6時に目を覚ます。新年一発目の放送だからか、いつもより30分早く『サンデーモーニング』が始まり、まずは世界各地の年越しの瞬間が映し出される。『爆笑ヒットパレード』でも海外の年越しを中継していたけれど、西洋はどこも花火が派手に打ち上げられている。コーヒーを淹れて、シンザン記念の予想をする。『サンデーモーニング』、放送の最後あたりで「今年はどんな年になってほしいか」みたいなことを世界各地でインタビューした映像が流れ、ニューヨークの女性が「中世の世界じゃあるまいし、各国が協調して話し合ってほしい」と話していた。防衛費増額のときに「今を生きる国民の責任」という言葉が取り沙汰されていたことを思い出す。その言葉に触れたとき、防衛費を増やさざるをえないような緊張を生んだのはあなたたちだろう、と思った。防衛費なんかに予算を注ぎ込まなくて済むように、外交というものがあるはずで、防衛費を増額せざるをえないような緊張状態にまで至らしめてしまったのは政治家および外交官だ。おととい、旅先で話していたとき、自分は広島出身だと説明すると、「総理大臣とおんなじだ」と言われて、相手は特に深い意味もなくそう言っただけなのだろうけれど、肩身が狭くなる。施策を眺めている限り、とても広島に地盤がある政治家とは思えない。
午前中は資料を読み込んでいるうちに終わってしまう。昼は知人の作る鯖缶とトマト缶のパスタ。ビールを2本飲んだ。午後、読み込んだ資料で必要な箇所だけピックアップしながら、ワードにまとめていく。それだけで日が暮れた。シンザン記念で◎をつけたペースセッティングは2着に終わり、馬券も外れた。買ったライトクオンタムが強かった。夜は「出前館」で餃子の王将を運んでもらう。餃子と、回鍋肉と、エビチリと。録画してあった正月番組を消化するべく、『ファイナリスト芸人が夢の競演!幻の優勝ネタ祭り』を観る。テレビ東京の番組で、キングオブコントやTHE W、M-1グランプリで惜しくも敗れた芸人たちが決勝で披露するはずだったネタを披露する、という番組だが、ネタの最中にゲストの姿がちょくちょく映し出される。それだけならまあ、よくあることなのだけれども、顔が抜かれるだけでなくテロップでゲストの名前が紹介され、ネタに対してこんなに愛情がない番組構成も珍しいなと感じる。「若手芸人」たちのネタを見ていると、むずむずしてくる。
年明けに『新春ツッコミ芸人総会』という番組の中で、ツッコミ芸人たちが「誰のツッコミを参考にしたのか?」というトークテーマで話をしていたとき、博多大吉が大木こだま・ひびきの名前を挙げていて、番組中に短く紹介された大木こだま・ひびきの昔の漫才がとてもアップテンポで、衝撃を受けたのだ。あれを観ると、今の漫才はずいぶん間が悪るく感じてしまう。単にペースが速いかどうかは時代の流れがあるにしても、相手の言葉をすべて聞き切ってからしかしゃべらないのか、あるいは相手が話し終わるちょっと前に話し始め(つつも、ちゃんと観客に言葉が伝わるようにでき)るかどうかは、かなり差が出る。それに、YouTubeで見つけた大木こだま・ひびきの漫才は、ネタの内容も、時代に対してずいぶん早いという感じがする。
途中で番組の再生をとめて、浜田雅功が名前を挙げていたのりお・よしおの漫才をYouTubeで探して見たり、やすきよを観てみたり、紳助竜介を観てみたり。紳助竜介を観ていると、「この間で漫才をやりたい」という理想が少し噛み合っていないように思える(噛み合っていないというより、もっと間を詰めてさらにハイスピードな漫才が理想なのだろうけれど、テンポの速い漫才をするというので限界で、間までは詰められなかったという感じがする)。やすきよは、やっさんが奔放というイメージが強いけれど、YouTubeで見つけた動画を観ていると、やっさんが「この流れに持っていきたい」と一歩踏み出そうとしたところで西川きよしが別の方向に一歩進んで、やっさんが立ち止まる、という場面が散見されて、繊細さが伝わってくる。なにより達者だなと驚いたのは海原千里・万里。今更「達者だな」も何もないのはわかっているけれど、この達者さを観てしまうと、同時代に戻れないような気がしてしまう。その時代の漫才をもっと観てみたい。というわけで、テレビは途中で消してしまって、知人とスマホアプリで桃太郎電鉄をやる。5年対決。カードの使い方や、「いや、そこに進むより、こっちのルートをまわって物件を買ったほうが」だのなんだの助言をしながらやっていたが、最後は僅差で負けてしまう。