3月16日

 10時半に自宅を出て、スカイライナーで成田空港へ。スカイライナーの残席は334と表示されている。今回は第1ターミナルにカウンターが移転してから初めてピーチを利用したが、第1ターミナルの国内線エリアは施設があまりに貧弱だ。どこかで昼飯でもと思っていたら、そういう施設がないまま保安検査場に到着してしまい、そこをくぐった先は小さなスタンドがあるだけだ。このカレーがこの値段かとぶつくさ言いながら平らげる。それ以上に、ちょうどお昼時の便だったこともあり、若者のグループ客がマスクを外して談笑しながら食事をするので閉口する。左側の窓側席だったので、水納島は見えなかったが、沖縄本島の反対側、辺野古の様子が一望できた。こんなに埋め立てられているのかと今更のように驚き、何を今更と自分の間抜けさを思う。那覇空港に到着すると、若者グループ客たちが預け荷物の受取所に入るなり、入口の「めんそーれ」の看板を一様に撮っていて、妙な初々しさをおぼえる。

 ゆいレール牧志駅に出て、南西観光ホテルにチェックイン。前に沖縄にきたときに取材をお願いしていた、「Y屋パン」に向かってみると、常連のお客様と話し込んでいるところだったので近くの酒場でビールを2杯飲んで、お客様が帰ったところでお話を聞かせてもらう。取材させてもらうのは『市場界隈』ぶり。いつも通りかかると、新報の原稿読んだよ、がんばってねと声をかけてくださっていた。最終回について、担当記者の方から「半分くらいは連載を振り返ってのお話に」と依頼があり、そうすると一度取材させてもらった方でなければ(そのお店自体について言及できる量が減るので)申し訳なく、どこにしようか迷って、やはりここで話を聞かせてもらおうと思っていた。

 小一時間ほどお話を伺ったのち、ライブハウスへ。移転してから訪れるのは今日が初めてだ。会場に入り、バーカウンターに一番近い席に陣取り、ビールを飲みながら開演を待つ。向井秀徳アコースティック&エレクトリックを観る。2杯目からは泡盛の水割りを飲んだ。すぐ目の前で、ベーシストのMさんがデジタルカメラで写真を撮り、画像を確認しては首を傾げている。途中で休憩時間になったタイミングで声をかけると、こちらが坊主になっていることに驚かれていた。聞けば、今日は写真撮影を急遽頼まれたものの、デジカメを使い慣れていないから困っている、という。そんなことを話しているうちにライブが再開される。ライブが素晴らしく、なんとなく今日のこの様子を残しておきたいという衝動に駆られ、Mさんに「デジカメ持ってきてるんで、撮りましょうか」と声をかけ、宿までカメラを撮りに走る。6杯目からはハイボールに切り替えて、撮影しながらライブを観る。今日も「自問自答」は歌われて、そこには6月23日にこの島で巻き起こったこと、というフレーズも追加されている。

 終演後、宿にカメラを置き、栄町でおでんをと改札をくぐったところでM.Sさんからメールがあり、慌ててライブハウスに引き返す。マスクをつけたり外したりしながら、ビールを飲んだ。途中で「本、読んだよ」と言ってくださる。例によって個人的なところから始まって、でも、そこからワタシが全然知らなかった歴史にたどり着いて――いや、面白かったと言われて嬉しくなる。その話の流れで、今日、食堂で琉球新報を読んでたら、恩納村の小学校が近くの小学校と合併することを選んで、休校になるって話が出てましたねえ、とMさんが言う。その話の流れに、僕の本を深く読んでくださった感じがして、ありがたくなる(島の話を記述した本ではあるけれど、その話はありとあらゆる場所にも通じている、ということを書いたつもりだから)。

 ライブ中にかぱかぱ飲んでいたので、正気を保ち続けられるだろうかと少し不安に思い始めたあたりで、いちどお開きとなる。「しめにステーキ食いに行こうか」と誘われ、もちろんついていく。赤ワインをボトルで注文し、ステーキを頼む前に、しばらく西村賢太さんの話をした。僕は僕自身の思い出を振り返りながら話をした。その話が終わったところで、どうしても聞いておきたかったことを尋ねる。それは、3日前と今日、「自問自答」に加筆された言葉のことだ。そこにはあきらかに今という時代が刻まれている。そして、そうした加筆をするのは、とても珍しいことのように感じられたからだ。

「ジャーナルって言葉があって」とMさんは言葉を探るように言った。日々のことをあらわすのが、ジャーナル。これがジャーナリストになると、ぴりぴりした言い方になる。自分はジャーナリストではないし、「今日こう思いました」ってことを歌っているわけでもないけれども、歌をうたうときはそのときの気持ちが出てくるから、ジャーナルにならざるをえない、と。

 その話を、僕はもう一段踏み込んで聞いておきたかった。その話に踏み込めるのは今日だという感じがあった。これまでにも、たとえば2016年の3月に同じく那覇で弾き語りをされたときも、「自問自答」の終盤にはその日目にしたであろう国際通りの風景が歌われてもいて、そこにはその日の気分が刻印されていたように感じた、でも、そういう気分から突発的に歌われるというのとは違う何かを、3日前と今日は感じたんです、とあらためて質問した。しばらく考えていたMさんは、「あきらかに、つけたした言葉があって――これは免れない」と言った。それを付け足したことは、ジャーナルであることを免れない、と。

 自分は「こういうことがありますよ」ってことを伝えるために音楽をやっているわけではないけれども、じゃあなぜ俺は音楽をやっているのかっていうと――と、そこまで言うと、Mさんは言葉を探して少し沈黙した。「だから、風景だね。風景画だよ」と、Mさんは言葉を継ぐ。「ランドスケープ。絵は描いてないけども、歌で絵を描いてるようなことなのかもしれん」と。深夜にステーキを平らげて別れ、小雨の降る中タクシーを拾って宿に向かいながら、とにかくこの言葉だけは記録に残しておかなければと、メモ帳に言葉をタイプする。