2月28日

 6時過ぎに目を覚ます。昨日までは術後の飲酒について調べてばかりいたけれど(診察を担当している医師からは「飲んでも問題はない」と言われているものの、その「問題はない」はどのレベルなのか、傷の回復や症状には影響しないということなのか、それとも「飲んでも、まあ、そんなに酷い悪影響はない」という話なのか、ずっと気になっている。お酒は飲みたくなってきているけれど、取材で遠出するのに不便ではあるから、回復が遅れるならなるべく控えておきたい気持ちもある)、今日は患部から出ている「浸出液」が術後何日目ぐらいまで出ている患者が多いのか、検索する。結局のところ手術の方法によって違うし、症状ごとに切開する範囲も異なるし、治り方も含めて「個人差」という話に尽きるのはわかっているのだけれども、調べてしまう。

 これは手術が近づいてきたあたりから感じていることではあるけれど、あれもこれも個人差があることばかりだし、医師によって考え方が違うところもあるし、すぐに堂々巡りに入ってしまう。痔瘻だから「そのうち治る」と思えるけれど、もしももっと深刻な症状で、不安に駆られているときに、断定的な言葉を言ってくれる人がいたら、そこに身を預けてしまても不思議ではないなと思う。

 朝から洗濯機をまわし、そのほとんどを部屋干しにする。9時過ぎに朝食の支度をして、納豆ごはん、インスタント味噌汁(わかめ)、ごぼうサラダ、ししゃも3匹で朝食にする。今日は資源ゴミの日だが、自分がお酒を飲んでいないものだから出すのを忘れていて、収集の音が聴こえてきて「資源ゴミの日だ!」と思い出す。慌ててゴミ袋を持って1階に降りると、もう収集車は走り去ったあとだった。パソコンを広げて仕事をしていた知人に、「今溜まっている空き缶はすべて自分が飲んだものなのに、どうして出しもせずに仕事を始めているのか」と八つ当たりをする。

 気づけば9時半になっている。そろそろ花粉症の薬をもらいにいかないと大変なことになりそうだと、近所の耳鼻科をネットで予約する。ここは9時半からネット予約の受付が始まるのだけれども、受付開始3分でもう46番、待ち時間は3時間近くと表示されている。ソファに寝転がって、S・Iのドキュメントを書きながら、こまめに呼び出し状況を確認する。

 今日は荷物が届く予定だ。昨日のうちに都内から出荷された荷物だから、午前中には届くはずなのだけれども、正午が近づいてもチャイムが鳴る気配はなかった。ふとクロネコヤマトのアプリで確認してみると、すでに「配達完了」と表示されている。僕はずっと在宅だったが、管理人が受け取ったのだろう。一階に降りて、荷物を手に取って部屋に戻る。届いていたのは新刊の見本だ。今回はいちども紙のゲラを見ていなくて、かつ表紙の紙に関する話もしていなかったのだけれども、勝手に「前著」と同じ質感の紙を想像していた。段ボールを開封して、見本を手に取り、「おお、こういう紙質できたか!」と興奮する。

 新刊の取次搬入日は3月7日だから、8日あたりから東京の書店には並ぶだろう。ただ――今回の本は沖縄で取材した本だ。沖縄の書店には船便で送られるため、東京より4、5日遅れて店頭に並ぶことになる。そうすると、取材してもらった方にすぐ献本すると、沖縄の書店に並ぶ日より2週間近く早いタイミングで届く格好になる。取材させていただいた方の中には、「見本ができたらお送りします」と伝えると、「知り合いに配りたいから、何冊か買いたい」と言ってくださる方もいた。1冊は見本をお送りできるけど、何冊か届けられるのは書店に並ぶ時期になってしまう。それに、見本をお送りした相手が、知り合いに「この本で取材してもらったんだ」と紹介してくださったとしても、沖縄ではしばらく買えない期間が続いてしまう。それならば、取材させてもらった方には、沖縄の書店に並び始める数日前――それでいて、東京の書店に並び始める時期より遅くならないタイミングでお届けできるようにしたい。そんなことをあれこれ考えずに、取材させてもらった方には一刻も早く送るべきなのかもしれないけれど、それを言うなら直接届けてまわりたいような気もするし、答えは出ない。

