2月18日

 4時過ぎに目が覚めてしまう。まだ起きるには早いなと思いながらトイレに立つ。まだナプキンは替えなくていいかなと思いながら、状態を確認すると、そこそこ浸出液がついている。これまでもずっと、うっすら血は滲み出たものが付着していたけれど、(手術痕が開いてしまった感じではないにせよ)今日は少しだけ血の色が強い気がして、不安になる。一喜一憂してばかりだ。何より気掛かりなのは便通である。手術の翌々日から、毎日出てはいるけれど、昨日は量が少なかった。いくらしっかり咀嚼しているとはいえ、食べる量に比べると、出ていない気がする。昨晩寝る前に微妙な便意があったけれど、いきまないと出ない感じだったのでやめにして眠ってしまった。

 排便時に痛むと怖いので、6時になったところで痛み止めを飲んでおく。体を起こし、日記を書く。コップにお湯をそそぎに出たところで、同室さんと顔を合わせる。「どうですか」と同室さん。あんまり変わりはないですと答えると、「あれ、飲んでます?」と尋ねられる。あれ、というのは、入院時に薬やナプキンと一緒に渡された粉末ジュースみたいなやつだ。そこには水溶性と不水溶性の食物繊維の両方が含まれており、軟便の人にも便秘の人にも効果的で、排便コントロールにうってつけだ――と、フロアごとに張り出されてあるポスターみたいな記事に書かれていた。そのポスターは、委員経営専門誌に掲載された記事の抜き刷りのようになっていて、粉末ジュースの効果を語っているのは、この病院の副院長である。このポスターを見て、「雑誌がわざわざ病院に配るのか……? これを見ても、患者は雑誌を買わないだろうに」とアホみたいなことを思っていたけれど、友人に尋ねてみたところおそらくは記事広告で、製薬会社が記念にポスターを作ってプレゼントしたのではないかとのことだった。な、なるほど!

 「僕、もしかしたら多便ってやつなのかもしれないです」と、同室さんは言う。手術後も、食事ごとに便が出て、便が出過ぎるせいで昨日は痛みがあったのではないか、と。ちなみに普段はどれぐらい出るんですかと尋ねてみると、一日に2、3回とのことで、「いや多いな」と思ったが「そうなんですね」と答える。たぶんあの粉末ジュースは、術後にうまく排便コントロールができない人のサポートだと思うので、便が出てるなら飲まなくても平気なんじゃないですかね、と伝える。

 ところで、昨日は軟便について調べていた。手術の翌々日からちゃんとした便通が戻ってきたのだけれど、初日と二日目はやわらかめで、三日目の昨日は一段とやわらかかった。痔瘻の手術は(というより、おそらく僕が受けたであろう術式は)刻門括約筋の一部が切開されている。だから、手術のあとに下痢や軟便が続くと、肛門が狭くなってしまう可能性があると書かれていて、手術前からずっと「ちゃんと排便できるだろうか」と不安だった。やわらかい便が続いたことで、「もしかしたら咀嚼しすぎて柔らかくなっているのか」と思ってネットで検索したり、「そもそも快便とは?」と調べたりしていた。そこでヒットしたのが、便の状態を7段階であらわした図だ。1がウサギの糞のような状態で、そこから少しずつ水分量が増え、7になると液状となる。その図で快便と表示されている「4」は、歯磨き粉のように出る便とされていた。それを見た瞬間に、え、昨日と一昨日はその状態だったけど、あれは軟便じゃなかったのか、と気づく。僕はずっと、一つ上の3の状態が快便だと思っていた。40年間、何を思って生きてきたのだろう。そしてその「快便」は日常生活であまり出ることはなく、ああ、だから痔瘻になったのかと、勝手に腑に落ちた。

 今日は昨日みたいに早い時間から掃除が始まる気配は感じられなかった。ということは、今日から入院する患者はいないのか。だとすれば、明日は午後が休診で手術はないはずだから、僕が入院しているあいだは新規に入院してくる患者はいないんじゃないか。それなら気が楽だ。

