2月12日

 5時過ぎに目を覚ます。まだ起き出すには早いので、ケータイをぽちぽちいじり、二度寝、三度寝を重ねる。8時過ぎに布団から出て、テレビをつけて『サンデーモーニング』にチャンネルを合わせる。コーヒーを淹れ、たまごかけごはんを平らげて、ウェブ連載の原稿を書き進める。10時近くになって起き出してきた知人が、入院に際して必要な書類に署名をしてくれている。病院で特に説明を受けていなかったので、数日前になって気づいたのだが、入院の同意書的な2通の書類に保証人的な人物の署名が必要になるらしく、そのうちの一通には「(近親)」と書かれていた。実家に送ってサインをしてもらうのはもう間に合わない。兄も東京に暮らしてはいるけれど、お願いする距離感にいない。何も伝えないまま知人にサインをしてもらおうと思っていたが、当然「(近親)」の文字を見つけられ、「これ、駄目じゃん」と知人が言う。もう12年以上一緒に暮らしていて、内縁関係にある、と言うこともできるけれど、それをサインするのは「忸怩たるやけど」と、知人は昨日サインをしていなかった。

 お昼が近づいたあたりで、風呂場へ。バリカンですね毛を刈り込んだのち、今回はアタッチメントをつけずに五厘刈りにする。入院中に体を拭く手間が少なくなるように、というのと、手術の翌日はまだ入浴ができないので、濡らしたタオルで体を拭きやすいように、と。12時半になって、知人と一緒に外に出る。昨日も快晴だったが、今日も雲ひとつない青空が広がっている。手術前日でなければさぞ心地よかっただろうなと想像する。夜はおかゆか素うどん以外食べれないので、今日のお昼が最後の普通の食事ということになる。入院前に食べるなら寿司だなと、「ちよだ鮨」でパック寿司を買って帰る。お吸い物も買った。

 すっかり満腹になったところで、また原稿を書く。少し原稿を書いては、ため息が漏れる。何がそんなに嫌なのだろうか。今週の『なりゆき街道旅』は谷根千でロケをしていたので、なんとなしに最後まで観る。すると、『ザ・ノンフィクション』が始まる。ストリッパーの女性をめぐる回の後編で、長年応援するファンが癌を患い、激しい痛みをおぼえながら劇場に通う姿が映し出される。暗い気持ちになりながらも、自分の手術はきっとここまで苦しくはないのだろうなんて考えてしまっている自分がいる。でも、またどこかのタイミングで何かを患って、やがて死ぬのだということを考える。死ぬのは嫌だなと思う。いつまでも楽しい時間が続けばいいのに。

 『ザ・ノンフィクション』が終わると知人は昼寝を始める。原稿を少しだけ書き進めたり、入院に向けた準備をしたり。やがて日が暮れる。ニュースではトルコの地震の様子が映し出される。さっきと同じように、痔瘻になって一週間入院するぐらいのことは、被災した人たちに比べると大した問題ではないよなと自分に言い聞かせようとしている自分に気づく。ひどい考え方というか、とても自分本位な受け止め方をしていて、情けなくなる。「明日も明後日も原稿を進めなければ」と思っていたけれど、明日と明後日はもう、気を紛らわせることだけに集中したほうがよいかもなと思い直して、Netflixで面白そうな作品はないかをしばらく探す。

 明日からの入院は、部屋がまだ決まっていないから、費用も未確定だ。ただ、入院代は退院時に近くのコンビニでおろしてきて支払うのでもよいそうなので油断していたが、最初に預け金が必要となるのだったと思い出す。知人と一緒にセブンに行き、お金を下ろしておき、今夜飲む炭酸水(お酒を飲めないので、レモン味の炭酸を選んだ)、明日のためにミネラルウォーターを買っておく。入院中に院内のコインランドリーを利用したり、テレビカードを買ったりするときに困らないように、現金で支払って小銭と千円札を用意しておく。知人は散々迷ってチョコレートケーキ(2個入り)を買っていた。家に戻ると『ちびまる子ちゃん』が始まっている。ちびまる子まで病院に行っている。

 ほどなくして『サザエさん』が始まると、知人が「チャンネル変えていい?」と言う。何か見たい番組があるわけではなく、『サザエさん』以外が見たいというだけだったので、それなら『ベスコングルメ』でしょうとTBSに切り替える。大雪の金沢を歩き、居酒屋まで歩いている。たどり着いた川島行きつけの酒場の料理のうまそうなこと。ビールを飲む姿もうらやましい。『ベスコングルメ』が終わると、『バナナマンのせっかくグルメ』が始まる。テレビって食べ物ばかりだなと思う。退院したら何を食べようかと想像して気を紛らわす。21時には布団を敷き、昨晩の『さんまのお笑い向上委員会』を再生する。知人と一緒に大笑いしながら観る。バラエティ番組は精神によい。それを観終えると、22時からはリアルタイムで『くりぃむナンタラ』を観た。すみだ水族館のアシカだかなんだかが画面に映り、ほっこりする。動物も癒しだ。ばかみたいな日記になっている。どんなに術後傷んでも、自分に懐いている動物が同じベッドに寝転がってくれていたりすれば、大概のことは耐えられるのではないかと想像する。あるいは同室に知人が入院していれば、ある程度のことは平気なのになと考えているうちに、知人は眠ってしまった。