3月9日

 5時過ぎに目を覚ます。洗濯機を2度まわす。今日は厚手の素材もあるので、花粉が飛散し始めるまでに取り込んで部屋干しする、というのでは乾かなそうだから、コインランドリーに向かう。まずは「中温」で乾燥機をまわし、お店の外に出てしばらく待つ。5分くらい経って一番薄い素材のものが乾いたところで洗濯用のカートに取り出し、再び乾燥機を回転させ、また外で待つ。するとそこに、清掃員がやってきて、掃除機を取り出し掃除を始める。それがいつものお決まりのコースなのだろうけれど、僕が使っている隣りの乾燥機を開け、引き出しのようになっているホコリネットを引き出し、掃除機で吸い始める。そのすぐ横に、僕が乾いた洗濯物を取り出したカートがあり、ちょっと、それはさすがにホコリが飛び散るだろうと、洗濯物を袋に回収する。後半は「高温」に変えて、厚手のものを乾燥させて、家に引き返す。

 昼は八百屋で菜の花を買ってきて、豚バラスライスと一緒にパスタにする。午後、田中小実昌の『新宿ふらふら族』をじっくり読んだ。

 もとの旭町のドヤの裏壁と裏壁のあいだのせまい隙間を、からだをよこにしてあるていきながら、このせまい隙間を、一歩、奥にすすむごとに、一年、過去にさかのぼっていくように、いつも、ぼくはおもう。

 一歩、二歩、十歩――十年、十五年、二十歩、二十五年……そして、『よしの』の板だけをうちつけた入り口の戸(ガラスを入れても、だれかがケンカして、すぐ、こわしていますので)をあけると、戦後の和田組マーケットの飲屋がある。

 また、こちらも、酔っぱらいの気やすさで、かんたんに時空をこえて、戦後の和田組マーケットの飲屋の客になる。

 いや、ぼくやデンちゃんなんかは、時空をこえるのとは逆に、ずーっと、戦後の新宿の飲屋の木の椅子にぶっすわって飲んでいるようなものではないか。

 

 こんなことは、まったくの偶然で奇蹟みたいなものだけど、くりかえすが、ぼくやデンちゃんのあいだでは、ちょいちょいおこることだ。

それは、デンちゃんもぼくも、ふらふら族だからだろう。ふつうではあり得ないことも、ふらふら族のあいだでは、ごくいいかげんに、ふらふらっとおこる。

たとえば、どこかにいくバスを待っているのに、たまたま、ほかのところにいくバスがきたので、ふらふらっとのっちまい、そのため、ぼくにあえたとかさ。

それどこから、バスにのる気なんかぜんぜんなかったのに、たまたま、バス停のところをあるいていると、バスがきたので、ふらふらっと、あわてて、バスにとびのるなんてことも、ぼくはめずらしくない。

 

 読み終えると、坪内さんの『考える人』で田中小実昌の回を読み返したり、田中小実昌特集が組まれた『en-taxi』を引っ張り出したり。夕方になると小腹が空き、そうだ、本屋に行くついでにハイボールを飲みに行き、チャームとして出てくる豆で腹を誤魔化そうと思い立ち、家を出る。「往来堂書店」に入ってみると、文芸誌は『新潮』だけ見当たらず。『文學界』と、特集の対談が気になって『本の雑誌』とを買う。そこから根津のバー「H」に向かおうとしたところで、あ、今日は定休日の水曜だと気づく。「今日は『水曜日のダウンタウン』がある日だから、酔っ払わないようにゆっくり飲まないと」なんて考えていたのに。

 どこか知らない店に入ってみようかとも少しだけ考えたけれど、ししゃもを買って引き返し、ビールを飲み始める。さっそく『文學界』を取り出し、追悼記事が気になったけれど、まずは平民金子「めしとまち」を読む。昨年末のトークイベントのときに、カレーを食べたあとに口を拭いた紙ナプキンをどうするかについて語られていたこと、それは結局のところ、店員にどういう印象を与えるのかではなく、あくまでこちら側の問題に過ぎないのだと語られていたこと、まだ20代の頃に松屋でビビン丼を頬張りながら啜った味噌汁の、あの薄く感じる塩気のことを思い出す。

 それから西村賢太追悼文を読む。田中慎弥の「お互いの作品について、そこまで突っ込んだ話はしなかった。一度言い始めると、決定的に仲違いするところまで行ってしまうかもしれないと、私の方は密かに恐れていたが、西村さんもそう感じていただろうか」という一文をじっと見る。そして、そのしばらく先に綴られる、「そうなって初めて、いままで出来なかった突っ込んだ小説の話が出来た筈だ」という言葉。ぼくは構成役として西村さんが対談される場に何度も居合わせたことがあるけれど、そういう場所でお会いする西村さんはとてもサーヴィス精神に満ちていて、いつもホスト役として話を聞き出す側にまわられていた。その向こう側にある、西村さんが心の底で思っていることを聞いてみたいという気持ちは抱えていたけれど、そこに触れるのはおそろしかった。僕は大体においておそれてばかりいて、そのうちに時間が過ぎ去ってしまう。ふたつの追悼文を読み、ページをぱらりと繰ると、「キノコは何とも偉大です」という言葉が目に留まる。