 7時59分にアナウンスが流れ、食堂へ。昨日入院してきた患者さんたちもいる。僕よりひとまわりは上ぐらいの世代だ。おばあさん以外は個室を選んでいるわけだし、あんまり目を合わせたり会釈したりしても邪魔くさいかなと思って、黙々と食事をする。思い返してみると、僕が最初に食事をした日、先に入院していた方達もそんな雰囲気だったように思えてくる。そして、自分が手術をした日の夜は途方もない時間に感じられていたのに、人の手術となるとたった数時間のことに思えてくる。おばあさんは随分遅れて、看護師に案内されながら食堂にやってきた。先に食べ終わった同室さんが、「どうですか、一日ぶりのお食事は」と声をかけている。その人あたりのよさから、勝手に営業職だと決めつけている。

 こうして朝食をとっている時間帯に、看護師さんたちが出勤してくる。だんだんここの日常が見えてくる。女性の医師が出勤してきて、ちょっと失礼と食堂に入り、紅茶を飲んでいる。還暦を迎えたぐらいのベテラン先生だ。この先生の出勤日は待合室に張り出されてある。女性の先生がいるかどうかは大きいのだろう。

 食事を終えると、お腹をさすりながら廊下をぐるぐる歩き、便が降りてくるのを待つ。音楽を聴きながら6階のトイレに行き、用を足す。今日はDragon Ashを聴いていた。なんかこう、勢いのつく音楽(?)を聴いていると、痛みなんてマジ関係ねえみたいな気持ちになって、プレッシャーが和らぐ(かといってロックだといきんでしまう気がする)。ヒーリング音楽を聴くより自分には合っている。ほっとして部屋に戻り、日記を書いていると、「失礼しまーす、今日からご入院の××さんでーす」とナースが入ってくる。ナースが部屋の説明をするのを、静かに返事をしながら聞いている気配が伝わってきて、こういうタイプの人であれば気にせず過ごせる気がする。しかし、入院初日の自分の気持ちに立ち返れば、「お前がたまたま数日早く入院しただけなのに、なんでお前にジャッジされんといけんのんじゃボケが」である。

 入院当日の朝、タクシーで病院に向かっているときのことを思いだす。車窓の風景を眺めて、とても憂鬱な気持ちになりながら、パリピみたいな人だったら平気なのかな、と考えていた。手術の前も、術後に痛みがあっても、パリピみたいな人ならずっと「ウェーイw」って感じで過ごせるんだろうか、と。もしそうだとしたら、ちょっとうらやましいなと思っていたけど、同じ部屋で過ごすとくたびれてしまいそうだ。

 11時58分にアナウンスが流れ、食堂へ。今日も手術室は「使用中」と赤く光っている(13日の日記に「手術中」と書いたが間違いだった)。今日のお昼は焼きそばだった。今こうして書いていて思い出したけど、昨日のお昼は普通に豚の生姜焼きだった気もする。焼きそばなんて普段はほぼ飲み込むのに、自分は内臓の出先期間になったんだと言い聞かせて、なるべく咀嚼する。遅れてやってきたおばあさんも、僕の半分ぐらいの時間で食べ終わっていたが、今はひとつでも不安材料を減らしたい。それはやはり、来週日曜に羅臼行きが控えているからである。

 「北海道に出張の予定がある」ということは、入院前に執刀医に伝えてあった。その日程を聞くと、執刀医は一瞬考え込んで、「まあ、もし出血があれば、電話してもらえたら病院紹介するから」と言っていた。ただ、そのときは行き先が羅臼とは伝えていなかった。羅臼で出血がとまらなくなったら、それこそ昨シーズン放送されていたテレビドラマのように、ドクターヘリで搬送される可能性もある。勝手に取材に出かけてそんな迷惑をかけるわけにもいかないからと、入院中はとにかく早く回復に向かうことだけを考えていた。

 姿勢を正して焼きそばを咀嚼していると、ナースが3階に降りてきて、手術室の前に置かれた電子レンジでコンビニ弁当を温めている。手術室の前に電子レンジというのもシュールだ。今日も最後のひとりになって、じっくり食べていると、食堂のおばちゃんが「今日は簡単な料理でごめんね」と申し訳なさそうに言う。そして「晩御飯は煮込みハンバーグだからね」と教えてくれた。じっくり時間をかけて食べているから、よっぽど食事を楽しみにしているように思ってもらえたのだろうか。20分かけて焼きそばを平らげ、病室までゆっくり階段をあがっていると、ふと気が変わる。それなりにリスクがあるのに、今月末のうちに羅臼に行く必要があるのだろうか?

