1月10日

 8時過ぎに目を覚ます。夜更かししたせいでかなり眠い。昨日の鍋の残りを温めて具材をツマんだのち、雑炊にする。トイレを済ませたあと、シャワーを浴びて、千代田線で町屋へ。2駅隣なのに、降りるのは今日が初めてだ。昭和を感じる家屋が建ち並んでいる。ビニールプールを置くと埋まるくらいの庭に、柿の木が植っていて、びっしり実がついている。材木屋をやっていたのか、天井が高い空間がある。こういう建物を見たときに「いいなあ」と心の中で思う感情は一体何なのか。これからどんな診察を受けるのか、はたして入院・手術はいつ頃に決まるのかと、朝からずっと気持ちが塞いでいる。カネコアヤノの新譜から、先行配信されている2曲を聴きながら、どうにか病院まで歩く。

 時刻は11時13分、ロビーはかなり混み合っていた。これは午前中に診察してもらえるのだろうかと不安になりながら、受付で紹介状を差し出す。受付近くの壁に、入院は個室だと15000円、二人部屋は7000円、大部屋は差額なしと書かれている。二人部屋か大部屋だと、どっちが気兼ねなく入院できるかは微妙なところだ。二人部屋はゆったりした間取りになっているけれど、そこだと一対一の関係になってしまう。自分の番を待ちながら、パソコンを広げてメールの返事を書いていると、10分くらいで自分の番号が呼ばれた。すぐに診察を受ける。最初にいたのは若い医師だったが、やがて院長がやってきて診察し、次に副院長もやってくる。副院長はウェブの口コミでも対応が素っ気ないと書き込まれていたが、たしかに素っ気ない。院長が「医は仁術」みたいなオーラを漂わせているのに対して、副委員長は「そんなこと言っていたら患者を捌けない」という感じが漂っている。対応はドライだが、腕はたしかそうな雰囲気がする。それに、こういう状況になってみると、自分はひとりの人間であると思うより、されるがままの物体であると思い込んだほうが気が楽でもある。

 「とりあえず切開して膿を出さないと」という話になる。また切られるのか。副院長に「かなり痛いですけど、頑張ってくださいね」と何度か言われ、あの、痛いのって何秒ぐらいですかと尋ねると、しばらく考えたのち、切開が10秒くらいと、そのあとに止血があって、そこで焼けるような痛みが2秒くらい、と教えてくれる。たしかにかなり痛かった上に、おしりの穴に指を突っ込まれ、内側から膿を押し出されるのも痛かった。自分はミュージシャンで、ステージ上で歌を叫んでいるんだと思い込むことで気を紛らわせる。気を紛らわせるというか、手術の痛みで歪みそうになっているのではないと自分に言い聞かせる。唸るたびに看護師と副委員長が励ましてくれた。

 切開して膿を押し出すと、いちどロビーに出される。ロビーと診察室は壁一枚隔てただけだから、ここにも唸り声は響いていただろう。また別の診察室に入り、「痔瘻とは?」という説明を副委員長から受ける。これがインフォームドコンセントというやつか。話を聞いている限り、やはり疲れが溜まっていたことも原因なのだろうなという感じがする。肛門のあたりにはくぼみが10個ほどあって、そこに細菌が入り込むことで、痔瘻ができてしまう。そこに入り込んで痔瘻ができるというのは、それだけ免疫力が下がっていたのだろう。たしかに11月下旬からは怒涛の日々だった。ずっと原稿を書いていたのと、19日から旅に出て、宝塚に1泊して「取材」をして、翌日には実家に戻って3泊して、道後温泉に4泊して「取材」をする。東京に戻り、さっそく「取材」してきたことを原稿にまとめたり、RK新報の連載書籍化の打ち合わせをしたり、誕生日前ということで数日間は散々酒を飲んだりしたあと、また別の取材に向けて12月4日に沖縄に向かった。おしりに違和感をおぼえたのはその翌日だった。フリーランスだから、「働いている」という感覚もないので、「体を休めよう」という感覚も生まれづらい。ただ、もう40歳になったことだし、体調を気遣いながら生きていかなければならないのだろう。

 副院長の話によると、すぐに手術はできないらしかった。それは病室の空き状況というより、さっきの切開をするまで管の中に膿が溜まっていた状態で、ぐじゅぐじゅした状態だから、これだと手術はできないらしかった。これが乾燥するのを待つ必要もあって、1ヶ月後ぐらいでどうかと提案される。2月半ばが春に出す本の校了時期にあたるから、その直後に入院する感じがベストだ(2月26日にはまた別の取材に出る予定が入っている)。入院は1週間ほどになるとのこと。ただ、それに先駆けて大腸の内視鏡検査を受ける必要があるらしく、とりあえずその日付が2月7日に決まった。最後に感染症の有無を調べるために採血をされて、今日の診察は終わった。会計に呼ばれると1万2千円でギョッとする。病気になるとお金がかかる。年を取ったらどうなってしまうんだろうと暗い気持ちになりかけるも、とりあえず日程的な面では見通しがたったので、往路よりはずいぶん明るい気持ちで駅まで歩く。青空を眺めていると、痛みに耐えていたのは嘘だったんじゃないか(フィクションかなにかだったんじゃないか)という気がしてくる。

 知人は早めに帰ってくる。病院での話をすると、「おしりのトラブルが多いね」と言われる。そんなことないだろうと思ったものの、前に入院したのは2013年の終わり頃、突然謎の下血が起こったときだ。あのときも大腸科で診察を受け、同じ科を受診している人の多くは痔を抱えている人たちだった。夕方まで原稿執筆に向けて動画を観る。日が暮れたところで、おしりに当てられていたガーゼをとり、ガーゼを固定していたテープを剥がず。なかなかの痛さ。19時、出前館に運んできてもらった「老酒舗」の惣菜で晩酌をする。