらっていて、じゃあ今日の朝に、公園でちまきでも食べながらと約束してあった。Iさんにも本はお送りしていたのだけれど、「本、送ってくださってありがとうございます。出版、おめでとうございます」と丁寧にお礼を言われて、かえって恐縮してしまう。作品を観た感想のこと、ぽつりぽつりと話す。Iさんと話していると、この人の前でとげとげした言葉や感情を出すわけにはという気持ちになる。

 こう書くと、自分の中にある黒さを覆い隠したり、押さえ込んだりしているみたいになるけれど、そうではなく自然と穏やかな話し方をしている自分がいる。自分の性格なんてものは、結局のところ相手に引き出されているものだなと思う。2020年の1月の終わりに、Iさんと一緒に少し南部を巡り、久高島に行ったときのことを思い出す。もともと人を乗せているときは丁寧な運転を心がけていて、ブレーキをかけて停車するにしても、なるべく体が揺れなくて済むようにと心掛けているけれど、自然といつにも増して丁寧に運転していたら、「もっと雑に運転しても大丈夫ですよ」とIさんは笑っていた。

 しかし――Iさんは昨年ヨーロッパを巡っていて、その様子をSNSという窓越しに眺めていたこともあって、久しぶりにこうして対面で話していると、夢みたいだなという感じがする(この2年、ずっと「また沖縄で会って話しましょう」と言っていたものの、実現できずにいたせいもあるのかもしれない)。海外にいる姿を写真で見ていたから、ちょっと不思議な感じがして――と僕が言いかけると、「いろんなところに散らばってるみたい」とIさんが笑う。

 まだまだ話は尽きないところではあるけれど、1時間ほど話したところで別れる。もう2個あるちまきを持って、劇場を覗いてみる。受付に制作のH.Aさんがいたので、これ、サービスで多めにもらってしまったので、よかったら、と渡したのち、スカイレンタカー那覇店へ。最近はBluetoothでケータイとナビを繋げない車にあたることが多かったので、予約時に「もしそういうタイプの車に空きがあれば」とオーダーしていたところ、そういう車種に当たったので嬉しい。

 なんとなくSMAPのアルバムを再生しながら車を走らせ、沖縄自動車道で名護までひとっ飛び。スタジアムのあたりにひとだかりができている。ああ、ビッグ・ボスか。14時20分に本部町に到着し、「かねひで」でビール6缶セットと、珊瑚礁という泡盛の2合瓶を買う。まだ少し時間があるので、本部町営市場の「みちくさ珈琲」でアイスコーヒーを購入し、渡久地港へ。念のためにとここまで履いてきたズボンを洗い立てのものにトイレで履き替えて、船に乗る。水納島に到着してみると、港に作業服姿の人たちが10数名佇んでいる。浜辺に大きくて黒い袋が連なっているのも見える。もしかしたらと思ってみたら、やはり軽石の撤去作業のためにやってきた人たちのようだ。入札して県から業務委託を受けたものの、軽石撤去作業というのは経験がなく、1日でどれぐらいの作業ができるか、確かめているところのようだ。

 強い北風が吹き荒れていて、ヒートテックに長袖のシャツ、それに冬のコートを着ているにもかかわらず、背中が丸くなる。寒いですねと震えながら言うと、「いやいや、昨日のほうが寒くて、今日はまだ暖かい方ですよ」とYさんが笑う。Yさんの運転する車で、まずは民宿に行き、真ん中の3番の部屋に案内してもらう。他に宿泊客はいなかった(船にも島の人しか乗っていなかった)。一息ついたところで、Nさんのおうちへ(今回は1泊の滞在だから、Nさんちでコーヒーを飲んでゆっくり過ごせる時間は今日の夕方しかないだろうと、Yさんが声をかけてくれた)。軒先でYさんとNさんが少し立ち話していると、「あい、ここ、フーチバーが出てきてる」と茂みを指差す。フーチバーとはよもぎで、沖縄県外でも目にする機会はある植物ではあるけれど、いや、だからこそ、普通の草にしか見えなくて、自分では「ああ、フーチバーが生えてきてる」とは気づけないだろう。

 しばらくしたらTさんもコーヒーを飲みにやってきたので、僕は一旦宿に引き返し、本を3冊取り出して、Yさん、Tさん、Nさんに手渡す。しかし、ほんとにわずかこれだけの期間で、よくもこんなに調べましたね。船が沈没した話とか、自分たちなんかでも知らないなんかがありましたよ。そう言って誉めてくださり、ホッとするのと同時に、僕が「新発見」した事実というのがあるわけでもないんだよなあと思う。あまり読まれることのない字誌と、およそ40年前に教員の方たちが手書きで残した資料と、かつての記事とを読み漁り、配置しただけだ。もちろんこれまで言葉として記録されてこなかった話もたくさんあるはずだけれども、その言葉というのは、島の皆さんの中にあったものだ。

 16時半にNさんちからおいとまして、今度はUさんご夫婦のもとに向かい、本をお渡ししたあと、缶ビール片手に島を歩く。西側の“プライベートビーチ”でしばらくぼんやり過ごしたあと、ぐぐぐと歩き、イナト側の海に出る。春には小さくてカラフルなカニがいたるところで蠢いていたけれど、今は冬だからか、どれだけ歩き回ってみても、どこにもカニの姿は見当たらなかった。18時半、Nさん、Tさんもやってきて、表の「食堂」で夕食になる。北風でどうにも肌寒く、Yさんは炭に火をつけ、暖をとる。お刺身に、Tさんが用意しておいてくれたヤギ刺し、それにUさんご夫婦が「ぜひ橋本さんに」と持ってきてくれたのだという野菜のピクルスをツマミながら、ビールを飲む。

 ビールの2本目を飲み始めたところで、「これ、サイン入れてもらえるかな」と、Tさんが本を差し出す。僕のものでよければいくらでもと、部屋からサインペンを持ってきて、サインを入れる。サインをしばらく眺めたあと、本の表紙、背表紙、裏表紙、上の側、下の側と、いろんな角度からTさんは本に見入っている。胸がいっぱいになる。「ああ、僕も――明日の朝は絶対に起きられないから、ちょっとおうちから取ってこよう」と、Nさんは一度家に帰って、本を持ってきてくれたので、こちらにもサインを入れる。

「でも――本は完成したけど、これからもときどき遊びにきてくださいね」とNさんが言う。もちろんです、と答えていると、「これから10年、20年経ったとき、この島がどんなになってますかね」とYさんが笑う。「どうにか無人島にならないように、頑張ってるつもりだけど、結局それは何にもつながらなくて、誰もいなくなっている可能性もあるなあ」と。その言葉をできるだけ受け止めながら、ひたすらオリオンビールを飲み続ける。もしも無人島になったら――自分にできることはごく限られているけれど、定期船がなくなっていても、ダイビング業者か漁師さんの船をチャーターして、せめて年に1度は足を運ぼうと思う。