 羅臼行きの日程は、手術日が決まる前にもう組んであった。どうせ羅臼に行くなら、寒さが際立つ季節がいいだろうと思って、2月の終わりを選んでいた。原稿を書く上でその日程も大事なポイントだと思い込んでいたけれど、「まだまだ寒い日が続くけど、ようやく冬が終わるきざしが見え始めてきた3月の羅臼を訪れる」という内容でもいいのではないかと、頭が切り替わった。そうだ、それでも原稿は成立するじゃないか。ただ、取材時期をうしろにずらすと、原稿を書き上げられる時期もずれるから、掲載スケジュールも見直してもらう必要が出てくる。そこでまずは編集のM山さんにメールを書く。こういう方向で取材をするつもりで、それなら2月の寒い時期にと思っていたけれど、術後でまだリスクもあるし、3月なら3月で悪くない時期設定な気もするけど、どうでしょうか――と。

 メールを送信したあとで、あらためて出血のリスクについて調べてみる。痔の手術は、病院によって術後の過ごし方にひらきがある。僕が入院している病院は、いぼ痔の患者も痔瘻の患者も、7泊8日の入院を基本としている。一方で、リスクが低めのいぼ痔であれば、日帰り手術をおこなう病院も少なくない。ただ、日帰り手術の病院でも、運動やアルコールの摂取は10日から2週間は控えるようにと書かれていて、旅行や出張も2週間は避けるべきだとされている。調べていくうちにわかったのは、術後の異常な出血は1000例に1〜2例ある、ということだった。手術の際に縫合した糸が溶けるのが術後10日前後らしく、そのタイミングで出血が起きる可能性があるらしかった(僕が入院している病院のしおりに、飲酒や車の運転、立ち仕事や座り仕事は退院後2〜3日目[つまり術後9〜10日目]まで控えるように書かれているのも、そういう理由なのだろう)。そんな時期に飛行機に乗り、気圧の変化が生じると、出血のリスクが高まりそうなことは素人にもわかる。痔の手術以外でも、たとえば大腸のポリープを切除したあとも、飛行機に乗って気圧の変化が生じると、いきむのと同じ作用があり、「縫縮クリップの脱落,遅発性穿孔,後出血のリスクが上昇する」のだと、日本医事新報社のサイトで医師が回答している。やっぱり、飛行機に乗るのは無謀かもしれない。

 今日は土曜日なのに、M山さんからはすぐに返事が返ってくる。掲載スケジュール自体は、事前に言ってもらえたらいくらでも調整がきくので、万全のスケジュールで取材してもらえたら、と書かれてある(もしも「いや、2月のほうが記事としておいしいのでは」と思ったとしても、手術直後の人にそんなこという人もいないだろうけれど)。今度は現地で話を聞かせてもらう約束をしていた方にメールを送り、事情を説明し、スケジュールを再度調整してもらえないかと相談する。

 16時になると、入院患者の診察時刻だとアナウンスが流れる。はやく医師に相談して、いろいろ手配したいので、真っ先に一階に降りる。患部を診察した若い医師が、「うん、傷口もきれいだし、順調ですよ」と明るい声で言うので嬉しくなる。ズボンを履いたところで、医師に「実は来週の日曜日、北海道の羅臼に出張があるんですけど、術後13日で飛行機に乗るのは出血のリスクが高いですかね」と尋ねてみる。医師はしばらく考え込んだ。「やっぱり、気圧の変化が激しいとよくないですか」と尋ねると、「それもあるけど――何時間ぐらい乗ってる?」と聞き返される。あまり長い時間同じ姿勢でいると患部にさわるから、せめて円座クッションを使うとか、ひとつのところにだけ負荷がかからないようにできれば――と、若い医師は言う。ちなみに、もっと後ろの日程にずらせるんだとしたら、ずらすにこしたことはないですかと聞き返すと、「ああ、それはもう」と言うので、延期しようと心に決めて部屋に戻り、フライトと宿を手配しなおす。変更不可の格安――といっても、沖縄行きに比べるとずっと高く、往復で5万もした――航空券だから、キャンセル料は2万円もかかるようだ。でも、大量に出血したらそれどころじゃないのだから、仕方がない。

