3月1日

 日記に書きそびれていたこと。あれは日暮里のホテルに宿泊したときだから、25日金曜日の朝だったと思う。テレビをつけると、香川照之がキャスターとしてスタジオにいて、ウクライナにいる誰かと中継を繋いでいるらしかった。ロシアの軍隊がその都市に迫りつつあることを尋ねるときに、「ひたひたと」迫ってきている感じでしょうか、と香川照之が口にしていて、寝起きの状態でも嫌な感じをおぼえた。戦火が迫っている土地とつないだ場面で、「ひたひたと」なんて形容をするなんて、どういう神経なんだろう。そのあと、ワシントンに中継を繋ぐ前振りの言葉として、「ロシアの進撃(侵撃)をとめられるのは――」と語っていて、各局「侵攻」という表記で統一されているだけに、妙に気にかかった。

 5時半に目を覚まし、6時半に洗濯機をまわす。ふたたび布団に潜り込んで、しばらく『ずぶ六の四季』を読んだあと、そうだ、昨日はバタバタしていて読みそびれていたなと、平民金子による朝日新聞の連載「神戸の、その向こう」を読む。昨日の夕方に読むよりも、こうして布団の中で朝に読むのがぴったりだった。大げさな言葉で何かを語るのではなく、さりげない風景の中に言葉を見出す。しみじみ読み返す。さっきまで読んでいた『ずぶ六の四季』も、エッセイでありながら掌編小説のように感じる回がいくつもあるけれど、今回の「神戸の、その向こう」にもそうした手触りがある。たとえば志賀直哉みたいな人がこれを読んだらどう感じていただろう。ぼくには「しみじみ読む」としか言葉にできないけれど、これを読んだら何と言っていただろうなと、布団の中で想像する。それぐらいの心構え(?)でもう一度読み返すと、「後になって残る〜〜ではないか」の一文だけ削って、そのぶんもう一言読みたくなる(こういう書き方をすると、重箱の隅をつついてケチをつけているみたいになってしまうけれど、そんな話ではない)。

 洗濯物を干し、琉球新報のデジタル版と読売新聞をざっと読む。読売新聞には五木寛之が「同じ日に生まれた石原慎太郎のこと」と題した文章を寄せている。「たまたま生年月日が重なっていること以外に、石原慎太郎という作家と私との間には、まったく通底するものがなかった」とある。石原慎太郎が華々しく登場したとき、「売血に通う最低の生活」だった著者からすると相手は「はるか遠くに感じられた」し、「密室の中で小野十三郎を読み、中野重治を読み、魯迅を読み、埴谷雄高を読み、やがてスターリン批判に立ちすくむ」ことになる若者からすると、「勃起した男根で障子を突き破った? それがどうしたというのだ」としか思わなかった、と。しかし、そんな当時の自身を「まさしく幼稚で傲慢」と振り返り、あらためて『石原慎太郎短編全集』を読み返すと、「全篇を通して、死の匂いが通底している」ことに気付かされ、「生の謳歌から死への思念への一作家の変貌に関する分析などではなく、ああ、この人はじつに孤独だったんだな、という素朴な感慨だった」と綴られている。その「素朴な感慨」という言葉が妙に印象に残り、記事を切り抜いてスキャンしておく。

 琉球新報には、那覇・南部担当の伊佐記者が「パラソル撤去に思う」という記事を寄せている。パラソル撤去には飲酒をする人たちが溜まっていたり、そこで騒音を出す人もいたりして、迷惑だからパラソルの撤去を求める声があったことを記している。伊佐記者も「飲酒には反対」とした上で、そうして集まって酒を飲んでいた人たちは「『さみしさ』を抱えた人々」で、その居場所を作らないことには根本的な解決には至らないのではと、記している。あるとき、パラソルに「飲酒禁止」の貼り紙が出たときの、ぎくりとした気持ちを思い出す。コロナ禍になってからは公園でも「飲酒禁止」の貼り紙を見かけるようになった。騒いだりゴミを捨てたりするのは論外だとして、夜にひとり静かに缶ビールを飲んでいるだけでも、白い目を向けられるのではないかと感じる機会が増えている。僕はまあ、「ホテルで飲んでいろ」と言われればそれまでだけれども、この街に暮らしている人で、居場所を持てない人が周囲から白い目を向けられ、追いやられた先のことを考えてしまう。その人たちはまた別の場所に集まってお酒を飲むだろう。そこで一度「追いやられた」という気持ちを抱えたことで、より迷惑を顧みなくなる気がする。

 昼、近所の八百屋に行ってみると、菜の花が売られている。それだけ買って帰り、にんにくと鷹の爪と菜の花だけのシンプルなパスタを作って平らげる。ちょっと醤油も垂らす。料理に必要な発想力がないので、大体の場合醤油を垂らして味をつけている。いくつかメールを送信したあと、13時50分に自転車で駒込へ。以前取材させていただいたお店の中に入ってみると、定休日の店内に、照明とカメラがセッティングされている。今日はここで、僕が取材を受けることになっている。本島なら先週のうちに取材を受けるはずだったところを、万が一感染していたらと延期をお願いしていた。インタビューカットを撮影されたあと、今度は店内で棚を眺めているカットをと言われ、お店の迷惑にならないように入り口近くの棚を選び(店の奥には撮影のために避けた荷物が置かれてある)、数冊手にとって物色するふりをする。カメラにぐいっと寄られ、笑ってしまいそうになるのを堪える。

 1時間ほどで取材は終わり、クルーの方たちを見送ったあと、店主のOさんと、編集のTさんとしばし話す。Tさんが切り出した話に、店主のOさんが抽象的に返すのではなく、具体的にアイディアを次から次へと、軽口のように話していたのが印象的だった。僕はそういうときに、あまり言える言葉が浮かんでこなくて、相手の言葉を受け止めるだけで終わってしまうから、余計にそう感じる。もちろんその人の個性もあるのだろうけれど、ある程度の規模のお店で、そこを仕切る立場として働いた経験があることも影響しているのかもしれないなと思う。話を受け止めただけで終わってしまうと、そこで話がぼとっと落ちて終わってしまうけれど、次々と勝手なアイディアを言ってみせることで、笑いながらも意識が今後の方向に向けられていく。