9月27日

 8時前に目は覚めたのだが、体を起こす気になれず。珍しく知人のほうが先にばっちり目を覚ましていたので、資源ゴミを出してもらう。「ワインのボトル、どうすん」と聞かれ、ああそうだった写真に撮っておこうと布団から這い出し、写真を撮る。コーヒーを淹れて、パンを焼き、朝食。N.Aさんから届いていたLINEに返事を送り、「S・I」ドキュメントの構想を練る。ああそうだと思い出し、国葬関連の番組を録画予約しておく。

 12時過ぎに家を出る。千代田線で新御茶ノ水駅に出ると、九段下駅は帰省中だとアナウンスが流れている。外に出るとヘリコプターの音。古書会館の前に出ると、いつも一回の受付にいるOさんが表に出てきて、街の様子を眺めている。会釈して通り過ぎ、角を曲がると、駿河台下の交差点が見える。国葬反対のデモが通り過ぎるところで、最後尾を警察車両と警察官が慌ただしく取り仕切っている。ちょうどお昼時とあって、路上を行く人たちは喧騒をぼんやり眺めている。すずらん通りの入り口にできていたプリン屋の店員さんはガラス玉のような目になっていた。向こうに解体工事を待つ三省堂書店が建っている。久しぶりの東京堂書店で『散文の基本』、『私の文学史』、『メガバンク銀行員ぐだぐだ日記』、『勝負の店』、それに『釧路湿原文学史』(これは、次の次ぐらいに北海道をテーマに取材したいと思い始めているので、それに向けた準備として)、ナタリーア・ギンズブルグ『不在 物語と記憶とクロニクル』を買う。

 ナタリーア・ギンズブルグという名前はまるで知らなかった。普段は海外文学をほとんど読まないけれど、帯の文言――「夫は獄死、家は空っぽ。かつてことばが『魔法』だった少女は作家になり、悲痛と希望を生きる物語を書き続けた。20世紀イタリアの『最も美しい声』、精選37篇。」が気になったのと、副題の「物語と記憶とクロニクル」は自分にうってつけだと思ったのと、ここ数日でイタリアに巻き起こっていることが――それに対してイタリアの友人たちがSNSで態度を表明していることが思い出され、買うことにした。今こうして日記に書くために、あらためて本を手に取ってみると、5600円+税と書かれていて、だからあんなに会計が高かったのかと今更気づかされる。本を買うときは値段を見ないようにしている。

 13時過ぎ、そろそろお昼のお客さんも引き始めている頃かと「ランチョン」に上がってみると、窓際の席は埋まっている。またあとで来ますと伝えて階段を降りて、靖国通り沿いの古本屋を冷やかす。「わ、ほんとに本屋ばっかり!」と言いながら通り過ぎていく若者がいた。九段下が近づくにつれ、「靖国通りはこの先、通行止め」とアナウンスが聞こえてくる。通行止めとなる九段下の交差点には相当な数の警察官が動員されていて、交差点の向こう側、一階にセブンイレブンのあるビルのあたりではデモの参加者が集まっているのが見えたけれど、8月15日に比べると静かに感じる。

 13時45分、「ランチョン」に戻ってみると、ちょうど窓際の席が空いたところだ。ビールとメンチカツを注文。メンチカツが揚がってきたところでビールを追加して、半分食べたところでもういちどおかわりする。ドレッシングがよく売れていた。道ゆく人を眺めながら、どんな文章ならあの人に読んでもらえるだろうかと空想する。新御茶ノ水から丸ノ内線で池袋に出る。途中、赤坂見附四ツ谷のあいだだけ猛烈に混んだ。三省堂書店ジュンク堂書店をはしごしてみたけれど、Twitterで見かけて気になっていた『Sessionの本 国葬とは何か/宗教と政治』は見当たらなかった。戌井昭人『厄介な男たち』のサイン本だけ買って、古書往来座を覗き、帰途につく。

 19時半、知人の帰りを待って晩酌。まずは『もう中学生のおグッズ』の録画を再生する。この1年、毎回楽しく観ていた番組。テレビ朝日の深夜枠に放送されていて、その放送枠では定期的に総選挙がおこなわれている。その結果がよければ放送枠が繰り上げられるとあって、ぼくも、知人も、めずらしくその手の企画で1票を投じていた。投票フォームには投票理由を記入する欄もあったので、「バラエティの新しい形を感じるから」と、率直に書いて送信した。でも、その『おグッズ』は人気で下位になってしまったらしく、今日未明の放送会で最終回を迎えてしまった。かなしい。いつか第二部が始まると信じたい。

 それを観終えたところで、『ワイド!スクランブル』の録画を観る。元総理大臣の自宅から、遺骨が運び出されるところが中継されている。そんなに骨に価値を見出すのかと、不思議な心地がする。国葬に遺骨は必要だろうか。国家儀礼でそんなふうに扱われる遺骨がある一方で、ないがしろにされている遺骨が存在していることを、どう考えればよいのだろう。スタジオにいるジャーナリストの後藤謙次が、出迎えにきた車を見て、この車を手配したというのは岸田さんの配慮だろうと言っていて、何を言っているんだこいつはと白々しい気持ちになる。政治の世界において必要な「配慮」というのは、そんなことなのか。何より、遺骨が出発するところを中継し、そこから先はヘリで追っている番組に対しても違和感を抱く。もちろん報道し記録する必要があるのは間違いないけれど、スタジオの温度が、この儀式に対してべったりしている。

 驚いたのは、遺骨を乗せた車が防衛省を経由したこと。車が私邸を出発するときに儀仗隊――そんな部隊が存在することすら知らなかったけれど――が見送ったことにも強い違和感をおぼえたけれど、それにも増して違和感をおぼえる。遺骨を、ひとつの省庁にだけ経由させるということが儀礼として持つ意味を考えたときに、それが防衛省だということに気味の悪さを感じざるを得ない。テレビでは解説員が「国論を二分するなかではありましたけれども、戦後の日本の安全保障を、賛成派から見ても反対派から見ても大きな節目となる転換点ということになりましたので、そういった経緯も踏まえて、こうした見送られ方が調整された」と説明していたけれど、「国論を二分」するような問題だったにもかかわらず、遺骨を防衛省を経由させるという行為が、特に問題視されることもなくまかり通っていることに愕然とする。もし20年前であれば相当な問題になっていたのではないか。その、感覚の変化におそろしさをおぼえる。

 センスということで言えば、菅義偉が「友人代表」として挨拶していたことにも愕然とした。なんだそれは。官房長官として支え、後任として総理大臣を務めた人間が、国葬において「友人代表」として挨拶する。メロドラマの世界だ――と雑に書くとメロドラマに失礼になるけれど、この10年、政治の世界が人格や友情みたいな感覚で語られることに気色の悪さを感じている。その最たるものが「友人代表」という肩書きだ。政治の世界は、あくまで政策とその功罪で語られるべきだろう。もちろん田中角栄のように、その人格と政治家としてのありようが深く結びついている人もいるだろうけれど、そんなタイプの政治家はもう出てこないのではないかという気もする。国葬がこれだけ問題視されているなかで、「友人代表」なんて肩書きでのうのうとスピーチができるのは、一体どういう神経をしているのだろう(ただ、世間の反応を見ると、そこに対して違和感を感じている人はいないようだから、余計におそろしくなる)。友人代表としてなにかを語るのであれば、自分の金で銀座の焼き鳥屋でも貸し切って追悼するべきではないのか。友人という言葉も、追悼という言葉も、ずいぶん軽いものに思えてならない。