 夕方になって、インスタのストーリーズに新刊の情報を投稿する。今日のお昼に、新刊の情報がウェブに登録されていることに気づいた(「版元ドットコム」というサイトに登録された新刊情報をチェックし、気になる新刊をツイートされている方のアカウントで、すでに情報が解禁されていることに気づいた)。新刊のタイトルは『そして市場は続く 那覇の小さな街をたずねて』となった。書影もすでに出ているのが嬉しく、すぐにSNSに投稿しそうになったが、「自分が取材された側だったら」と考えて、手を止めていた。もしも僕が取材を受けたひとりなら、一般に公開されるより先に教えてほしかったと思うだろう。せめてインターネットを介して連絡がとれる人には、原稿を再度チェックしてもらったお礼と、タイトルが決まったことと、沖縄で発売になる時期と、こうしてインターネットにも情報が登録されてましたという報告の連絡を、今日の午後に一通ずつ送っていた。その上で、夕方になってインスタに情報をアップしておく。

 

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 16時56分に夕食のアナウンスが流れる。食堂へと階段を降りる。4階を通りかかったとき、ナースステーションにナースの方がいるのが見えて、ああそうだと立ち寄る(夜だとナースの方は不在になるかもしれないので、今のうちに、と)。羅臼行きを11日延期したことで、今度は別のことが気になり始める。退院予定の2月20日に、観劇の予約を入れてあったのだ。上演時間は80分と発表されている。今日の夕方の診察時に医師とやりとりしたことをふまえて、月曜午前に自宅に円座クッションが届くように手配はしてある。それに、観劇予定の演目は、おそらくだが事前に事情を説明すれば、途中で立ったり座ったりしても他の観客の邪魔にならない場所に椅子を用意してもらうことも可能なのではないかという気がしている。ただ、立ったり座ったりするにしても、退院した日に観劇しても大丈夫そうか、相談してみることにしたのだ。

「観劇」という言葉は使わなかったが、「退院の日に用事があって、その用事が80分ぐらいあるんですけど、座ったままと立ったままだと、どちらが負担がありますか?」と尋ねてみると、どちらもよくない、とナースが言う。退院してからも、基本的に傷が治るまでは安静にしたほうがいい、と。傷が治るのはどれぐらいかと再度尋ねると、「個人差あるからなんとも言えないですけど、大体一ヶ月ぐらいはかかりますね」と返ってくる。しかし、現実的に考えて、術後一ヶ月も安静に過ごせるだろうか。「いちおう円座クッションも買ってあるんですけど、その80分のあいだに立ったり座ったり、姿勢を変えながらでも厳しいですかね・・?」と食い下がると、うーん、なんとも言えないですけど、とナースが言う。

 ここでは答えが出なそうだから、すいません変なこと聞いて、ありがとうございますと伝えて、食堂に降りる。予告通り煮込みハンバーグだ。退院が近づいてきたせいか、来週からの食生活のことが頭をよぎる。血液検査の結果を思い出すと、食生活をあらためる必要があるのだろうけれど、今このタイミングでそこまで考えるのは難儀な気もする。しかし――術後1ヶ月も安静に過ごさなきゃいけないのかと考えると、視界が暗くなる。暗い気持ちで平らげているせいか、あまり味を感じなかった。食事を終えて部屋に戻ると、明日退院の同室さんが歯を磨こうとしているところだったので、「すいません、ちょっといいですか」と話しかける。同室さんも、僕と同じ日に手術を受けているが、「仕事をそんなに休めないから」という理由で退院を1日早めてもらっていた。

