1月9日

 8時に目を覚ます。コーヒーを淹れて、たまごかけごはんを平らげる。焼肉の日に食べ切らなかったキムチも混ぜた。午前中は原稿の構想を練っているあいだに過ぎ去ってしまう。昼、まえさんのツイートを見て「そうだ、今日から『ぽかぽか』が始まるんだった」と思い出し、テレビを8チャンネルに合わせる(録画はしてあったが、リアルタイムで雰囲気に触れたかった)。画面の色味といい、ローカル番組みたいだ。観覧客を入れた生放送、というのはチラッとだけ『いいとも』を思い出す部分もあるけれど、これは……と知人ともども言葉を失う。

 昼はココイチのカレーでもテイクアウトしようかと思っていたけれど、12月はかなりエンゲル係数の高い生活を送ってしまったので、とりあえずお米を洗って炊飯器のスイッチを押す。知人と相談して、キムチ入りの焼き飯を作ってもらって昼食にする。ビールは1本飲んだ。明日は紹介状を持って病院に行くつもりなので、ネットで病院の口コミを読んでみる。おおむね好評だが、中には痛かったと書いているものを読んで首筋がひゅんとなる。そして、すぐにでも手術をしてもらえるつもりでいたけれど、「人気の病院だけに、1ヶ月は待つものだと思っておいたほうがいい」という口コミもある。1ヶ月後だと、ちょうど校了目前で慌ただしい時期だ。「これ以降だと入院して手術を受けてもらえます」と提案されたとき、どこでお願いするかとあれこれシミュレーションをする。ネットで検索すると、「手術後に即日退院」という話もあれば、「1週間から2週間」という話も出てくる。症状次第なのだろうけれど、そんなに長く入院するとなるとずいぶんお金もかかってしまうなあと、どんどん暗い気持ちになる。

 知人は今日も東京ドームのコンサートを観に行くらしく、14時過ぎには出ていってしまった。気持ちを切り替えて原稿を書こうと思ってみるのだが、どうにも沈んだままだ。痛いのは嫌だなあ。お金がかかるのも嫌だなあと、グリーンチャンネルを眺めながらフェアリーステークスの予想をする。新潟2歳ステークスの勝ち馬が出走していて、キャリアだけで見れば圧倒的にこの馬が本命なのだけれども、人気がなく、本命には別の馬を選んで、その馬は紐に入れて三連複を10点買う。1000円が消えてゆく。

 日が暮れる前にと買い物に出る。鍋にしようと坂下のスーパーに入ると、かなり混み合っている。鍋でも作ろうかと思っていたのに、白菜が売り切れていた。カゴを戻して店を出て、「往来堂書店」まで足を伸ばす。ここもかなり賑わっていた。『文學界』と、レジ近くの棚にあった『現代思想』の臨時増刊「総特集=ジャン=リュック・ゴダール」も買う。不忍通りを歩いていると、路駐をしている車が何台か停まっている。このあたりの八百屋と、少し先の魚屋のあたりは、休日になると路駐をする車をよく見かける。東京に暮らしていて車のある生活を送る余裕があるんだったら、ちゃんとコインパーキングに止めろやと、路駐をして買い物をする車を見かけるたびに黒い感情が一瞬湧いてしまう。

 よみせ通りのスーパーへ。白菜と、きのこと、、、とカゴに入れながら進んでいくと、アルミの容器に入った一人用の鍋が何種類もあることに気づく。旅先にいるときは別にして、最近はひとりで夕食をとる機会が激減しているので、一人用の鍋が並んでいるのは今まで視界に入っていなかった。牡蠣鍋もあれば寄せ鍋もあるし、豚キムチ鍋もあればカニ鍋もある。値段は400円から500円ほど。ただ、どれもボリューム的に物足りない気持ちになってしまいそうだから、白菜ときのこと豆腐と安い鶏肉を買って帰る。知人がいないと、途端に手持ち無沙汰になる。心の友だと思っている人は(片手に収まるほどではあるけれど)何人かいる。ただ、世の中で言うところの「友達」とは少し違っていて、頻繁に会うわけではない。知人も僕も、いわゆる「友達」というのがいないから、いつもふたりでテレビを観て、酒を飲んでいる。だから、知人がいないとなると、途端にやることがなくなってしまう(テレビも、基本的には知人と一緒に観たいから、録画も再生できない)。いつからこんなふうになったんだろう。しかも、明後日からは知人が10日ほど里帰りするので、その期間どう過ごしたものかとぼんやり考える。10年前はよくひとりで飲みにいっていたけれど、最近は酒を飲みに出ることも少なくなったし、入院費用がかかることを考えるとあまり飲みに出る気にもなれない。

 19時に鍋を作り、ひとりで晩酌。レコーダーから焼いたブルーレイをがさごそ探し、『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』を見返す。2016年1-3月期に放送されたドラマだ。このドラマの登場人物のひとりが猪苗代出身という設定で、このドラマが放送されていた時期に(主人公が猪苗代に里帰りした時期に)猪苗代まで足を運んだなあと、おとといの取材のときに思い返していた。うっすらそんな記憶はあったのだけれども、胸糞が悪くなるシーンが多く、苦しくなる。舞台設定は震災前後で、日本はこんなに限界に近い状況にあったのだなあと感じる。主人公の祖父は、猪苗代で農家をやっていたが、土地を手放さざるを得なくなり、主人公は「東京でお金を稼いで、じいちゃんの土地を買い戻す」という決意のもと上京したのだという設定がある。この設定はすっかり忘れていたし、ぼんやり見逃していたところだ。ただ、取材に関連して色々調べ物をした今となっては、なるほど、と膝を打ちたくなる。

 会津フレッシュリゾート構想に絡んで、土地が買われ、文書が偽造される事件まで起こっている。そこに町議が絡んでいた疑惑も90年代には報じられているし、町長も汚職で逮捕されている。そして、主人公が(1話から3話までは、「まだ志を果たせていないから」と)里帰りをしようとしないという展開に、野口英世記念館で目にした「志を得ざれば再び此地を踏まず」という文字が思い出される。上京するとき、家の柱に彫刻刀で刻んだ文字が、野口英世の生家に展示されていた。その迫力。脚本家も執筆前に現地を訪れ、この文字に何か感じるところがあったのだろうかなんてことを考えながら、芋焼酎のお湯割りを飲んだ。23時半頃に帰ってきた知人は、僕がまだ眠っていないことに驚いていた。知人と一緒に2話観て、眠りにつく。