2月15日

 2時頃にはもう目が覚めてしまう。ちょっと生活リズムが乱れている。ケータイをいじりながら、短い眠りを何度か繰り返しているうちに4時だ。こんな時間に目が覚めてしまっているのだからと、集落を歩いてみる。当然ながら静まり返っていて、波の音が集落の内側にまで聴こえてくる。あれは馬かなにかだろうか、遠くから鳴き声のような音もする。昨日取材させてもらったお店、工場にはまだあかりは灯っていないけれど、自宅ではもう人が起き出している気配がある。一度ホテルに引き返し、5時ちょうどに再び工場に行ってみると、中ではもう作業が始まっている。

 中に入ると、「あれ、ひとり?」とお母さんが笑う。「6時半ごろにロビーで待ち合わせる約束だったんですけど、早く目が覚めたので、見学させてもらいにきました」とご挨拶して、作業の様子を見せていただく。88歳になるというお母さん、「今は手伝いしてるだけ」と言っていたけれど、手伝いどころか今も作業のど真ん中にいて、お子さんたちがそれを手伝っている。家業という言葉がぴったりくる。そこから作業がひと段落する7時まで、ずっと作業を見学させてもらっていた。日本最先端に位置するこの土地では、7時になってもまだ外は暗かった。調べてみると、一番早い時期(6月上旬)でも日の出は5時58分40秒で、一年を通してまだ外が暗いうちから仕事をしていることになる。どんな日も、ここではこんな朝が繰り返されている。日本各地の朝の風景を、ナレーションなしで毎朝放送してくれる番組があれば、今日のようにずっと観続けてしまうだろう。

 一度宿に戻り、少しベッドに横になる。8時になると、防災無線からメロディが流れ出す。それが「小さな世界」で、どうしてこのセレクトなんだろうかとぼんやり考える。ストレッチをして、8時半からジョギングに出る。実に3週間ぶり。しばらく走っていなかったけれど、せっかくだから自分の速度で島をまわってみたいと思っていた。少し進んでいくと、馬が集落に立ち入らないようにとつくられた溝がある。緩やかな上り坂を走り、カーブを曲がると、馬の群れがこちらに進んでくるところだ。思わず足を止めて、正面から馬を眺める。ヨナグニウマとはまた別種の馬だ。こちらをあまり気に留めず、馬の群れはゆっくり通り過ぎてゆく。正面に自衛隊の施設が見える。少し前に、人口減少社会を迎えるなかで、自衛隊を誘致してつくられた施設だ。

 45分ほど走る。しばらく走っていなかったせいで体力が落ちて、また走れない身体に戻ってしまい、途中で何度か歩いてしまった。シャワーを浴びて、急いで手紙を書く。一通は知人宛に、一通は作家でコラムニストのK.Tさん宛。Kさんは沖縄好きであるうえに、少し前に電話でやりとりした際、「昔はいろんな土地の簡易郵便局めぐりをしていた」と伺っていた。民宿のすぐそばに簡易郵便局があり、おそらく日本最西端のものだと思われるので、せっかくだから記念(?)にと、Kさんに手紙を出すことにした。時間がなくなり、知人宛にはざっくりしたことだけ書いてハガキを出す。

 写真家のTさんの運転で与那国空港へ。食堂に入り、クシティサラダとめかじきの漬け丼をいただく。クシティというのはパクチーのことで、与那国島の名産品でもあるらしく、編集者のTさんと写真家のTさんはお土産にも2袋買っていた。取材させていただいたお店のKMBK、空港の売店で買えると聞いていたのでお土産に買うつもりでいたけれど、売店には並んでいなかった。まだ入荷していないのか――いや、でも、7時過ぎに配達に出られていたはず――と思って尋ねてみると、今日の分はもう売り切れたのだという。10時にもう売り切れるのか。きっと朝の一便に乗るお客さんが買って、すぐに売り切れてしまうのだろう。預け荷物の検査のところで、きっと顔見知りなのだろう、係員の女性が搭乗客の男性に「昨日だったらチョコもらえたのに」と笑いかけている。

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 12時40分に那覇空港に到着し、ふたりと別れたあと、レンタカーを走らせる。糸満と、八重瀬の書店にお邪魔する。様子を伺ってご挨拶すると、「なかなか配本がないことも多いので、こうして案内していただけると嬉しいです」と言ってもらえてホッとする。あわあわと那覇市内に移動して、予定より少し遅れて、14時過ぎから取材を受ける。あれやこれや、1時間半ほど話す。ここは日曜日に取材させてもらったお店の近くだなということで、鯛焼きを買って頬張り、再び車を走らせる。南風原、あがり浜、西原シティとめぐったところで日が暮れる。宜野湾のお店に伺うと、今日初めて、本を並べてくださっている姿を目にし、嬉しくなる。ご挨拶すると、数日前に2冊入荷したらすぐに1冊売れて、追加で注文してくださったところだという。ポスターをお渡して、おいとまする。そのあとも大山、コンベンションシティとめぐり、ホテルにたどり着いた頃にはもう20時をまわっていた。