 「変なことを聞くようですけど、お仕事って、デスクワークですか?」と尋ねると、営業の仕事だと同室さんが教えてくれた。さっきナースとやりとりしたことを伝えた上で、「退院後の生活って、こういうことは控えるようにとかって言われてますか?」と尋ねると、「僕から質問してないのもありますけど、特に言われてはないですね」と教えてくれた。月曜から数日はデスクワークをしながら様子を見て、2、3日後から外回りに出る予定だという。それはそうだよなと、同室さんと話しながら考える。僕はこんな仕事をしているから、取材で遠出する時期をのぞけば、自宅でソファに寝転がりながらでも仕事ができる。遠出するときだって、自分のペースで予定を組める。でも、会社勤めをしている人だと、8日間も入院した上に、さらにその後も座り仕事や立ち仕事を控えろと言われても、不可能だろう。明日は午後休診だから、入院患者の診察も午前中に行われるはずなので、観劇のことは明日医師に確認することにする。

 夜はウェブ連載の原稿を書く。ようやく7割ぐらいまでこぎつけた。昨日までだと、21時の消灯時刻を迎えても、しばらく原稿を書き続けていた。というのも、一昨日あたりに同室さんと話しているときに、「夜、あんな早い時間に寝れます?」と尋ねられていた。なかなか寝れないから、ラジオを聴いているのだと伝えると、「僕も全然寝れないから、パソコンで動画観てます」と同室さんは言っていた。僕のベッドからだと、同室さんが常夜灯をつけて寝ているのは見えても、パソコンを開いている感じはまったく伝わってこなかった。常夜灯がついていれば、案外そのひかりにまぎれるのかもしれない。それに、同室さんがパソコンで動画を観ているなら、あまり気にすることもないだろうと、パソコンを広げて原稿を書いていたのだ。ただ、今日はあらたに入院してきた患者さんがいる。部屋の構造的に、その人のベッドから僕のベッドがある位置はわりと視覚になっているから、ひかりに関しては気にする必要は少なそうだ。ただ、手術した日の夜に、同室の患者が消灯時刻を過ぎてパソコンでなにかタイプしていたら、僕だったらすごく気になる。

 さすがに今日は消灯時刻でパソコンを閉じる。ふと、夕食前にナースと話したことが思い出される。「だって、1時間座ってるのって、今の感じからいって無理じゃないですか?」と尋ねられて、「どうなんでしょう、あんまり座ってないので――」と答えると、「いつも寝てますもんね」とナースは言った。たしかに、ナースが検温に来る時間帯も含めて、僕は基本的にベッドに横になったまま作業をしている。他の患者はもっと起きて活動しているんだろうか。思い返すと腹がたつ――わけでも不思議とないのだけれど、あれは何だったんだろう。点滴が外れて、多少は歩き回ってもよくなった術後二日目あたりに、「まだ座ったりはしないほうがいいんですか?」とナースに尋ねたところ、「そうですね」と返ってきたから、食事の時間以外は座らないようにしていたのに。

 22時、YouTubeクラムボンの配信が始まる。去年のフジロックの映像が、リアルタイム配信のみで公開されたのだ。消灯時間は過ぎているけれど、スマートフォンをスタンドに立てて、配信が始まるのを待つ。カウントダウンが終わると、苗場の様子が映し出される。さっきまで苗場のことも原稿の中で書いていたなと頭をよぎる。1曲目は「タイムライン」だった。今この配信を、いろんな生活の中にいる人が観ているのだろう。視聴者は2000人を超える。渋谷AXぐらいの人が、こうして画面を観ているのかと想像する。僕は病室からその映像を観ている。このステージは去年の7月29日のものだ。その日は京都にいたと、はっきりと思い出せる。リアルタイムではじっくり観れなかったけれど、郁子さんはこんな時間の中にいたのだなと思う。それぞれ違うタイムラインではあるけれど、去年は同じ夏の中にいたのだと、ライブで歌われる曲の節々に感じる。「波よせて」と「バイタルサイン」は深く印象に残った。「バイタルサイン」はすごく好きな曲で、よく聴いていたけれど、こうして昨年の夏を振り返りながら聴くと、『cocoon』という取り組みそのもののように響いてくる。最後に演奏された「シカゴ」を聴いていると、ベッドに横になっていても、自然とからだが弾んでくる。