2月18日

 7時過ぎに目を覚ます。昨日の夜のうちに、上演テキストが送られてきていた。ラストの台詞が書き変わっている。上演テキストを頭から読み返し、ラストの言葉に対して気になった点について、ああでもないこうでもないと書き、さらに沖縄で感じたことも書き添え、メールで送っておく。納豆入りのたまごかけごはんを平らげ、「苦役列車」を最後まで読んだ。発売された頃に読んだときとは、印象が違っている。先日買った福田和也『ろくでなしの歌』のまえがきにも、「昔、読んだ本を読み返した時に、まったく違う印象を得ることがある」と書かれていた。「それはその間、前に本を読んだ時と現在の間に生きた体験がそのまま、想起の豊かさにつながっているからだ」と。『ろくでなしの歌』を読んでいるとき、自分は何と対峙して、それとどのような距離感をとって、どのように書くのかということを考えていた。そこで印象的だったのは色川武大の章のラストだった。

 阿佐田哲也名義で書いた『麻雀放浪記』に活写されているように、色川武大は戦後のプロ博打打ちとして生き、その後編集者から作家になった。その経歴とスタイルから、典型的な無頼派として扱われてきたが、はたして色川武大もまた林葉三や土屋伍一の同類だったのだろうか。

 私にはむしろ、色川武大はどうしようもない者たちの生き方に強く魅了されながらも、結局はそのように見事で簡潔な、人生への軽蔑をまっとうする勇気を持つことができない、と彼らを前にして徹底して悟ってしまった、認識させられてしまったように思われる。文学者とは、そうした敗者の別名にほかならない。

 

 本を読み終えたあと、ばたばたと作業をしているうちに13時半だ。シェアサイクルの近くのポートを確認すると、団子坂を下った先のポートに2台ある。しかしどちらもバッテリーの残量は1と表示されている。ポートまで小走りで向かい、サドルとハンドルとブレーキを除菌し、借りる。電動アシストを起動してみると残り2パーセントと表示される。それだけしか残ってないのかとすぐに電源を切り、不忍通りを走る。アップダウンが多く、車輪の小さいシェアサイクルで、しかも電動アシストがないと、のろのろとしか走れず、約束の時間に3分遅れてしまう。これから取材をしてもらう方が面識のある相手でよかったと思いつつ、KD社に駆け込んで、最上階の応接室に向かい、取材を受ける。

 部屋が立派だと、ここでしゃべるのに見合ったことを答えられているだろうかとそわそわする。何かを損なってしまわないように、かといって過度にもにょもにょした物言いをして編集しづらい言葉にならないようにと受け答えする。しゃべるときは俯きがちになってしまって、しばらくシャッター音が響いていないことに気づく(最初の数分はインタビューカットの撮影があった)。といって人の顔を見て話すのは得意ではないので、さも相手を見ているような顔をして、虚空を見ながら話す。撮影が切り上げられてからは、対面している方が用意された取材向けのメモと、ぼくが話した内容がノートに綴られていく様をなんとなしに見ていた。そういうふうにメモを取るんだなあと、しみじみ見入ってしまう。自分以外の誰かが取材している現場に立ち会うことはほとんどないので、不思議な感じがする。

 取材後、少し打ち合わせをしたあと、有楽町線で池袋に出る。西武の屋上に上がり、「かるかや」でスタミナうどんを買う(器を返しにいくときに季節限定のカレーうどんもあったことに気づき、ああ、それもよかったなと少し後悔する)。このあとの観劇の予定まで少し時間がある。時間を潰すなら、屋上のほうが落ち着けそうだから、売店でホットコーヒーを買い、ノートパソコンを広げて小一時間ほど作業をする。三省堂書店ジュンク堂書店をハシゴし、本が並んでいる場所を確認する。前者はノンフィクションの棚に並んでいて、隣はマンスリー時代に一緒に仕事をした神田さんの台湾本だ(『東京の古本屋』のほうは、通路を挟んだ「本の本」の棚に並んでいる)。後者は1階のアトロクフェアの棚と、2階の旅行本コーナーに配置されている。2階にはかつて海外紀行の棚が隠れ家のように配置されていたのだけれども、そこは解体され、プラモ、ホビー、手品、ボードゲームのコーナーに変わっている。自分の本が並んでいる国内紀行の棚に行ってみると、あれ、水納島の航空写真が表紙の本がある。K&Bパブリッシャーズの『美しい日本へ 島の旅』という本で、去年の10月に発売されていたようだ。表紙になっているだけあって、水納島のことも紹介されているのだけれども、そこに「農業や、畜産が行われるのどかで風光明媚な島だ」とあり、驚く。K&Bパブリッシャーズといえば、るるぶを発行している会社だ。数年前から畜産はおこなわれていないのに、どうしてこんなことに至ってしまったのだろう――と、大袈裟に書いてみるまでもなく、一度取材したところはほとんど追加取材をせず、そのデータベースをもとに本を作っているのだろう。自分が、そうやって追加取材を怠って何か書いたり発言したりしてしまったらと考えると、恐ろしくなる。

 18時25分に芸劇に到着してみると、シアターイーストの前には行列ができている。Peatixのチケットを入口のスタッフに見せる。今回は紙のチケットとPeatixの電子チケットが混在していて、紙のチケットはするする入場していくのに、連携がうまく行っていないのか、電子チケットだと入口のスタッフの方が都度別のスタッフの方を呼び、確認をとってから入場させている。整理番号は2番。最後列の通路側に荷物を置いて、一度劇場の外に出る。アサヒスーパードライのロング缶を買って、劇場を眺めながら飲む。手押し車を押して歩くお年寄りが、劇場に吸い込まれてゆく。19時過ぎ、『Light house』東京初日。沖縄で観たときに比べると更新されている箇所も多く、後半は沖縄では見えなかった風景にまで届いているように感じる。ただ、なかなか解像度の高い作業が重ねられているものの、この感じだと、「ああ、辺野古の問題のことを言っている作品なのか」だとか、「ああ、cocoonだ」だとか、そういった大きな視点にまとまったものとして観客が受け止めてしまうのではないかと、気になってしまう。これに関しては、作品の問題というより、観客の想像力の問題として。

 終演後は1列ごとの規制退場となり、最後列なので最後に劇場を出る。ロビーには見知った顔があり、そこにN.Aさんの姿もあった。沖縄滞在中に交わしたやりとりが思い出される。そのやりとりは、観客と、舞台に立っている側との違いを感じさせるもので、自分はどうしたって観客の側に立ってしか考えられないことを再認識させられるものだった。それとは別に、東京で会う機会があれば、どこかで感想でも話しましょうとメッセージを送ったことに対して、その点については特に返信がなかったこともあり、今あなたと話せる言葉はない、という気持ちになってしまって、会釈だけして通り過ぎる。書いていると、ほんとうに子供じみているけれど、自分はそのようにしか振る舞うことができない。さっきと同じコンビニでアサヒスーパードライのロング缶をまた買って、公園に立ち尽くしたまま飲み干した。