9月28日

 おととい、紀伊國屋書店で問い合わせた本というのは、湯浅学さんが編集した『洋楽ロック&ポップス・アルバム名鑑』という全3刊の本だった。昨日のうちには届いていたものを、さっそくぺらぺらめくってみる。最初の1冊は1955年から1970年のアルバムが網羅的に取り上げられている。全然音楽に詳しくないこともあって、ほとんどが知らないアルバムだ。名前は知っているけど、全然聴いたことがない人もいる。1950年代のアルバムの中で、気になったのがPerez Pradoという人のアルバムだった。解説によればマンボを世界的に広めた功績者らしいのだけれども、そのアルバムはApple Musicに入っていなかった。ただ、誰かが勝手にアルバムごとYouTubeにアップロードしたものがあったので、とりあえずそれを再生してみる。ああ、これがマンボか、と腑に落ちる。腑に落ちるのはどういうことだろうと思ったら、ヴァラエティ番組でよく耳にしたことがあるからだ。

 ウィキペディアを参照すると、日本での演奏は「1940年代後半の占領期に進駐米軍への慰問興行を行ったサヴィア・クガート楽団が最初とされる」とのことで、「米軍キャンプ内ではラテン系の音楽が人気を博し、当時同じくキャンプ回りをしていたハナ肇とクレージーキャッツは当初はキューバン・キャッツと名乗っていた」という記述が目に留まる。なるほど、そういう系譜があって、日本のヴァラエティ番組でよく使われていたのか。勝手に「ヴァラエティ的なBGM」という色眼鏡をかけてしまっていたけれど、こうしてアルバムを聴いてみると、こんな音楽を聴きながら酒を飲んだらさぞ楽しいだろうなという感じがする。ウィキには「マンボは1930年代後半にキューバで流行していたルンバにジャズの要素を加える形で作られ」たとの記述もあり、ではルンバとはと検索すると、こちらは近年では「アフロ・キューバンダンス」として理解されつつある、と書かれてある。そのキーワードでYouTubeを検索すると、もうちょっと民族的なというか、大地の胎動を感じさせる、路上の音楽がヒットする。音楽として面白いというのはわかるけど、自分にはそういった音楽の胎動にシンクロできる感受性がないなと思う。このアフロ・キューバンダンスが路上の音楽だとすれば、マンボはカフェやクラブで演奏されている音楽だという感じがする――と、そうだとすると、田舎者の自分はそんな場所にも根っからは馴染めないのではないかという気もしてくる。ひとしきり聴いたあと、こちらも本に収録されていたハリー・ベラフォンテのアルバムを再生すると、知人がその曲を口ずさみ始めてびっくりする。その曲がとても有名な曲だと、あとになって知った。

 昼はニラとねぎと豚肉を炒めて、サッポロ一番塩らーめんにのっけて平らげる。これからドキュメントを書き上げる上で、生活のリズムを作っていかなければならない。自宅で仕事をしていた知人は、ジャニーズのコンサートを観に出かけてゆく。ひとりなら飲みに出ようかとも思ったけれど、今日は電車に乗る気力が湧きそうにないので、自宅でひとり晩酌をする。照明を暗くして、窓の外を眺めながら、音楽を聴く。こうやって夜を過ごすのも悪くないけれど、それならいっそ、レコードプレーヤーでも買って、毎晩最初の1杯はレコードを聴きながら飲む――なんてふうに過ごせたら楽しいだろうなあ。そんなことを夢想して、今日の昼間、知人に何度か「レコードプレーヤー買ってこようかのう」と言ってみたけれど、「どこに置くんよ」と一蹴されてしまった。たしかに、レコードプレーヤーはともかく、レコードを置けるスペースはあんまりなさそうだ。

 何枚目かのアルバムとして、エルヴィス・プレスリーと、ファッツ・ドミノを聴いた。その2枚に、どこかうっすらと通底する甘さを感じる。その甘さ、スウィートさは、酔っ払いの頭で連想するに、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』にもどこか通じているような気がするから、50年代的な要素もあるのだろうかと、ぼんやり考える。と、そこまで考えたあたりで知人が帰ってきたので、YouTubeであれこれ再生しながら晩酌を続ける。その「甘さ」から思い出されたのは、亀和田さんの『1963年のルイジアナ・ママ』で、原曲の「ルイジアナ・ママ」と、飯田久彦がカバーした「ルイジアナ・ママ」を聴く。飯田久彦の右に立つ、黒っぽいスーツを着こなす男性の、最小限の動きで踊る姿に、知人が「おしゃれ」と感動している。