 昼過ぎ、新刊で取材させていただいたお店の一軒に電話をかける。開店直前でバタバタされている感じで、「いまお電話だいじょうぶですか」と確認すると、「どれぐらいかかりますかね?」と聞き返される。1分くらいで終わりますと伝えると、ああ、じゃあ今でだいじょうぶですよと言ってもらえたので、お店を取材した原稿を宣伝用に無料公開させてもらえないかと相談する。ああ、それはもう、全然好きに使ってもらっていいですよと言ってもらえて、お礼を言って電話を切る。通話時間はちょうど1分だった。

 12時45分になったあたりで、自分の番まで残り5人になったので、コートを羽織って外に出る。部屋にいるときは、トレーナーの上にもこもこした上着を着込んでいて、冬のあいだは(近所に買い物に出かける場合は)これにコートを羽織って出かけている。ただ、一歩外に出てみると明らかに空気がぬるく、すぐに部屋に戻ってもこもこを脱ぎ、ふたたび出かける。もう春の気配だ。団子坂を下っていると、車がもうもうと排気ガスを吐き出しながら遠おり過ぎてゆく。ずいぶん燃費の悪そうな車だなと思って車を視線で追ってみると、そんなに排気ガスを巻き上げそうな車でもなかった。おかしいなとしばらく考えて、排気ガスではなく花粉がもうもうと舞っているのか、と気づく。

 13時ごろに耳鼻科に到着し、数分待って診察を受ける。ここ数年、年に一度だけ通い、処方箋だけ出してもらっている。今年も先生は完全防備のよそおいで診察室にいて、ぱっと診断してもらって、去年と同じ薬を処方してもらう。僕の後ろにもまだまだ診察待ちの患者がいるはずで、先生は連日、お昼休みもろくにとれないまま診察を続けているのだろう。診察しても診察しても患者がやってくることを想像すると、ちょっとした地獄のように思えてくる。診察し続けてくれる先生がいてくれてありがたい限りだ。帰りにドラッグストアに寄って滅菌ガーゼを買い、「やなか珈琲」で豆を300グラム買って、スーパーで買い物をして帰途につく。

 午後もずっとS・Iのドキュメントを書き継ぐ。ソファに寝転がって原稿を書いていると、どうにも進捗が芳しくない。「もう術後2週間経っているから、座り仕事してもだいじょうぶなはず」と、円座クッションを敷き、座った状態で仕事をする(患部を甘やかせば甘やかすほど治りが早いのではと思っているから、まだなるべく座らないように、寝そべって過ごしていた)。カーテンを開けていると、近所の高校から生徒たちが下校していく。段々日が暮れてゆく。外の景色を眺めていると、なにか音楽でもかけようかという気持ちになる。昨日の余韻もあり、とりあえずMANNERSを再生しよとケータイを触ると、アルバムタイトルの下に「2014年」と表示され、ちょっとびっくりする。

 知人は18時半過ぎに帰ってきた。そこから1時間ちょっとは仕事を続けて、「晩酌」する。数日前とほぼ同じメニュー。ただ、砂肝のしょうが煮と書いていたものは「砂肝のオイスター炒め」だし、ホタルイカの沖漬けと書いていたものは「釜揚げほたるいか」だし、ヤンバルクイナと同じ色と書いていたのは「ヤンバルクイナの足と同じ色」だと、知人から校閲的な指摘を受ける。

 いくつかバラエティを観たあと、NHKで放送されたドキュメンタリー『ウクライナ大統領府 軍事侵攻・緊迫の72時間』を観る。侵攻直後にチェルノブイリにやってきたロシア兵たちは、放射能で汚染されている土地であるにもかかわらず塹壕を掘り、そこで生活をしていたのだという。ウクライナ側によれば、その兵士たちは終始ヘラヘラしていて、送電線を切ろうとし、「そんなことをしたら死の灰がロシアにまで降り注ぐ」と必死に止められて、ようやく送電線を切るのをあきらめたのだという。あるいは、ウクライナに侵攻すれば歓迎されると思っていたというロシア兵や、侵攻した先でレストランを予約しようとしたロシア兵の話も。教育ということについて考えさせられる。テレビ画面のこちら側から観ていると、どうしてこんな、戦争だなんていう馬鹿馬鹿しいことが起こってしまうのかと思わざるを得ない。そんな態度で戦争が止まることは決してないということは、自分でもわかっているのだけれど。